老漁夫の詩
人間をみた
それを自分は此のとしよった一人の漁夫にみた
漁夫は渚につっ立ってゐる
漁夫は海を愛してゐる
そしてこのとしになるまで
どんなに海をながめたか
漁夫は海を愛してゐる
いつまでも此の生きてゐる海を
じっと目を据(す)ゑ
海をながめてつっ立った一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いっぱい、
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであろう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとうの人間をみた
此の鉄のやうな骨節(ほねぶし)をみろ
此の赤銅(あかがね)のやうな胴体をみろ
額の下でひかる目をみろ
ああこの憂鬱な額
深くふかく喰いこんだその太い力強い皺線(しわ)をよくみる
自分はほんとうの人間をみた
此の漁夫のすべては語る
曽(かっ)て沖合でみた山のやうな鯨を
たけり狂った断崖のような波波を
それからおもはず跪(ひざまず)いたほど
うつくしく且つお厳(ごそ)かであった黎明(よあけ)の太陽を
ああ此のあをあをとしてみはてのつかない大青海原
大海原も此の漁夫の前には小さい
波は寄せて来て
そこにくだけて
漁夫のその足もとを洗っている。
-『風は草木にささやいた』
『これは、牧師の聖職にあった山村暮鳥(1884-1924)が34歳のときに出版した第三詩集の中の一篇である。山村暮鳥は、決して英雄や天才などの特殊な人間のなかに理想の人間、ほんとうの人間を求めていたのではなく、平凡な人間のなかにそれを求めていた。そして、その理想の人間像とは、「仕事を愛し、職場を愛し、苦悩にたえて、ひたすらに生きる」ことにあった』-榊原正彦氏編「日本の名詩」-
この大自然に比べればわれわれ人間は何とちっぽけなものよ。との感慨が一般的であるように思うけれど、この詩は「否、海よりも大きい」と歌っている。まさに人間讃歌である。
元々そこにあった自然よりも、意志、克己、忍耐、滅私、苦悩、恐れ、努力、夢、希望、創造力、それらを通して得られた人格に寄せる敬意がある。確かに昔の日本人にはそれがあった気がする。政治家に実業家に、学者にそしてこの漁夫のような市井人の中にも。私もそんな人間を遠い昔に見た気がする。
人間をみた
それを自分は此のとしよった一人の漁夫にみた
漁夫は渚につっ立ってゐる
漁夫は海を愛してゐる
そしてこのとしになるまで
どんなに海をながめたか
漁夫は海を愛してゐる
いつまでも此の生きてゐる海を
じっと目を据(す)ゑ
海をながめてつっ立った一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いっぱい、
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであろう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとうの人間をみた
此の鉄のやうな骨節(ほねぶし)をみろ
此の赤銅(あかがね)のやうな胴体をみろ
額の下でひかる目をみろ
ああこの憂鬱な額
深くふかく喰いこんだその太い力強い皺線(しわ)をよくみる
自分はほんとうの人間をみた
此の漁夫のすべては語る
曽(かっ)て沖合でみた山のやうな鯨を
たけり狂った断崖のような波波を
それからおもはず跪(ひざまず)いたほど
うつくしく且つお厳(ごそ)かであった黎明(よあけ)の太陽を
ああ此のあをあをとしてみはてのつかない大青海原
大海原も此の漁夫の前には小さい
波は寄せて来て
そこにくだけて
漁夫のその足もとを洗っている。
-『風は草木にささやいた』
『これは、牧師の聖職にあった山村暮鳥(1884-1924)が34歳のときに出版した第三詩集の中の一篇である。山村暮鳥は、決して英雄や天才などの特殊な人間のなかに理想の人間、ほんとうの人間を求めていたのではなく、平凡な人間のなかにそれを求めていた。そして、その理想の人間像とは、「仕事を愛し、職場を愛し、苦悩にたえて、ひたすらに生きる」ことにあった』-榊原正彦氏編「日本の名詩」-
この大自然に比べればわれわれ人間は何とちっぽけなものよ。との感慨が一般的であるように思うけれど、この詩は「否、海よりも大きい」と歌っている。まさに人間讃歌である。
元々そこにあった自然よりも、意志、克己、忍耐、滅私、苦悩、恐れ、努力、夢、希望、創造力、それらを通して得られた人格に寄せる敬意がある。確かに昔の日本人にはそれがあった気がする。政治家に実業家に、学者にそしてこの漁夫のような市井人の中にも。私もそんな人間を遠い昔に見た気がする。