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安全考その4

2011年05月10日 | Weblog
防犯

 日本は安全な国とのイメージがある。わが国では古来「水と安全はタダ」という神話があった。昔の日本の田舍を訪れた西洋人などは、開け放たれた農家の佇まいに感動さえしたと聞く。農村では今も古き良き時代のなごりを残すところもあろう。

 しかし、現在では都会といわずほとんどの地域で、犯罪が増加し危険を感じることが多くなった印象がある。一つにはマスコミの発達で事件や事故が悪く言えば興味本位に取り上げられる面もあり、さらに昔なら中々知りえなかった遠方の事件や事故も瞬時に伝わることから、随分犯罪が多いような錯覚を持つ。

 例えば、少し趣が異なるが校内暴力なども、一時期ものすごく多かったような報道があったけれど、私ども団塊の世代でも中学時代校内暴力はまさに日常茶飯事*10)だったけれど、一切マスコミに取り上げられることはなかった。そのためマスコミが発達した後の世代で急に増加したようなイメージがある。

 日本で殺人事件は現在年間約千数百件。ここ20数年1000件から1500件程度で推移している。毎年10万人に1人~くらいの割合で人が殺されている勘定になる。強盗は年毎のばらつきが多いが平均で殺人事件の3倍程度ある。

 殺人事件は、昭和初期から太平洋戦争開戦までの15年間で、人口10万人当たり2~4件程度であり、現代に比べてはるかに多い。戦後も3件台で推移し10万人当たり2件を切ったのは昭和45年(1970年)である。経済成長で豊かになったことが減少の要因と考えられる。

 2000年代に入り強盗の件数は増加した*11)が、全体的な犯罪件数でみても、近年日本の犯罪が増加しているわけではない。人口1000人当たりの犯罪件数で日本は世界で30番台。因みに米国は一桁台。米国の4分の1程度の発生率だ。世界平均の6割程度の発生率とのデータもある。

 しかし、犯罪にも国際化の波が押し寄せて、海外からの窃盗グループが暗躍するなどのニュースもあり、特に一部富裕層に防犯意識が高くなっていることも分かる。戦後の高度成長時代、家電や自動車業界では1代で世界的な企業を築き上げた創業者が名を成したが、その後産業構造の変化もあり、ITそしてネットビジネスなどの業界では、現在も1代で世界に名を成す創業者が現れている。そのひとつに、セキュリティー企業もある。

 あるセミナーで、東京渋谷の当該企業を見学させて貰ったことがある。1962年(昭和37年)日本初の警備保障会社を設立したのは、当時29歳の2人の青年であった。昭和40年(1965年)テレビドラマ「ザ・ガードマン」は当該企業がモデルであったそうな。今やグループ年商6500億円企業に成長している。

 当該企業の犯罪における現状認識として、犯罪件数は減少するも凶悪犯罪は高水準にあり、行きずり・無差別犯罪が増加していること。検挙率が20%まで落ち込んでいること。同じ窃盗にしても金庫ごと持ち去る、また建設重機でATMを根こそぎにする、ガラス窓どころか壁を壊して侵入するなど、手口が大胆かつ悪質化している。などを上げ、備えの重要さを訴えている。資産家の自宅の防犯では、金庫を置く夫婦の寝室を鉄製の扉で防備し、夜間賊が家の中まで侵入しても被害を食い止めるような施工も受けているとのこと。

 もっとも、警備会社と契約して夜間の無人の事務所などの通報システムを徹底しても、警備会社や警察が通報を受けて現場に到達するまでの6~7分の間に仕事を終わらせる犯罪グループもあり、「盾」と「矛」の関係はいつの世に課題となるようだ。

 テロのような犯罪に代表されるように、社会や地域住民の連帯感が薄まると犯罪が生まれる素地が拡大する。犯罪被害者には罪なき弱者も多い。遺族となった人々の恨み悲しみは大きい。個人の防犯意識を高めると共に地域コミュニティーを大切にする必要がある。また、労働災害撲滅活動に見られる「ゼロ災」の理念のごとく、殺人事件などゼロの国を目指す想いも改めて必要かもしれない。
 
 
 





*10)教師の児童、生徒への体罰も日常茶飯事であった。
*11)それでも戦後の1時期の半分程度
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