柔道競技にみる審判員のお粗末
競技者にとって、オリンピックは最高の舞台であろう。金メダル奪取ともなれば、故郷に錦を飾るどころか、テレビ局、雑誌社などの取材攻勢に出身母校等での講演と、一夜明ければ英雄となっているのだ。
そんな各競技を仕切る審判は、選手の人生を左右する重要な役割がある筈である。当該競技における長年の経験と審判規定への精通、一瞬の判断力、いずれも秀でた人物が担当すべき役割である筈である。
しかるに、主審が発した「待て」の指示をスルーして相手を占め落とした選手を勝ちにするなど、あってはならぬ不祥事だと思うのだが、それが通ってしまった。そのことに正当性があるなら、観衆にも分かるような説明が必要であろう。これまでも説明をしないことで、「誤審」との評価だけがいつまでも残っている事例がある。勝者にとっても不愉快であろう。少なくともこのような場合、主審は選手両者に「待て」の指示を徹底する方策を行うべきだ。オリンピックは知らないが、田舎の試合では、攻撃側の選手の肩を叩いて知らせるようにしていた。
五輪連覇の掛った女性柔道家が、2回戦で敗れた。大号泣事件が起こった。これも実はその前に、相手は三回目の指導を受けて、ゲームセットでなければいけないのを、審判は見逃していた(小川直也 氏説)そうだ。さらに、村尾三四郎選手の90㎏級の決勝戦、村尾選手の内股が決まり合わせ技一本で金メダル奪取のところ、主審がこれをスルーしたため、その後、逆に村尾選手が技ありを取られて負けてしまった。金と銀とではその差は大違いである。また73kg級橋本選手の指導3つの負けの試合は、テレビで見ていたが、相手は逃げまわっており、客観的にみても「指導」が逆であったと思う。
オリンピック選手になるまでに選手は、どれほどの時間と努力を費やしてきたことか。五輪で審判を務めるなら、それだけのことをしてこなくてはならないし、審判として超一流でなければならない筈である。オリンピックの運営と経費、そして応援に駆け付けた多くの観衆、稚拙な審判員は当該選手だけでなく、そのすべてを欺くことになる。主催側審判団にしてみれば、「誤審」は認めたくなく、かばい合って、うやむやのまま「人の噂も七十五日」で済ませたいのであろうが、本人はもとより、審判を選んだ連中の責任もまた甚大である。