中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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パリ五輪2024 その10

2024年08月28日 | ブログ
そしてロス五輪2028へ

 いろいろ問題もあったパリ五輪であったが、わが国にとっては、他国で行ったオリンピックとしては最大数のメダル獲得となり、GDP序列は世界第4位ながら、五輪金メダルでは世界第3位となり、面目をほどこした。

 それにしても、競技審判・役員の不手際、授与されたメダルの品質劣化に加え、実際に見て来た話ではないが、世界の出場選手には、選手村の食事への不満も結構あったようだ。そこらあたり、おもてなしの国日本なら、そつなく熟すところであったろうと思ってしまう。開会式をセーヌ川で行ったのは良かったが、水質の悪いその川で、トライアスロン競技の水泳を決行したのは勇み足ではなかったか。パリと言えばエッフェル塔にセーヌ川に象徴されるとはいえ、競技者の健康が一番でなくてはならなかったように思う。ヨット競技など行える海浜があるのだ。

 オリンピックの裏話になるのだろうが、競技者が使用する用品を調達するメーカー同士も、熾烈な競争をしているそうだ。陸上選手のシューズ、競泳選手の水着。加えて選手村のベットのマットレスの品質。特にマラソン選手のシューズには大きな変遷があり、軽さを主張して靴底は薄くから、今は弾力重視の厚底が主流だそうだ。<東テレ「ガイアの夜明け」>

 各選手の成績に対して、国家としてはそれぞれに報奨制度があるのだろうが、所属企業などが特に顕著な成績優秀者に、破格の臨時ボーナスを支給するところもあるらしい。面白いのが、CM採用に適した選手には、年間契約で数千万円の契約金が付くような値踏みが行われていることだ。

 選手は五輪をお金儲けの場とは考えていないだろうが、結果としてその後の人生を変えるような経済的処遇が待っていることも現実だろうし、ある程度は当然の報酬かも知れない。当初のオリンピックは、アマチュアリズムが基調だった。本当かどうか、日本の人力車夫は、オリンピックのマラソン選手には不適格とされた話。

 現在は、プロスポーツ選手が堂々と五輪選手として出場する。ゴルフだって、サッカーだって、バスケだって、今回は種目に漏れた野球だって、みなさんプロが参加する。五輪はスポーツの究極の技量、パフォーマンスを披露する場なのだ。

 メダリストまで行かなくとも、その後の人生を当該スポーツの指導者になろうが、タレントや俳優に成ろうが、まさに自身が切り開いた人生である。

 次回五輪は米国ロサンゼルスで44年ぶり開催されるとのこと。連覇を目指す選手、今度こそと雪辱を誓い、さらに研鑽する選手。またテレビで応援するよ、ロスではぜひ現地で応援したい、雰囲気を味わってみたいという人。ロスでは野球やソフトボールも復活するらしい。選手もファンも4年後を目指す。それぞれの五輪が待っている。





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パリ五輪2024 その9

2024年08月25日 | ブログ
メダルラッシュは「恋」(ここ)から始まった

 スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋(よしざわここ)選手は、2009年9月生まれの14歳。神奈川県相模原市立小山中学校の3年生である。

 パリ五輪が始まって早い時期に、何となく競技の実況をテレビで観ていると、スケートボードの女子の競技(予選だったと思う)が行われていた。失敗して転ぶと得点が出ない。何回かトライできるようであるが、ルールも何にも知りはしない。中国人の選手が得点を得ていたので、このような種目は中国人向きだろうなと思ったくらいで見るのをやめた。

 翌日だったか、日本の女子選手が金と銀メダル(赤間選手15歳、東北高校)を取ったと聞いて、そのシーンはニュース映像で何度も見た。恋(ここ)選手のトリック(技)を成功させ、両手を広げてスケートボード上で滑走する様はかっこ良かった。そして翌日だったか、男子ストリートの堀米選手の金メダルが伝えられた。東京大会に続く五輪2連覇。この五輪では7位からの大逆転だった。挑戦した最後のトリックの成功確率は、本人にとっても1%程度だったそうだ。

