選択と集中
資源の少ない中小企業の場合、当然に得意分野に資金や人材を集中して投入する必要がある。しかし最初は狭い領域で地道に業績を上げていたものが、上手くいったことで能力以上に事業を拡大し、挙句行き詰まって企業再生となった場合に、再びこの選択と集中が必要になる。残せる事業だけを残し(選択)、他は切り捨てて当面残した事業に集中する。すなわち結局基本というか元に返って出直しという形になる。
中小企業の創業者が何を生業にしようかと考える場合、一般的には自分の持っている固有技術・技能を活かせる業種か好きな業種を考える。好きなことであれば技能は後からついて来る。すなわち生息領域(ドメイン)を自分中心に考える。一方現在市場で一番求められているものは何かを考えて起業することも考えられる。前者は一般的に余り資金力に自信がない場合で、後者は結構資金力がある場合と考えられる。資金さえあれば、その業種に必要な人材や技術を集めてくることも可能だからである。これなど典型的なオポチュニティ-企業(本稿「経営を診る第13回SWOT」)である。
もっとも起業の動機はどちらでもいいのだけれど、前者の場合、自分でいくらいいものを提供していると考えても、市場がそれを受け入れてくれるかどうかは全くの未知数である。一方現在の市場から出発した企業であれば、その品質に問題がなければ、売れる可能性はある。
オポチュニティ-企業、クオリティー企業の話しと同じく、これも一橋大学の楠木教授だったと思うけれど、その戦略本に、巨人軍や大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀樹選手の成功要因として、彼が数あるスポーツの中で「野球」を選んだことを上げ、もし彼が卓球を選んでいたら、(世界的な選手となったとしても)野球で得たほどの名声や富は得られなかったであろうと書いていた。
ただ、富や名声がついてまわる競技や職業は競争が激しく、母数が大きいだけに成功確率は小さくなる。事業として何を選ぶのかがまず重要であり、そこに経営資源を集中的に投入して長期的な利益を生み出せる仕組みを確固なものにしてゆく。しかし、「何屋である」かに集中し徹底するあまり、時代の流れを見忘れてはならない。米国でのモータリゼーションの到来で時代遅れとなった鉄道事業やテレビの普及で一時期衰退した映画産業の例をあげるまでもなく、事業を単なる「何屋」としてみるのではなく、そのドメインと捉えることも必要である。
ラジオやテレビ、特にテレビの普及でニュースソースとしての新聞の需要は低迷するだろうとか、ITの発達で紙は使われなくなるのではないかとか言われた時期もあったけれど、杞憂に過ぎた。変わるものと変わらぬもの。時代が変わってもいいものは残る。残さねばならない自社技術を使った研究開発、製品(商品)開発力が経営には重要であり、そこに経営資源を集中する必要がある。
資源の少ない中小企業の場合、当然に得意分野に資金や人材を集中して投入する必要がある。しかし最初は狭い領域で地道に業績を上げていたものが、上手くいったことで能力以上に事業を拡大し、挙句行き詰まって企業再生となった場合に、再びこの選択と集中が必要になる。残せる事業だけを残し(選択)、他は切り捨てて当面残した事業に集中する。すなわち結局基本というか元に返って出直しという形になる。
中小企業の創業者が何を生業にしようかと考える場合、一般的には自分の持っている固有技術・技能を活かせる業種か好きな業種を考える。好きなことであれば技能は後からついて来る。すなわち生息領域(ドメイン)を自分中心に考える。一方現在市場で一番求められているものは何かを考えて起業することも考えられる。前者は一般的に余り資金力に自信がない場合で、後者は結構資金力がある場合と考えられる。資金さえあれば、その業種に必要な人材や技術を集めてくることも可能だからである。これなど典型的なオポチュニティ-企業(本稿「経営を診る第13回SWOT」)である。
もっとも起業の動機はどちらでもいいのだけれど、前者の場合、自分でいくらいいものを提供していると考えても、市場がそれを受け入れてくれるかどうかは全くの未知数である。一方現在の市場から出発した企業であれば、その品質に問題がなければ、売れる可能性はある。
オポチュニティ-企業、クオリティー企業の話しと同じく、これも一橋大学の楠木教授だったと思うけれど、その戦略本に、巨人軍や大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀樹選手の成功要因として、彼が数あるスポーツの中で「野球」を選んだことを上げ、もし彼が卓球を選んでいたら、(世界的な選手となったとしても)野球で得たほどの名声や富は得られなかったであろうと書いていた。
ただ、富や名声がついてまわる競技や職業は競争が激しく、母数が大きいだけに成功確率は小さくなる。事業として何を選ぶのかがまず重要であり、そこに経営資源を集中的に投入して長期的な利益を生み出せる仕組みを確固なものにしてゆく。しかし、「何屋である」かに集中し徹底するあまり、時代の流れを見忘れてはならない。米国でのモータリゼーションの到来で時代遅れとなった鉄道事業やテレビの普及で一時期衰退した映画産業の例をあげるまでもなく、事業を単なる「何屋」としてみるのではなく、そのドメインと捉えることも必要である。
ラジオやテレビ、特にテレビの普及でニュースソースとしての新聞の需要は低迷するだろうとか、ITの発達で紙は使われなくなるのではないかとか言われた時期もあったけれど、杞憂に過ぎた。変わるものと変わらぬもの。時代が変わってもいいものは残る。残さねばならない自社技術を使った研究開発、製品(商品)開発力が経営には重要であり、そこに経営資源を集中する必要がある。