教えない、をやり難い場合

2011-10-30 12:11:37 | 教えない
「先生この問題は何を1と置くんですか」

私は内心
何度も言うように、それは質問じゃないんだけどなあ。
第一、私が「~を1と置く」なんて教えたか?
家で教わったのかなあ。

実際にはこう言いました。
「何を1とするか、それを考えるのが勉強じゃん」
あまりよい言い方じゃないんだけど。

この場合は、そう言い得るまでになっている生徒だから
まだ良かったのです。

そこまでに到っていない生徒の場合、どうするか。

学習を遡って改めて勉強をしなおしてもらうか?
(個別指導なら可能)

もし時間が取れない場合はどうする?

家でお母さんがそう聞かれたときにするように
「・・こう書いてあるじゃん、だったら?
 そう、○○を1にする、ほら出来たじゃん」

これでも発展途上の生徒ならば悪くはないのでしょうが
(自分で考えない)現代の多くの生徒群へむけて
同化する方向へ後押ししていることにもなりかねません。

何を1とするか聞かないとまったく動けないのです。
教わったやり方をあてはめることが出来ないから。

楽にこなすことが出来ないとすぐ嫌になるようです。

「できない→分かんない→勉強しない」

昔なら「なに甘えてるんだ!」だったのですが。


算数で割合がからむ文章題だとしばしば「~を1とする」
から説明し始めることがあります。
問題集の解説などでもまだまだ見かけるようですね。

教わるほうもすらすらと流れるので何となく分かった
気持ちになりやすい。
類似問題はスラスラ解ける。
ちょっと変わったのに出遭えば、何を1とするかだけ
教えてもらえばあとは「出来ちゃう」

さて、本当に分かっていると言えるのでしょうか。

何を1とすればよいのか、どうしてそれが見つかるのか
算数って分からない、となる恐れもあります。


いやそれほど恐れなくても大人になれば割合も
何とかなっているものです。

具体的な数字や研究は学者にお任せして(いっぱい
研究はなされていて不勉強な私が知らないだけか)
なんとなくカンで言うのですけれど、普通は
大丈夫だろうと思います。

100%完璧に分かる、なんて必要ありません。
先になって理解も進むことが多いのです。

ただね、やはり気になる生徒もいます。

この辺りで算数から離れる子もいそうですから。

「だから」便法だけれども(1と置く)方もおられます。
とりあえず(分からせて)おこう、離れてはいけない・・

でもねえ、考える子になってほしいから。
もしかすると考えなくなる材料を与えているかも。
時間はかかるけれども割合を丁寧に教えたいと考えます。
(無理にやり過ぎても嫌いになるので要注意)

このあたりから「教えない」方向に導くこともあります。


良くないケースは
  ①分からない
  ②家で聞く
  ③~を1とおく・・分かった分かった
  ④考えなくてもハウツーですぐ出来る
  ⑤学校や塾で分からなくても家でおとーさんに
   聞けばよい=集中が薄くなる

こうなると、普段、考えてくれなくなるのです。
必死にならない。
「教えない」も有効になりません。

繰り返しますが、成長してゆけば大丈夫とは思います。
いつか行き詰まらなければよい、と願うのみかなあ。
やはりそれだけではいけませんよね。
(つづく)


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