『ミス・ポター』

2010-08-19 14:38:55 | 塾あれこれ
ビデオに録画していたものを見ました。
放送されているときに見ないで、ビデオにすると
画質が悪くて不愉快なのですが仕方ありません。
タダというのは何か我慢しなくてはなりませんから。


『ミス・ポター』はビアトリクス・ポターの伝記映画です。
ピーター・ラビットの作者ですね。

美しく、まとまった映画でした。

脚色があるとはいえ、典型的な、いかにもありそうという
物語がついこの間まで実際にあったのですね。
今日では古典的すぎる話の展開です。
実話に基づくのだから通用するようなものの。

私が生まれるほんの少し前まで御存命でした。
(第二次大戦中に亡くなられています)
ヒイ祖父さん、祖母さんの時代ですから
そんなに昔じゃありません。


彼女がナショナルトラストの初期に果した役割はあまりにも
有名ですが、若いころの私はそんな知識もなく
絵本の人気作家くらいの知識しかありませんでした。

絵本そのものが、思春期の少年にはすでに卒業した世界で
関心がありませんでしたので、大人になってからやっと
再び手に取るようになったのです。
絵本のブームでもあったようですね。

私はごく平凡に「クマのプーさん」とか「ピーターラビット」
がお気に入りでした。

特にイギリスで出版された「ピーターラビット」は印刷が
良いでしょう?
当時の日本の技術では大日本のような処でも印刷が平板で
まるで子供だましのような製本でした。
本当は子供にこそ真に良いものを与えるべきなのに。

あたかも裏山でウサギを見つけたようにして
洋書を扱う本屋でピーターラビットと出会ったのです。

おやこんなところに、キミ?

こういう思いがけない対面は強く印象に残りますね。

十年前、家から徒歩数分の小山でキツネと出会ったときも
ワクワクしてしまいましたが、よく似ています。

そんな気持ちにさせるところがポターの作品にはあり
長い人気の秘密なのでしょう。

冴えない大人が買うには絵本が可愛いすぎると云うか
私には似合わないことでした。
居もしない彼女への贈り物のような顔をするしかありません。


それらが今、手元に残っていません。
母の家に置いたまま処分しちゃったかなあ?

これってペット遺棄にあたるかもしれませんね。


映画の話がとんでいました。

よい画質で見ると、きっとイギリスの湖水地方の美しさが
堪能できるのではないでしょうか。
それだけでもモトが取れそうです。

この景色を守ったポターにも改めて感動しますね。

俳優その他悪くありません。
損をしない映画でしょう。
びっくりするようなインパクトを期待する類の映画
ではありません。

『太陽の科学』

2010-08-17 11:14:12 | 本の話
NHKBOOKS『太陽の科学』
柴田一成著

探査衛星「はやぶさ」がヒーローになっていますね。
情緒的な報道が多いようですが、関心が高まることは
悪いことではありません。

それにしても帰還してからのフィーバーは予想以上。
日本人も自慢できるものが欲しいのですね。


『太陽の科学』
日本は惑星探査だけじゃなく、太陽観測や理論でも
優れているぞと教えてくれる本です。

観測衛星『ひので』も国民的認知を得られるかもしれません。
柴田さんによれば太陽観測衛星でも日本は世界の最先端に
あるそうですから。

太陽の構造を観測し理論づけをすることにおいて
日本は世界の先端を走る国の一つなのです。

ノーベル賞などのビッグな評価があれば
皆の目もきっと変わるでしょう。
小柴博士みたいに。


太陽の構造とか黒点、フレア・・
こんなものが分かっても、と思われますか?

