小論指導

2011-05-17 21:51:06 | 塾あれこれ
入試で小論を必要とする場合が増えました。
場合によっては中学受験でもあります。

こんな下手なブログを書いている人間が
作文指導や小論指導をするとはカタハライタイ話
かもしれません。

けれども数学が得意な人に数学を習うより
不得意な人に習うほうが分かることもあります。

私の小論指導もそういう面でサポートできていれば
良いのですが。
(実は、本人=私は小論指導は上手いと思ってて・・)


弁解をしておきますが、ブログは文章を短くするので
論理の正確さなどを欠く事がしばしばあります。

また文章という物は場合により相手により変化します
ので、形式的に正確であっても伝わらなければ0点と
いうシロモノでもあります。

かくいう私も昔は一読、意味不明な独りよがりの
「正確な」月報を書いていたりしました。
あるいは思い入れたっぷりで曖昧さ100%とか。
早い話が「なんか、よー分からん」

恥ずかしいかぎりです。


そんな私は小論を採点なさる側の話が気になります。

基本的には「小論はひどいものを書かなきゃ大丈夫。
小論で差はつきゃせん」というのがホンネです。

もちろん採点する側はそうは仰いません。
配点や採点基準を示され、重要性を強調されます。

ただ、その上で出てくる話が寂しいのも事実。

形式的なことしか言われません。
指定された文字数を気にしろ、とか漢字で減点・・

本来、論理を問うもののはずなのに。

たしかに説明しづらいことでもあります。
大学入試の小論の参考書だって似たような物が
多いのです。
実際は個々に指導しなければ力を上げることは
難しいものかもしれません。


採点をされる学校が塾にむけ小論の説明をするとしても
相手がどのレベルか、どこまで話をすればよいのか
どこからは話をしてはいけないのか
などを考えるとつい形式に触れるだけで済ませちゃう
のでしょう。


しかしこの現実はお寒いものと言えませんか?

論理こそが世界と付き合うツールなのに、
折角「論文が大切だ」と試験をするのに、ねえ。

入試をテコに勉強を深めよう、と思っている人には
形式的な面の指導でお茶を濁すのは可哀そうです。


以前は以上のような感想を持っていました。
説明しづらいから形式を言う、と。

でも、もしかして「採点しづらいから形式中心で」
というのが現実ではないか、という疑念が過ります。

まさかとは思うのですが、万が一、そうだとすると
ずいぶんお寒い話になりますね。


当ブログでは08年6/26 07年7/4などで論理について
触れていますし、他にも書いています。
「小論」と打ってブログ内検索をして頂いても
多少の文が読んで頂けると思います。

結局、「良い意味でのレトリック」なのですが
人並み以上のものにしようとすると決まりきったパタンを
外して見せなければなりません。

その加減に指導が必要なのですね。
短期には力がつきにくい要因でもあります。


写真は植物公園のキクモモ