御岳山麓・幻の濁川温泉

2011-03-18 10:27:28 | 塾あれこれ
社会に出てしばらくのころ、長野県の秘湯「濁川温泉」
をたびたび訪れていました。

御岳山麓の深い谷に一軒だけの温泉宿、
非常用発電以外は電気がなく、夜はランプ。

近頃は「観光用ランプの宿」が流行りのようですが
こちらは正真正銘ランプしかない温泉宿でした。

客が少ない時には囲炉裏端でお爺さんと一緒に食事。
ちびりちびり飲む酒は確か「真澄」。「七笑」?
肴も。
囲炉裏で焼く川魚の熱々、串からすっと抜いて供されます。
自在かぎで吊るしてある鉄鍋の煮物、
漬物。

まずかろうワケがありません。美味い!!!

そして何よりもお爺さんの話が「豊か」でした。

(片足がご不自由だったか多少歩きづらそうでしたが
 戦争ゆえかどうか、聞けませんでした。
 優しい笑顔の方で今も声が思い出せます。
 でも、何かでビシっと叱ると怖かったかも)

通ううちに息子さんが結婚され、宿の手伝いも
夫婦でされるようでした。

多分、お爺さんの名前が半場千秋さん、
何度かその名前で予約承諾の封書を頂いています。
葉書じゃなくて封書、長い手紙でした。


濁「河」温泉というのも同じ御岳の山麓にありますが
こちらの温泉街は宿も十数軒はあるようで
濁「川」のほうが秘湯らしかったのではないかなあ。


70年代に新宿駅を真夜中に出る夜行がありました。

(国鉄)の木曽福島駅下車。
そこからバスで王滝村まで行き、あとは温泉が手配した
車で山道をくねくねと4~50分(もっと?)

そして何もないところで下ろされて「ここから歩いて」

指さされた先には一人がやっと通れる道が谷底へ
向かっていました。

下ること15分くらいかな、ぬれ落ち葉で滑り易い道を
やっと辿り着くと明治時代の写真にでも出てきそうな
木造二階建の屋根が見えてきます。

冬は宿が閉められるのでいつも一面の緑に囲まれた宿
のイメージしか残っていません。
(万緑)っていうのはこれか!

ざーざーと水量が豊富な岩だらけの川に面して湯殿が
あり、少しぬるめなので長時間ボーっとできる温泉。

川向こうには、かつて営林署のトロッコが走っていた
のですが、私が通っていた70年代には取り外され、
線路や浮いた枕木だけが残っていました。
昔は鉄路を歩いたものだったそうです。


仲間と行っては毎回のように喧嘩、トラブル
腹立たしいことも沢山起きるのにまた行きたくなって
みんなに声をかけてしまいます。

「濁川、また行かない?」

仲間とは別にも高校来の親友と二人旅をしましたが
彼はそれほど感動しなかった。
都会派だったからね。

私だけが特別に好きな、波長が合う宿だったのでしょう。

一人で構わないから、なぜもっと行っておかなかった?


私は81年に広島に戻り、縁遠くなっていた濁川温泉が
84年に忽然と消えてなくなりました。

直下型地震で御岳の片側が大きく崩落し、土石流が
谷を埋めたのです。
宿の方も何人か行方不明。

NHKの画面に映る温泉跡は土とゴロゴロした石の
砂漠のようで、谷全体が無くなっていました。


今年、東京外大に通った子が中学受験で塾に来ていた
04年にインドネシアの大津波がありました。
彼女のアメリカンスクール時代の友達が津波で行方不明。
ついこの間のことに思われます。

今回の東日本大地震ではカミサンの親友の御主人が
地震に遇われ、避難した屋上から流れる家を見たそうです。

大災害はいつも身近にあるようです。
遠い出来事ではありません。


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