身近なところでは磁気嵐や大停電とか
黒点による地球の気温変化とか
我々に直接的な影響があることです。

太陽の研究は星の研究につながり
宇宙の構造や進化、生命のなぞ、
地球の変化と太陽活動、人類への歴史的影響など
幅広いつながりをもってくる科学なのです。

地球温暖化はCO2だけを疑うか、は興味ある説
ですね。


写真や図版も多く分かりやすさを考えられた本ですが
それにしても学問って新書で入口を覘くだけでも
いやになるほど難しいものですね。
あったりまえだけど。

自分のノーミソがつくづく情けない。

ま、とりあえず難しいとこはトバシャいいんだ・・っと。
いつかまた読まねばならんけど。

『大黒屋光太夫』

2010-08-16 10:01:18 | 本の話
ふだんと逆向きの話です。

どうにも読む気が失せてしまった。

もともと、書評をするなどという大それたことを
当ブログで出来るわけがありません。
さすがにそこまで自己過信はしていませんから。

書評は世の中にいくらでもありますしね。

よってこの本の良し悪しとか、出来がどうこうと
申し上げるわけではありません。

とある本と私の関係を、日記あるいは覚えとして書き
つけるのですから、悪口ではないと申しておきます。


読んでも詰らなかったものは当ブログには触れません。

また面白く読んでも、内容が偏り過ぎたものなど、
ここで取り上げづらいものもありますね。


今回取り上げる『大黒屋光太夫』は山下恒夫著
岩波新書です。

小説やドラマなどでも有名ですから、あえて新しく
読むことでもない、のですが、少し前にも書いたように
「知ってるつもり」ばかりではよくありませんから、
勉強し直し知識の整理をと思いました。

岩波新書はカバーの折り返し部分に本の内容を簡単に
紹介してあります。
25文字程度6行に書いてあるものから最後の部分。

「・・数奇な漂流・漂白の軌跡を新資料を交えて描く」

で、期待して読み始めますよね。

序章のうちから「ん??」
第一章は「え~?!」

なんでそんな細かい所まで分かるのか。
どんな史料が残っているのだろう?

それにしても新書のわりに、どういう史料から書いているか
引用しているかが明示されていないなあ。

どうしてこれが分かるのだろう・・

え?これって、小説?
まさか、
だったら「小説・大黒屋・・」とするはずじゃん。。。

副題を見ると(帝政ロシア漂流の物語)

あら、物語となってる。

けれども、創作じゃなくても物語と表題をつけることも
ありそうですよね。
「戦争孤児にはどんな物語があったのか」などと言います。

変だなあと思い念のため「あとがき」を先に読んでみました。

すると、8頁ほど書いてある中に、一行、部分的には
「やむなく、仮説を立て小説風に書くことも試みてみた」
と書いておられます。

「明け方の寒さに、光太夫が思わず身震いすると、懐中より
 首を出したネコはニャンと一声鳴いた」

などという文章を頻繁に挟む言い訳らしいけれど・・・

何が新資料に基づくのか、どこが筆者の「仮説」か
分かりません。

そのときネコがいた史料があるのか。
そこに「ニャンと一声」とあるのか。

ネコは史実だが、ニャンだけは創作してあるのか。
この一文が「やむをえない仮説」ニャのか。
下らない所で悩まされてしまった。

なぜ小説にしなかったのか、理解に苦しみますね。
「ニャンと一声」を書きたかったようですから。
書く方は気持ちがよいのでしょう。

きっと小説を書きたいのでしょうが、すでに別の小説家が
新史料に基づく創作をし、ヒットしています。
過去には井上靖の名作『おろしや国酔夢譚』もあります。
小説ではそれらに対抗できないと思われたのでしょうか。

しかし、新書で小説もどきとは読者をペテンにかけることに
なりませんかねえ。

続きを読む気にはなれません。

この人たちは何のための節電と考えてるんだろう?

2010-08-15 10:08:19 | 塾あれこれ
全国ネットの民放TV昼の番組です。
チャンネルを換えていたら「節電の達人」がご出演で
一戸建てでも一般家庭の1/2以下にしているとか・・
どんな風に?と、暫く続きを見ることにしました。

玄関が網戸、玄関を入っても電気はつけてない、
当たり前ですねえ。こまめな節電。。。

すぐに切り替えてしまいましたが、何かスゴイ技が
そのあとに出たのかもしれません。
けれど、普通の人間にできるスゴ技ってのは、まず
ないので続きを見る気になれなかったのでした。

TVを見なけりゃ節電になりそうだけれども
それはTV番組では放映できないでしょうねえ。

ま、何にせよ、節電は悪いことではありません。
(景気には悪いか・・)


気になったのが、このTV番組での次の紹介。

「この○○さんご一家はこうして節約した電気代で
 今までに何度も海外旅行に行かれたそうです。」

じゃあ、ちっともエコじゃないじゃん。
ジェット機の石油は関係ないのかしら。
ご一家の旅行とは関係なくジェット機は飛ぶから
気にしない、のですかねえ。

そちらさまのお金をどうお遣いになられようがご自由
ですが、番組全体として、TV局としてエコの姿勢は
どうなっているのでしょう。

(TV局のエコ感覚ってその程度だったんだ)

自分たちの金だからと言って好き勝手にするのではなく
環境に良い使い方を考えるべきでしょう。
将来の地球人にむけての責任がありますから。

全ての海外旅行が悪いとは言いませんが、アメリカの
人々がエコを考えない消費生活を続けている、
そんなマネをすることはないでしょう。

と、ここまで書いて、外国旅行をしたことがない者の
ヒガミがあると気付きました。

私は地球のため、信念で海外を封印しているのではなく
ただお金がなかっただけなのですから。

私たちもまだ体力など余裕が少しはあるうちに遊んで
ハッピーに過ごすのがよいのかしら。
無理すれば何とかなるかな?