 その後の結果やそこに至る経過など、いろいろ話を聞くうち、パリ五輪の日本のメダルラッシュは、恋(ここ)選手に始まったのだと確信した。堀米選手の実力は相当なもので、2連覇は妥当であったにしても、吉沢選手の金メダルが呼び水になっているように感じたのだ。おそらく吉沢選手だけは、自身の金メダルの後は、初めから堀米選手の金メダルを信じていたのではなかろうかと思ってしまった。勝負の世界には、選手同士不思議な連帯があるのではなかろうか。

 吉沢選手は、コーチの話(日テレsports)によれば、仲間内10人くらいの生徒の中、一番下手(技の飲み込みが遅い)だったそうで、それを本人も十分に自覚していたようである。天才肌ではなかったのだ。仲間が1か月で会得する技に、吉沢選手は半年かかったという。それでも彼女は繰り返し練習した。その反復練習が本当の実力を身に付かせた。

 吉沢選手は7歳からスケートボードを始めたという。体操やレスリングのメダリストなどと比べてもけっして早い取り掛かりではない。ただ、徐々に力をつけて無欲(変なプレッシャーを感じることなく)で五輪に出場できたことは幸いだったのではないか。

 YouTubeに見る彼女の地元への凱旋報告会にしても、素朴で堂々と話する14歳には感服する。

 スケードボード女子パークでは、開心那選手(15歳)が東京大会に続き2大会連続で銀メダルを獲得したが、この競技、金メダルのオーストラリアの選手と銅メダルのイギリスの選手と、国は異なるものの3選手共、母親は日本人という奇跡のような実話も生まれている。スケートボードは中国人より日本人に向いている競技だったようだ。




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パリ五輪2024 その8

2024年08月22日 | ブログ
女子フィールド種目で史上初の快挙

 勿論やり投げの北口選手のこと。179cm、86kgというから現在の私(加齢の為身長が20代頃より2cm余り低くなった)より一回り~大きい女性である。投擲競技には必要な体格であろう。母攻の旭川東高校は、進学校で東大や京大合格者も出しているという。子供の頃から賢い女性だったと推測する。スポーツはそのことを通じても頭脳明晰ともなるが、地頭が良くないと進歩が止まる。

 彼女の英語にはチェコ訛りがあるとのこと。そう昨年のWBCで、わが国でも俄然有名になったチェコは、槍投げ王国。彼女はこの国の西部でドイツ国境に近い、ドマジュリツェという町(市)にやり投げ留学していたのだ。

 五輪の前から北口選手は世界大会などで優勝しており、チェコの町を有名にしたということで、表彰さえされているのだ。今回はその留学先の町に凱旋し、200人を超える人々と衣装を纏ったバグパイプ楽団に迎えられたという。チェコのメディアも自国選手の凱旋のごとく伝えたという。地元の人々に親しまれ、敬愛されている彼女の人柄が偲ばれる話だ。

 フェンシングの太田選手がオリンピックで活躍し、今回のパリでさらにフェンシングを開花させたが、やり投げなど、これまでの日本ではマイナーな競技が、また五輪でさらに大きな輪を描ける日も遠くないかもしれない。

 さらに、北口選手の活躍は、オリンピックを通じての国際親善が、個々の選手のスポーツ留学を通じても促進されることの一例である。卓球の女子選手などは中国語を流暢に操ると聞いたが、柔道を通じて、日本語とその武士道に通じる礼儀作法、立ち居振る舞いを引き続き世界へ向けて発信し続けていただきたいものである。




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パリ五輪2024 その7

2024年08月19日 | ブログ
ゴールドラッシュ

 結果としてこのパリ五輪で、日本は実に20の金メダルを獲得した。これは米中に次ぐ世界で3番目の多さだ。まさにゴールドラッシュである。その20個の金メダルのうち、実に8個はレスリングによるものであった。

 先に白人や黒人に対して日本人は、腕力や体幹の強さで見劣りがする感じを述べたが、どうも足腰の強さは先天的に日本人有利のような気がしてきた。グレコローマン77kg級日下選手が、元々相撲をやっており、今も四股を踏んでレスリングの練習に臨むと聞いたからである。

 それにしても、彼は2000年の生まれだそうだが、その年に開催されたシドニーオリンピック女子マラソンを制した高橋尚子さんの名にあやかって、「尚」、「日下尚(くさかなお)」と名付けられたという。親御さんの密かな想いが、24年後大きく花開いたのである。

