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パリ五輪2024 その9

2024年08月25日 | ブログ
メダルラッシュは「恋」(ここ)から始まった

 スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋(よしざわここ)選手は、2009年9月生まれの14歳。神奈川県相模原市立小山中学校の3年生である。

 パリ五輪が始まって早い時期に、何となく競技の実況をテレビで観ていると、スケートボードの女子の競技(予選だったと思う)が行われていた。失敗して転ぶと得点が出ない。何回かトライできるようであるが、ルールも何にも知りはしない。中国人の選手が得点を得ていたので、このような種目は中国人向きだろうなと思ったくらいで見るのをやめた。

 翌日だったか、日本の女子選手が金と銀メダル(赤間選手15歳、東北高校)を取ったと聞いて、そのシーンはニュース映像で何度も見た。恋(ここ)選手のトリック(技)を成功させ、両手を広げてスケートボード上で滑走する様はかっこ良かった。そして翌日だったか、男子ストリートの堀米選手の金メダルが伝えられた。東京大会に続く五輪2連覇。この五輪では7位からの大逆転だった。挑戦した最後のトリックの成功確率は、本人にとっても1%程度だったそうだ。

 その後の結果やそこに至る経過など、いろいろ話を聞くうち、パリ五輪の日本のメダルラッシュは、恋(ここ)選手に始まったのだと確信した。堀米選手の実力は相当なもので、2連覇は妥当であったにしても、吉沢選手の金メダルが呼び水になっているように感じたのだ。おそらく吉沢選手だけは、自身の金メダルの後は、初めから堀米選手の金メダルを信じていたのではなかろうかと思ってしまった。勝負の世界には、選手同士不思議な連帯があるのではなかろうか。

 吉沢選手は、コーチの話(日テレsports)によれば、仲間内10人くらいの生徒の中、一番下手(技の飲み込みが遅い)だったそうで、それを本人も十分に自覚していたようである。天才肌ではなかったのだ。仲間が1か月で会得する技に、吉沢選手は半年かかったという。それでも彼女は繰り返し練習した。その反復練習が本当の実力を身に付かせた。

 吉沢選手は7歳からスケートボードを始めたという。体操やレスリングのメダリストなどと比べてもけっして早い取り掛かりではない。ただ、徐々に力をつけて無欲(変なプレッシャーを感じることなく)で五輪に出場できたことは幸いだったのではないか。

 YouTubeに見る彼女の地元への凱旋報告会にしても、素朴で堂々と話する14歳には感服する。

 スケードボード女子パークでは、開心那選手(15歳)が東京大会に続き2大会連続で銀メダルを獲得したが、この競技、金メダルのオーストラリアの選手と銅メダルのイギリスの選手と、国は異なるものの3選手共、母親は日本人という奇跡のような実話も生まれている。スケートボードは中国人より日本人に向いている競技だったようだ。




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