しばらく前に観光客らしいドイツ人のお年寄りを
見かけました。
中国の仙人のような、お山参りのような、身の丈ほどの
杖にすがるようにしてこの極東の町をお歩きでしたが
フラフラの海外旅行ってどうなんでしょうか。

私などには考えられない、体力というか気力というか
たとえお金があっても無理ですねえ。

太地町の記憶

2010-08-14 14:23:02 | 塾あれこれ
私たちが太地を訪れたのは1993年。二十年近くも前です。
上の半券から分かるように消費税がまだ3%でした。

イルカが池から身を乗り出すようにこちらを見ていた
のを鮮明に覚えています。

旅程の関係で勝浦から遊覧船に乗ったのですが
クジラ博物館だけでも見ておきたかったのです。

シーズンオフで客もほぼいない寂しい雰囲気でしたが
展示そのほかは好感が持てるものでした。

最近は例の映画騒動から脚光?を浴びる太地ですが
もっと前から日本人が伝統を考えておけば、妙な連中
からのイチャモンにも対応が違っていたかもしれない
と思うのです。

日本人がクジラ文化を忘れかけていたからつけ込まれた
と思うのですがいかがでしょう?
人の弱みにはすぐ食いつくんだから。

念のため申しますが、現在の私は鯨を食べようとは
思いません。
しかしヤクザまがいのガイジンに脅されるのは
不愉快きわまりないものですね。
鯨に関する日本文化は守らねばなりません。

動物保護運動もホエールウオッチングなどと言って
いる間はそれほどとも思わなかったのですが
近年のロコツな感じは、世界中がイラついていると
いうことの反映でしょうか。

「お前たちには避けがたく人種差別がしみ込んでいる」

これはハッキリと日本から言わないといけません。
黙っていると、連中はつけあがるからです。

とはいえ、じゃオジサン何かできますか?と言われると
ハハ、困ってしまうのですが。
 

人間の頭って固いもので
いやプロレスの話じゃなくて、脳みそ。

たとえば私は動物園が苦手です。
狭い檻に閉じ込めて、と思うのです。
理屈では様々に考えられても、感情の反応はワンパタン
になっていますね。

自分のことを棚に上げるのは、人間が生きてゆくのに
必要な悪かもしれません。

ですから、アメリカ人が環境に悪いことをさんざんして
おきながら、イルカが可哀そう、とかいうのも人間なら
ありうる反応であるとは思います。

山ほど家畜を食いながらです。

しかし、~かもしれない、と反省をめぐらすこともなく
「黄色いサル」に見えるものに向かって反感を持つのは
間違いのない差別で、これに関してはこちらから言わな
いと気がつかないことであろうと思います。

差別感を認識しながら、イルカを守れと言ってるとすれば
それはかなりなものですが、どうでしょうか。


小学校で同じクラスだったAくんは、広島ではちょっこし
有名なエコ生活を送っている人間です。
月、数万で暮らしているとか。

魚を釣り、鉄砲で鳥を撃ったりもするそうです。

それを自分で捌く。

そうすることで、人間は他の生き物の命を頂いて
初めて生きられるということを意識するそうです。
かれらに感謝できるとしみじみ語りました。

血が流れてる、かわいそー、じゃないんですよね。

『カメのきた道』

2010-08-13 10:05:20 | 本の話
NHKブックス平山廉著『カメのきた道』
この類の本としては出色の一冊です。
未読の方、是非お読みください!
面白いこと、請けあいです。

副題に(甲羅に秘められた2億年の生命進化)とある
ようにカメの先祖の化石を調べ、現代までの進化を
研究する学問だそうです。

実は、カメって面白そうでないし、その化石でしょ、
長いカタカナがついた馴染がない古生物は??