 メダリストには、それぞれのドラマがある。今回女子50kg級の須崎選手は、初戦でインドの選手に敗れてしまう。以下 NHK Webニュースから大会前の紹介文を引用『女子50キロ級の須崎優衣選手は、千葉県松戸市出身。早稲田大学の4年生です。スピードに乗ったタックルを中心に多彩な技による攻撃が最大の持ち味です。小学1年生から父がコーチを務めるクラブでレスリングを始め、中学2年生から高校3年生まではJOC=日本オリンピック委員会が若手の英才教育をする「エリートアカデミー」で実力を磨きました。中学時代は、出場したすべての大会で優勝するほどの強さを誇り、高校3年生だった2017年には世界選手権で初優勝して、2002年の伊調馨選手以来となる高校生での世界チャンピオンとなって一躍脚光を浴びました。さらに2018年の世界選手権で2連覇を果たすなど国際大会ではいまだ負け知らずです。・・・・・日本女子がオリンピックの表彰台を逃したことのない最も軽い階級で金メダル候補として活躍が期待されています。』

 すなわち、その強さと過去の実績から柔道の阿部詩選手と同格の金メダル候補であったようだ。

 ところが、先に紹介した通り、初戦で敗れてしまう。五輪の怖さ、勝負の怖さ、ところがその後、当のインドの選手が計量で失格となり、須崎選手は3位決定戦に進むことができ、銅メダルを獲得したのである。結果として日本女子は、6階級全員メダルホルダーとなった。

 男子フリースタイル65kig級、初出場の清岡幸太郎選手と女子57kg級桜井つぐみ選手は、共に高知県出身で高校の同窓生だったことで、最強の幼馴染として話題となった。高知県人としても92年ぶりの金メダル(女子では初)という。高知では凱旋パレード、祝賀行事を準備し、両名に県民栄誉賞を贈る予定だそうだ。

 パリ五輪レスリングのゴールドラッシュに貢献した選手は、他にもグレコ60kg級文田選手、フリー男子57kg級樋口選手。女子62kg級元木選手、女子76kg級鏡選手がいる。

 みなさんそれぞれにドラマがあろうが、ここでは紹介仕切れない。ただ、これまでの人生よりこれからの人生が遙かに長い道のりである。僭越ながら、引き続きのご健闘とご多幸を切にお祈り申し上げる次第である。





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パリ五輪2024 その6

2024年08月16日 | ブログ
137連勝

 レスリング女子53キロ級の藤波朱理選手(20歳、日体大)が圧倒的な強さで金メダルを獲得した。14歳(中学2年生)から続く公式戦で勝ち続けている。この記録は、女子レスリングのレジェント、オリンピック3連覇、世界選手権10連覇の「霊長類最強」といわれた吉田沙保里さんの119連勝(個人戦に限れば209連勝)を凌ぐものである。

 レスリング女子には五輪4連覇の伊調馨さんの189連勝(不戦敗を除く)があり、「五輪初金メダルの年齢も、伊調さん20歳2か月10日に対して、藤波選手は20歳8か月28日と肉薄している。」<東京新聞 TOKYO Web> 藤波選手にも4連覇までの期待が膨らむ。

 藤波選手は父親(ソウル五輪候補、レスリングジム経営、元高校教師)や兄の影響で、4歳からレスリングを始めた。順調な競技人生かとおもいきや、小学生では優勝したが、中学では勝てない日々が続いたという。今年3月14日の練習では右肘を脱臼し、初めての手術を受けている。出場を予定してたアジア選手権も欠場することになったが「このけがも前向きに捉え、自分が金メダル取るための試練だと思って、しっかり乗り越えて準備していきたい」と心境を語っていたそうだ。

 上京後は父親と二人暮らしで五輪を目指した。巨人の星、父一徹張りの親子鷹のイメージとも重なるなるが、見逃せないのは、日体大でコーチを務める伊調馨さん(40歳)の存在だ。藤波も日々のスパーリングで血の通った指導を受けている。「伊調さんは、今も本当に強い。馨さんからポイントを取れたら、世界中のどの53kg級の選手からだって取れる」とレジェントの教えに感謝している。<読売新聞8月10日朝刊>

