処理が速ければ賢い生徒か

2011-09-22 14:57:12 | 教えない
いつまでたっても改善が進まない「塾教育」に
心配を抱きます。

例えば、生徒は処理が速ければそれでよいか、と尋ねれ
ば多くの方は「それだけでは」と留保されるでしょう。

暗記が得意であれば・・、などでも同様です。


十数年前、進学塾で講師をしていたころには
実はかなり重視していた能力です。

どこの塾だって同様でしょう、
何もジツハなんて言う必要はありません。

当然すぎることとして、若いうちはそれについての是否を
考えることもありませんでした。

もちろん、冒頭のように、そこだけを訊かれれば
「重要です、ただしそれだけではありません」と無難に
答えたでしょう。
たしかに間違ってはいない答えですよね。

スピードも大切ですが、それだけでよいのかという思いが
ありますから言葉を濁すのですけれども。

で、この十数年で事態が好転してきたか?

塾業界だけに限って言いますと(推測でしかないので
申し上げにくいことではありますが)
どうも実情は何も変わっていないように思えるのです。

それどころか逆にますます速さや記憶力ばかりを
鍛えているように見えることもあるのです。

受験に関しては手っ取り早く有効なこと、というのは
変わっていないようですね。


処理スピードが速かったり、記憶力が良い生徒は
学習における他の能力も高いことが予想されます。

もちろん、処理は速いが応用はからっきし、なんてことも
ありますけれども、パパッと処理出来る子は他の能力も
高く、おおむね「賢い生徒」のほうに入るでしょうね。

これは大学でも社会でも、ある程度あてはまることでは
ないでしょうか。

いまだに東大京大といい、将来にプラスであろうとして
公立校も私立も塾もみな目標をそのレベルにおきます。

企業だってやはりまだ東大京大。

とある学習能力が高ければ、それにつながっている部分も
優秀であることが多いので判断基準として有効なのです。


しかし、では、処理スピードがそれほどでもなかった人を
訓練して速くすれば、周辺の能力が高まっているか?

暗記法をマスターてそれだけでテストの点を稼ぐとしたら
考える力は育っているか?

「東大を出ててもなあ・・」
という原因の一つではないかと疑うのです。


それなのに百マスやら速読やら、スピード信仰が流行り
あたかもそれだけで良いかのごとき空気があります。

皆さん口では「いやそれだけではありません」と言われ
ますが、思考力や想像力を(どのように)育てるか
手だてがないまま、周りと同じようなことでお茶を濁し
官僚と同じように退職までの保身を図ります。


「教えない、ですか。
 ん~、良いんじゃないですかネ。
 信念がおありなんでしょう・・」

いっぺん聞いてみたいね、
「で、あなたは具体的に何をやっておられる?」と。


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