『「超」入門 微分積分』

2012-10-21 10:12:13 | 塾あれこれ
数Ⅱで「微積」に入ると落ち着きません。

計算のやり方などは、こうやると教えられます。
ちゅーか「教えている」と言えるかどうか。

これで面積が出る、とか接線が分かるだとか、言いつつ
私自身がまったくピンと来ていないのです。
さすがに内心恥ずかしい。

簡単な処は分かったような気がします。
しかし・・・

つまり「分かっていない」!
(山中先生も微積分は、そうみたいですが)

そんな人間に向かって著者の神永正博・東北学院教授が
「これなら分かるだろ」と渾身の力を込めて(・・たぶん)
書かれた新書です。

さすがに「ピンときているかも」という気になりますね。
もちろん、後何度も読まねばピンとなんか来るはずがないし
自分で数式を導けるようにならないとダメです。

式が並んでいて、こう計算すれば、この結論が得られますね
というところがあります。
一回目は読み飛ばしましたが、次はそこを追っかけて行く必要が
ありますね。
生徒に計算をしてみせて「オっ」と思わせなきゃ。

そうして説明していくうちに「ん、ピンときてるかも」と
なります。

俳句を教えるのなら自分で月並みを捻れるようになって
初めてピンときた授業ができるように。

(すべてではありません。「柿食へば・・」は私には
 どこが良いんだか)


ということでブルーバックス『「超」入門・・』は
勉強になる、面白い、分かりやすい本でしたが
さて、塾を辞める人間に読む必要があるのか?

いつ死ぬかも知れない年齢に近づいて、ごく簡単な
数学が分かって、それがどうした?

死ぬまで勉強、は一応納得しています。
趣味でも新しいことに挑戦していれば楽しいでしょう。

で、それが人間社会に何の益があるというのでしょう?
デイケアで簡単な折り紙を教わって、それが何?(極端かな)

生産に関係がない「消費だけのお荷物」は不要では?

もちろんこれは私だけに向かう話でひとさまのことを
云々するものではありません。
井上はヒドイ奴と思われませんようお願いします。


もっと進めば「私の人生って何だったの?」
平凡かつ厄介きわまる自問に辿り着きます。

結論から言うとそれはアポリアで、考えても仕方がない
ことです。

答えがないことを悪魔が次々と問いかけます。

あなたの人生がひと様の役に立ったか?
あのときこうすればという重大な反省はないのか?
知らないうちに自分を愛してくれる人を傷つけてないか?

・・悪魔のワナに落ちてはいけません。
魔女裁判と同じで、どう答えても有罪とされるのです。

そんな問いには近づかないのが一番ですね。


でも、ときどき落ち込みますね。「人生って・・」

なぜそうなるんでしょう。
どうしても(自分を高く評価したい)からなのでしょう。
完全否定したら生きていけませんし。

人様のお役にたつ、立派な人になるようにと
学校その他でさんざん教育されてきましたしねえ。

べつに良いんですよ、とか言いながらオンリーワンに
なりなさいと余計なプレッシャーをかけてくれます。
なぜ、暖かくサポートするだけにしてくれないのか?

親ならばある程度やむをえませんけれどね。


数学の超入門本からなんでこんな話になるのかしらん?


何で役に立たない本を読むのか?
それは面白いから。
腹が減ったら食欲がわくのと同じではないでしょうか。

私の場合は本を読むことぐらいしか能がないようで・・・


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