 格闘技はすべて究極「殺し合い」である。伊調さんはまだ40歳。殺し合いなら20歳の藤波選手でも敵わない筈だ。頂点を極めた人が、競技を引退はしても格闘精神を、修行を忘れるわけなどない。だから後輩に引き継いで行ける。素晴らしい先輩たちが居て、本人の渾身の努力があって栄光がある。





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パリ五輪2024 その5

2024年08月13日 | ブログ
柔道の借りをフェンシングで返す

 パリオリンピックでフェンシングの日本代表は、男子エペ個人で日本のエース、加納虹輝選手が個人種目として初めて金メダルを獲得し、団体では男子フルーレで初の金メダル、男子エペ団体で銀メダル、女子フルーレ団体と女子サーブル団体で、ともに初めてのメダルとなる銅メダルを獲得した。

 『国内の競技人口は約6000人ながら、欧州の伝統国にも引けを取らない強豪へと引き上げた立役者は、現在は国際オリンピック委員会(IOC)委員の太田雄貴氏(38歳)だ。競技者として日本勢初のメダリストとなり後進に道を開き、後に協会会長としてさまざまな強化策を牽引した。

 太田氏は滋賀県出身、2008年北京五輪の男子フルーレ個人で、日本勢初の五輪メダルとなる銀メダルを獲得した。12年ロンドン五輪でも男子フルーレ団体の銀メダルメンバーの一人として活躍し、16年リオデジャネイロ五輪を最後に、現役を退いた。

 17年8月、日本フェンシング協会の会長に就任。「フェンシングの価値を上げていきたい」と、協会の運営にビジネスの感覚を取り入れた。全日本選手権の決勝を従来の体育館ではなく、劇場の東京グローブ座で開催。協会でビジネスの専門家を公募し、収益事業を増やして組織の基盤強化を図るなど、大胆な施策を次々と実行してきた。

 21年6月に会長を退任した際は、後任を内部人材でなく、陸上十種競技の元日本王者でタレントの武井壮氏(1期で退任)に就任要請して話題を呼んだ。 同年8月からはIOC委員を務め、迎えた今回のパリ五輪では聖火リレーにも参加。現地で連日、後輩フェンサーの活躍を見守った。』YAHOO!ニュース(産経新聞)8月5日配信

 個人金メダル加納選手の決勝の相手はフランスであり、フルーレ男子団体の決勝の相手はイタリアで、いずれも本場欧州勢。柔道団体で日本は、決勝でフランスに大逆転負けを喫したが、この借りをフェンシングで返した格好となった。

 昔、「怪傑ゾロ」とのテレビドラマがあり、毎週楽しみに観た記憶がある。アメリカ合衆国のABCが1958年から1959年に放映されたものとある。このドラマの主人公はフェンシングの達人であった。フェンシングと聞けば怪傑ゾロを思い出す。それにしても剣道の国が、フェンシング競技で五輪を制するなど思いもよらなかった。快挙である。





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パリ五輪2024 その4

2024年08月10日 | ブログ
日本ゴルフ初メダル

 松山選手やりました。銅メダル。前回東京での4位の雪辱である。このメダル獲得は次のロス五輪金メダルへの踏み台と成ろう。

 松山選手はその名の通り、愛媛県の県庁所在地松山市の出身。私は松山市の隣町、愛媛県伊予郡松前町の出身。高校は松山市内に通った。柔道部のトレーニングでは松山城城山を駆けったものだ。また、現在住まいする千葉県市原市はゴルフ場が33もある日本一のゴルフの街。診断士の仕事で、地元商工会議所の幹部の方と、三社ほど視察に出向かせて貰ったことがある。浅からずゴルフと縁があるようだが、私はゴルフはやらない。新入社員の頃、柔道部の先輩に誘われて、打ちっ放しをやったことがある程度に過ぎない。

 愛媛県の五輪メダリストで有名な方は、1964年の東京オリンピックで活躍された、「山下跳び」の体操の山下選手(宇和島市出身。県立宇和島東高から日本体育大学)が居られる。御年85歳。国際体操殿堂入りを果たされている。大学の同級生には俳優の千葉真一氏(2021年8月逝去)がいた。千葉氏は、生まれは福岡だが、4歳から千葉県君津市で育ち、県立木更津高校3年生で体操の全国制覇をされている。山下さんと千葉さんは大学時代オリンピックを目指して競い合った仲でもあったようだ。

