数Ⅱで「微積」に入ると落ち着きません。
計算のやり方などは、こうやると教えられます。
ちゅーか「教えている」と言えるかどうか。
これで面積が出る、とか接線が分かるだとか、言いつつ
私自身がまったくピンと来ていないのです。
さすがに内心恥ずかしい。
簡単な処は分かったような気がします。
しかし・・・
つまり「分かっていない」!
(山中先生も微積分は、そうみたいですが)
そんな人間に向かって著者の神永正博・東北学院教授が
「これなら分かるだろ」と渾身の力を込めて(・・たぶん)
書かれた新書です。
さすがに「ピンときているかも」という気になりますね。
もちろん、後何度も読まねばピンとなんか来るはずがないし
自分で数式を導けるようにならないとダメです。
式が並んでいて、こう計算すれば、この結論が得られますね
というところがあります。
一回目は読み飛ばしましたが、次はそこを追っかけて行く必要が
ありますね。
生徒に計算をしてみせて「オっ」と思わせなきゃ。
そうして説明していくうちに「ん、ピンときてるかも」と
なります。
俳句を教えるのなら自分で月並みを捻れるようになって
初めてピンときた授業ができるように。
(すべてではありません。「柿食へば・・」は私には
どこが良いんだか)
○
ということでブルーバックス『「超」入門・・』は
勉強になる、面白い、分かりやすい本でしたが
さて、塾を辞める人間に読む必要があるのか?
いつ死ぬかも知れない年齢に近づいて、ごく簡単な
数学が分かって、それがどうした?
死ぬまで勉強、は一応納得しています。
趣味でも新しいことに挑戦していれば楽しいでしょう。
で、それが人間社会に何の益があるというのでしょう?
デイケアで簡単な折り紙を教わって、それが何?(極端かな)
生産に関係がない「消費だけのお荷物」は不要では?
もちろんこれは私だけに向かう話でひとさまのことを
云々するものではありません。
井上はヒドイ奴と思われませんようお願いします。
○
もっと進めば「私の人生って何だったの?」
平凡かつ厄介きわまる自問に辿り着きます。
結論から言うとそれはアポリアで、考えても仕方がない
ことです。
答えがないことを悪魔が次々と問いかけます。
あなたの人生がひと様の役に立ったか?
あのときこうすればという重大な反省はないのか?
知らないうちに自分を愛してくれる人を傷つけてないか?
・・悪魔のワナに落ちてはいけません。
魔女裁判と同じで、どう答えても有罪とされるのです。
そんな問いには近づかないのが一番ですね。
○
でも、ときどき落ち込みますね。「人生って・・」
なぜそうなるんでしょう。
どうしても(自分を高く評価したい)からなのでしょう。
完全否定したら生きていけませんし。
人様のお役にたつ、立派な人になるようにと
学校その他でさんざん教育されてきましたしねえ。
べつに良いんですよ、とか言いながらオンリーワンに
なりなさいと余計なプレッシャーをかけてくれます。
なぜ、暖かくサポートするだけにしてくれないのか?
親ならばある程度やむをえませんけれどね。
○
数学の超入門本からなんでこんな話になるのかしらん?
○
何で役に立たない本を読むのか?
それは面白いから。
腹が減ったら食欲がわくのと同じではないでしょうか。
私の場合は本を読むことぐらいしか能がないようで・・・
計算のやり方などは、こうやると教えられます。
ちゅーか「教えている」と言えるかどうか。
これで面積が出る、とか接線が分かるだとか、言いつつ
私自身がまったくピンと来ていないのです。
さすがに内心恥ずかしい。
簡単な処は分かったような気がします。
しかし・・・
つまり「分かっていない」!
(山中先生も微積分は、そうみたいですが)
そんな人間に向かって著者の神永正博・東北学院教授が
「これなら分かるだろ」と渾身の力を込めて(・・たぶん)
書かれた新書です。
さすがに「ピンときているかも」という気になりますね。
もちろん、後何度も読まねばピンとなんか来るはずがないし
自分で数式を導けるようにならないとダメです。
式が並んでいて、こう計算すれば、この結論が得られますね
というところがあります。
一回目は読み飛ばしましたが、次はそこを追っかけて行く必要が
ありますね。
生徒に計算をしてみせて「オっ」と思わせなきゃ。
そうして説明していくうちに「ん、ピンときてるかも」と
なります。
俳句を教えるのなら自分で月並みを捻れるようになって
初めてピンときた授業ができるように。
(すべてではありません。「柿食へば・・」は私には
どこが良いんだか)
○
ということでブルーバックス『「超」入門・・』は
勉強になる、面白い、分かりやすい本でしたが
さて、塾を辞める人間に読む必要があるのか?
いつ死ぬかも知れない年齢に近づいて、ごく簡単な
数学が分かって、それがどうした?
死ぬまで勉強、は一応納得しています。
趣味でも新しいことに挑戦していれば楽しいでしょう。
で、それが人間社会に何の益があるというのでしょう?
デイケアで簡単な折り紙を教わって、それが何?(極端かな)
生産に関係がない「消費だけのお荷物」は不要では?
もちろんこれは私だけに向かう話でひとさまのことを
云々するものではありません。
井上はヒドイ奴と思われませんようお願いします。
○
もっと進めば「私の人生って何だったの?」
平凡かつ厄介きわまる自問に辿り着きます。
結論から言うとそれはアポリアで、考えても仕方がない
ことです。
答えがないことを悪魔が次々と問いかけます。
あなたの人生がひと様の役に立ったか?
あのときこうすればという重大な反省はないのか?
知らないうちに自分を愛してくれる人を傷つけてないか?
・・悪魔のワナに落ちてはいけません。
魔女裁判と同じで、どう答えても有罪とされるのです。
そんな問いには近づかないのが一番ですね。
○
でも、ときどき落ち込みますね。「人生って・・」
なぜそうなるんでしょう。
どうしても(自分を高く評価したい)からなのでしょう。
完全否定したら生きていけませんし。
人様のお役にたつ、立派な人になるようにと
学校その他でさんざん教育されてきましたしねえ。
べつに良いんですよ、とか言いながらオンリーワンに
なりなさいと余計なプレッシャーをかけてくれます。
なぜ、暖かくサポートするだけにしてくれないのか?
親ならばある程度やむをえませんけれどね。
○
数学の超入門本からなんでこんな話になるのかしらん?
○
何で役に立たない本を読むのか?
それは面白いから。
腹が減ったら食欲がわくのと同じではないでしょうか。
私の場合は本を読むことぐらいしか能がないようで・・・
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