そこで初めの20頁程はノラなかったのですが、
すぐに面白くなり一気に読み終えてしまいました。

ベストセラーになったのかなあ、快著、名著です。

なるべく読みやすくと書かれており、なおかつ本の
流れがよくできていますから筆者の思いが伝わります。

学者としてこう考え、研究を進め、生きてきた、
それが明晰に著されているのです。
定説になっていない研究部分などでも、ご自分はこう
考えるとされている処が分かりやすい(そうかもね、
と思える)所以でしょう。

読む側からしてみれば、なぜ学問をしているのか
学者とはどんなイキモノなのか、何を面白いと思い
どういう風に研究を進めているのか
こういうことがありありと伝わるのです。
そういう人生もアリだなー。


古代に滅んだカメを研究して面白いの?
何か役に立つの?

「カメのきた道」をたどりながら、それらの答えが
明らかにされてゆくところがこの本の醍醐味です。

カメの事などちっとも知らなかったので、新しい知識、
興味をおこさせる話にひかれるうちに、学問とは、と
いうことを教えて頂けるのですね。

興味を持つ子なら中学生でも高校生でも読んでみると
将来、学者への道を導いてくれるかもしれません。


学問とは何か役に立つことをすること、と限ると
人間の進歩が止まってしまいそうです。

したがって功利的なことを表面に出して、この学問は
よいとか、よくないとか言うべきではないのでしょう。

でも、こういう役に立っています、というのが
はっきりしていて悪いことはありません。

他の学問とのかかわりについての目配りも行き届き
「なるほどこうして学問の正しさが保証されるのか」

さらには現代社会の諸問題への考察を導きます。
カメのきた道から、ヒト・地球の道を考えましょう。

台風がすぎ日差しが

2010-08-12 09:59:57 | 塾あれこれ
遠い所を過ぎる台風は難しい。
結果としてこの辺りは多少の雨風で終わりました。
今朝は日が差しています。

昨日も昼過ぎまでは雨も降りませんでした。
洗濯物を干して外出され夕刻からの雨に祟られた
おうちもあちこちに見かけましたね。

あらしが近づく空模様で雲は低く空も街も灰色。
生温かい南風がときおり強く吹いていました。
サルスベリの赤い花がほろほろと散ります。
早めの散歩で歩いていますと花祭り、
桜ふぶきならぬ赤い花の洗礼です。

灰色の世界に佇むシラサギには蒼みが差していました。
見慣れぬ鳥も多くいましたが、カモメの乱舞が印象的です。

中洲に降りた大きな鳥にカラスがちょっかいをしています。
嫌がって少し離れた所へ逃げるときにミサゴらしいと
分かりました。クタビレテいたのかなあ。
体が半分くらいのカラス一羽に構われているのです。

南風に瀬戸内の海も絶え間なく白波が寄せてきます。
つげ義春の絵にでも出てきそうな灰色の海。
沖で強い風にホバリングをしているのもミサゴらしい。

暫くしてバラバラと強い雨が降り始めました。

海の景色を見ていれば、つげの世界が見えたでしょうか。

「これは食えない」

2010-08-10 10:18:44 | 塾あれこれ
珍しくカミサンが「これは食えない」と言います。
とあるカウンターだけの小さな店の昼定食。

先日、初めて飛び込んだ店でのこと。

早めの墓参りが祟ったか、盆に魚を食うなということか
一応ネットで数軒チェックしておいた店の一つです。
観光地でもあるので、大外れは覚悟の上ですが
「食えない」は珍しい。

とはいえ私も尾道で「食えない」ものに出会うことは
ありましたから何もここ一軒ではないようです。

ただこの店は、客も多かったのです。
「どこでもよいから空いた所へ飛び込もう」ではないので
ちょっと驚きますよね。

「ぐち」の一夜干しを一尾焼き魚にしたものでした。

たしかに旨い魚ではありません。
おっと、好きな方もおられるでしょうから訂正。
好きな種類ではありません。

カマボコになるようで見栄えの割にはお安い魚です。
独特の匂いがありますね。

私は尾道育ちですから「懐かしい」
よく食べさせられたなあ、と思い出しました。

幸いカミサンと別のものを頼んでいましたので交換し
お店には失礼をしないで帰ることができましたが
予め「魚は何ですか」と聞いておくべきでしたね。

(ネットの評判とは味だけでなく接客その他も大きく
 異なっていました。
 ネット→御店探訪、に慣れていないようです。
 「観光地尾道」ではよくあることで残念ですが)


おおざっぱに言うと
社会人になって東京に行ってしばらくは
 「東京はなんてまずい」
それがそのうち広島に帰郷するたび
 「広島はまずいな、田舎だな」
30過ぎてまた広島に住むようになると
 「やはり地元が旨い」