 ゴルフでは、私の今の地元千葉県市原市は、「ゴルフの街いちはら」として、特にこどもゴルフに注力している。2024年8月号の広報誌によれば、『「いちはらの子どもみんながゴルフをできる未来を目指して」とあり、ゴルフ場日本一の本市だからこそできること。それはいちはらの子ども全員にゴルフに親しんでもらうこと。雪国の子どもたちがスキーをできるように、いちはらの子どもはみんなゴルフができる、そんな未来を思い描いています。

 そこで、今年度から小学5・6年生を対象としたスナッグゴルフ体験授業を開始。ゴルフ場でのゴルフ体験とあわせて、令和8年度までに市内の全小学校でゴルフ体験を実施します。・・・ 註:スナッグゴルフとは、ゴルフの基本をまなぶことができるスポーツです。ボールはテニスボールのような素材で安全。基本的にはゴルフと同様のルールで、ホールの代わりにあるフラッグを目指して、打数を競い合う。』

 現在でも市内のジュニアゴルファーには世界大会制覇の実績を持つ生徒が4名もおり、これまでに計5回の世界大会で優勝しているという。現在の年齢は、14歳、13歳、9歳の男子3名と8歳の女子。

 パリ五輪の体操では20歳の岡選手が個人総合・団体及び種目別で3個の金メダルと1個の銅メダルを獲得した。彼の14歳の時の演技の映像がテレビで流れたが、みごとなもので、「栴檀は双葉より芳し」であり、幼児期からの英才教育の成果とも言える。

 近い将来、今回の松山選手に続く五輪ゴルフのメダリストが、続々と市原市から輩出されるのではないかと期待されるのである。




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パリ五輪2024 その3

2024年08月07日 | ブログ
 オリンピックの柔道は、柔道ではなく剛道に化しているように見えてしまう。組み手争いに多くの時間を費やすのも勝負だから仕方ないと言えばそうだけれど、技の攻防を期待する観衆からは興味を削がれる。

 一般に欧米人(白人)や黒人は、資質的に腕力・体幹が強いようで、最初から腕力等に頼る傾向にあるようにみえる。男子81kg級ともなれば、自重とのバランスからみて腕力・体幹の比重が最も高いクラスと思える。その為かどうか、このクラスでは今大会まで五輪連覇がなかった。日本選手にとっても不得手なクラスだった。

 しかし、今回、日本の永瀬選手が東京五輪に続き金メダル、このクラス初の連覇を達成した。テレビでだけど、彼の柔道を観ていて、本物の柔道を見る思いがした。柔道は昔は、30歳くらいが一番強いと言われていた。永瀬選手は丁度30歳。すなわち心・妓・体のバランスの良い年齢なのだ。勿論、修行を継続してきた選手にのみ訪れる頂点の時期である。彼の柔道には、お粗末な審判の判定など入り込む隙などなかった。彼は団体戦でも一階級上の選手を攻めて攻めて指導を奪い勝利している。

 永瀬選手は「旭化成」に所属する企業人柔道家のようだが、昔は同業の「東レ」などにも強い柔道選手が居たものだが、聞かなくなって久しい。勿論企業は、広報活動、社員への福利厚生の一環としてスポーツを支援するため、スポーツ選手を採用する戦略もあろうが、企業の社会的貢献の一環でもある。

 柔道の場合、警視庁などは企業と言うより、剣道・柔道は本職みたいなものである。最近は警備保障会社(体術・護身術)や中央競馬会(落馬の際の受け身)なども柔道の実用性を認め、有力柔道選手を採用しているようだ。日本製鉄なども繊維会社と同様、高度経済成長期には有力選手が多かった。失われた30年を経て、スポーツ選手育成に貢献する旭化成は、懐の大きい企業と感じる。

