天声人語さん、そりゃあない

2010-07-23 15:23:35 | 塾あれこれ
ご婦人の背中にゴミがついていたら注意できます?
睨まれるに決まっているから黙ってますよね。
年齢を重ねるといろいろなことに「言わんとこっと」
が増えるのが普通です。


少し前の天声人語にこんなのがありました。

新聞の投書欄にのった若いお母さんの「声」に
同情されたのだそうです。

件のお母さん、子供を連れて電車に乗っていた。

とある駅で年配の婦人が降りしなに、お母さんへ
「子供、うるさい」と怒られたそうな。
思いもかけぬことにショックをうけ投書のお母さんは
以後、外へ出られなくなった!

天声人語の筆者は、若いお母さんと言うものは子供が
周りに迷惑をかけていないか気が気でないものだ、と
書かれます。
その気持ちを察して、周りの大人は懐深く優しく
接してあげたいものだ、と。


なるほど、大人の立派なご意見。
我々も相手の気持ちを思ってあげねばなりません。

でも、なにか引っかかるなあ。

ABふたりの当事者がおられます。
おおむね4通りのケースがありえますね。

ABともにそれなりの言い分があり正しい。
片方が正しく、片方に非がある。
ABともに問題がある。

細かなバリエーションがつき色々な場合があります。

片方の投書だけでは実際にどうであったかは不明です。

どうして一方的に投書母さんの応援をされるのか?

一般にマスメディアでは、若者と老人だと若い方を
もつほうが「受けがよい」からでしょうか?
若さを許すのが「大人」とされているようですねえ。


でも、それが巡り巡って子供の甘やかしにつながる
のではないか、というのが、かねてからの疑問。

いま、子供のわがままが目立つと思いませんか?
親がそれを生んでいるのでは、という気もします。
(もちろん一部の親です)

ヘンな世の中ですから「逆切れ」もオトロシー。
そこで、言わずに済ます、のが普通の人でしょう。

投書のお母さんに文句を言われた方も、そうしようと
我慢をして、こらえきれずに言われたかもしれません。
(真実は「藪の中」ですが)

大新聞の看板コラムでどうして一方的に投書の味方を
されたか、分からないんですよね。

人間、それも他人同士では意思疎通は難しい。
いき違いもしばしばあり得るでしょう。

相手に間違いがあって、こちらとしては腹が立っても
通常は「やむを得ないか」というのが大人でしょう。
いくら若いお母さんでも、一応よい大人ちゃう?

大人が、それをわざわざ投書するかね?
「怒って逃げた」婦人への仕返しでしょ?結局。

それを天下の天声人語がとりあげ
なおかつ「お母さんに優しく」・・とは。

多少話が飛躍しますが、天声人語の筆者のような姿勢が
投書のお母さんのような人間をはびこらせ
その子供がけっきょく・・


会社でも教育をすべき世代が若いものを甘やかしてきた
それが今のダメ日本を招いているように思うのです。
証明はできませんが。

嫌われても言い続ける義務が年配者にはあるのに
「我が身可愛さ」で、定年まで何とか勤めればよい、と。
嫌われるってヤなもんですからね。


こんな憎まれ口を叩いて私には何の得にもなりません。
それどころか、反営業的で、またカミサンに叱られます。

でも、営業のために知らんふり、って我慢できない性格。
因果なものであります。

ここまできたら嫌われても良い。
どうせ小言幸兵衛。
「食人」はしたくないからねえ。


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