住んでいるところが良いのですね。

舌が風土になじむのです。

絶対的に旨い、不味いはありますから
それは排除した話です。
慣れないものは美味しくない、ことが多いですから
それも除外しておきましょう。

気分の問題もありそうです。
東京は食の頂天、田舎は落ちるとかね。
一種の差別感です。
案外無意識にありますね。

食文化も相対的であることを忘れてしまうのです。
旨いまずい、ではなく好きか嫌いかなのですが
妙に自信がある方が多くて。
「私の味覚は絶対!」とかねえ。


ということを押さえておいて先のグチに戻ります。

確かに好んで食べる味ではありませんでした。
こういうものを供す場合は工夫がいるものですが・・
イチゲン、観光客、などどうでもよいお店なのでしょう。

(尾道は、これじゃ。気に入らんなら来んでええ)

無神経と言うか。
観光地がそうなってしまうのは客も悪いので
鶏と卵の悪循環版。

『シェークスピアは誰ですか?』

2010-08-09 10:52:07 | 本の話
とある時期から新書のブームというものがあり
売れたのかどうかは存じませんがチマタには
新書がたくさん発刊されているようです。

うわさによれば粗製乱造になっている本も少なくない
とか。

興味をもたれやすいテーマで、そそる題をつけ
さっとまとめておけば、読者のウンチクが増える
ということでしょう。
TVのクイズ番組と似た心性がありそうです。

以前は、分かりやすく書いていても、筆者の一生分の
裏付けがあるような本も多かったのですが。


村上征勝著『シェークスピアは誰ですか?』文春新書
副題は(計量文献学の世界)

文学を研究するのに統計を持ち込んだら、という学問で
個人的感想や独断の世界に、一定の客観を持ち込むもの
でしょう。

しかし結局、補助手段にすぎない学問ではないか、という
失礼な感想は否めません。
説得力不足というか、
本当に証明できてるのかな?と思えるのです。

さらりと読めてしまう、私の方に問題もありそうです。
「もっと考えて読め」とお叱りを受けそうな気もします。

いえ。そうは言っても、面白い本でした。

たとえば
「ペンで書く文章と、ワープロで書く文章と
 文体に違いがあるか?」

漢字の使い方は変わるか?
文の長さは?

これは、文章が目的であり手段が変わっても・・という
くらいにしておきます。
後は本をお読みください。


それよりも縦書き横書きの方が日本語にとっては
深刻な問題がありそうです。

確かに文章が変わりますから。

めんどくさがりの方でも、一度(縦のものを横に)
などの作業をされてみたら面白いと思います。
少なくとも文章の一部を変えねばならないことは
よく分かります。

詩などは深刻ですねえ。

計量文献学では取り上げられておられるのかしらん?

ゴキブリが出た

2010-08-08 07:38:54 | 塾あれこれ
夏の虫といえばセミ。
ですが、ゴキちゃんも忘れてはなりません。

人の生活環境がきれいになったせいか昔よりは
目にすることが減ってしまいましたね。

『あたしンち』15巻にゴキブリの話があり
笑いつつも、最近は縁遠いぞと思っていました。

・・たら、出た。

邪推するに、一軒向こうくらいの大きな家が建て替えで
解体中。
ここから逃げ出したのではないか?

ガシャガシャうるさいうえに、地響き立てるはホコリも立つは
ゴキブリまでまき散らすとは!

ダニなんかも周りに移動するのでしょうね。
やだやだ。

とはいえ、立場を変えれば我が家だってご迷惑をかける
場合もあるかもしれないので「御互い様」です。


子供のころは数センチはあろうかという大きなゴキブリばかり
見かけていましたが、近年は小さいタイプも増えていると
聞きます。
チャバネゴキブリというのかな。

こちらの方がクロより汚いイメージが強いのは勝手な
思い込みかなあ。

独身時代、三鷹のアパート。
クーラーなんてありませんから、窓を目いっぱい開けてると
バサバサっと飛び込んで来やがった。

飛ぶのは初めて見たのでたいへん驚きました。

あわてて新聞を丸めて・・ばこばこやっても空打ち。
壁ぎわでは当たっても効かないし。

だいたい、人の目に触れるところに出てくるのは
クタビレていたりして動きも鈍っています。
一発で昇天させるべきですが、慌てるとねえ。


この何年も我が家では見かけていなかったゴキブリ。
化学薬品などには頼らずエサになるものを排除するのが
一番良いそうです。

久しぶりのゴキブリは元気が良かった・・・

ぜったい工事現場から逃げてきた「現役」だったのでしょう。
やっとの思いで退治したら、あとからネコが見にきた。

(どしたん?)

きっと物陰から様子を見ていたに違いありません。