 スポーツで鍛えた体力・気力に個人的人脈などを加え、現役引退後、営業部門などで企業戦士として生き残る術もあり、当該企業で後輩アスリートを指導する生き方もあるが、柔道の場合、警察官ほどの組織へのアピールポイントとはなり難い。しかし、超一流選手には必ずやそれなりの人生が待っている筈である。永瀬選手のさらなる健闘に期待している。





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パリ五輪2024 その2

2024年08月04日 | ブログ
柔道競技にみる審判員のお粗末

 競技者にとって、オリンピックは最高の舞台であろう。金メダル奪取ともなれば、故郷に錦を飾るどころか、テレビ局、雑誌社などの取材攻勢に出身母校等での講演と、一夜明ければ英雄となっているのだ。

 そんな各競技を仕切る審判は、選手の人生を左右する重要な役割がある筈である。当該競技における長年の経験と審判規定への精通、一瞬の判断力、いずれも秀でた人物が担当すべき役割である筈である。

 しかるに、主審が発した「待て」の指示をスルーして相手を占め落とした選手を勝ちにするなど、あってはならぬ不祥事だと思うのだが、それが通ってしまった。そのことに正当性があるなら、観衆にも分かるような説明が必要であろう。これまでも説明をしないことで、「誤審」との評価だけがいつまでも残っている事例がある。勝者にとっても不愉快であろう。少なくともこのような場合、主審は選手両者に「待て」の指示を徹底する方策を行うべきだ。オリンピックは知らないが、田舎の試合では、攻撃側の選手の肩を叩いて知らせるようにしていた。

 五輪連覇の掛った女性柔道家が、2回戦で敗れた。大号泣事件が起こった。これも実はその前に、相手は三回目の指導を受けて、ゲームセットでなければいけないのを、審判は見逃していた(小川直也 氏説)そうだ。さらに、村尾三四郎選手の90㎏級の決勝戦、村尾選手の内股が決まり合わせ技一本で金メダル奪取のところ、主審がこれをスルーしたため、その後、逆に村尾選手が技ありを取られて負けてしまった。金と銀とではその差は大違いである。また73kg級橋本選手の指導3つの負けの試合は、テレビで見ていたが、相手は逃げまわっており、客観的にみても「指導」が逆であったと思う。

 オリンピック選手になるまでに選手は、どれほどの時間と努力を費やしてきたことか。五輪で審判を務めるなら、それだけのことをしてこなくてはならないし、審判として超一流でなければならない筈である。オリンピックの運営と経費、そして応援に駆け付けた多くの観衆、稚拙な審判員は当該選手だけでなく、そのすべてを欺くことになる。主催側審判団にしてみれば、「誤審」は認めたくなく、かばい合って、うやむやのまま「人の噂も七十五日」で済ませたいのであろうが、本人はもとより、審判を選んだ連中の責任もまた甚大である。










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パリ五輪2024 その1

2024年08月01日 | ブログ
オリンピックの趣旨を考える

 オリンピックは平和の祭典である。とはよく聞いた。1980年のモスクワ五輪は、共産圏・社会主義国家で行われる初のオリンピックということでも注目されたが、前年ソ連がアフガニスタンに武力侵攻したことで、米国を中心にボイコット運動が起こり、わが国も追従した。なお、英・仏・伊など西欧とオセアニア諸国の多くは参加している。

 今回、主催国ではないが、ロシアがウクライナに武力侵攻しており、その侵略戦争は継続中である。イスラエルとハマスの紛争は隣国レバノンへも拡大している。しかし、オリンピック開催について疑義はなかった。個人的には、平和の祭典を、戦争をしている国がある中で開催するのは趣旨に反するため、見送ったらどうかと思っていた。しかし、実際開催して見れば、ロシア国民に、自国の指導者の暴挙があからさまとなり、プーチン批判拡大のきっかけになる効果は、僅かながらでも期待できるかと思い直しているところである。

 オリンピックは競技種目も膨大となり、主催国の経済的負担も増加している面からの批判もある。今回のパリでは、新しい競技施設を作るなどは止め、経済的膨張に歯止めを掛けたという。

 開会式を競技場の外で行ったという新趣向は、治安維持の点で不安はあったものの、結果として成功したと言える。開催主催国の歴史・文化などを世界に発信する機会ともなるオリンピックは、当面意義深いものとして世界の人々の支持は続くのであろう




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