前回、一人では判断の偏りが出る恐れがある、という話をしました
が、逆に一人では、情報交換時の間違いが少ないという利点があり
ます。
人の間で情報を交換すると、言葉、記号としての伝達をいかに正確
にしても、情報の出し手と受け手で齟齬が生まれてしまうのです。
同一の言葉について、両者で意味がズレていることがあり、それが
上記の齟齬を招く一番大きな原因でしょう。
「Aですね」「はいAです」
と情報を受け渡したとき、ごく単純な、物品発注などでは食い違い
は起きません。けれど少し高度な内容だと危険性がでます。
塾らしい例えを挙げてみます。(私の経験ではありません)
「ガツンとやってください。塾にお任せします」「承りました」
の話があって、何かで実際にガツンとやったとします。
「こぶができるほどのことを、いつ了承しましたか!」
こちらの「ガツンとやる」とあちらの「ガツンとやる」の内容が
違っていたのです。言葉としては正確に受け渡しても、そこに
どのような意味がこめられているか、案外、ズレはあるものなの
です。
「宿題をちゃんとする」こういっても、人によってどの程度のこと
までを「ちゃんとする」というのかが違うわけです。
「家で勉強、勉強といわないで下さい」
「ええ、極力言っていません」
さて。お互いのイメージは同一かどうか?
◎
一人の塾では、自分の頭の中で認識のズレはおきませんから、
二人以上の組織で起き得る内部伝達でのリスクはありません。
けれども保護者、生徒との情報交換はありますから、そこでは齟齬
が起きることもありえます。
お互いの理解のズレを少なくする目的もあり、私は保護者の方との
懇談を多く持つように努めています。
(少し塾の事を書きますが話の必要からですのでご容赦下さい)
1年間で5回(塾を始めた頃は6回)懇談いたします。1回30分
から1時間。
お勤めなど、ご多忙な方もいらっしゃいますので強制ではありま
せんが、日時も調整し、毎回9割程度の方とお話できています。
年に1~2回の方もいらっしゃれば、毎回の方もおられます。
保護者の方にご足労いただく毎回のご面倒は申し訳ないのですが
顔を合わせての対話は、疑問があれば確認でき、意思疎通を行い
やすいのです。上記の、お互いの認識の違いがあればそこで修正
いたします。
書いたもののように一方的でないことが良いところですね。
また、面談は表情その他の情報量も多いので、お互いの意思疎通
としては一番よい手段でしょう。
とはいえ、ジツは、それを何年も続けても、食い違いを完全には
解消できないこともあると思います。
まあ、夫婦ですらズレることがよくあるので、年5回では完璧な
意思疎通とはいかないのも仕方ないでしょう。
特に、私はアタマが固いので・・
◎
懇談で、親を呼びつけておいて「家で勉強させろ」とはよくある
光景でしょうが、これはいけません。
自分の非力を棚に挙げ、他人の所為にするようなものだからです。
保護者の方にとっては相手の力を計るバロメーターになります。
特に、子供のことを親にチクるような話はいけません。
情報交換といえ、何でも話せばよいということではありません。
不要なことはいうべきではないのです。
もちろん必要な場合は生徒の状況の話もするでしょう。
けれど懇談から帰って子供が叱られるようでは本当は懇談失敗。
面談とは、
お互いの認識のズレを小さくするため、情報を交換し新鮮に保つ
ため、生徒の為に複数の目を確保する、
こういうものだと思います。
が、逆に一人では、情報交換時の間違いが少ないという利点があり
ます。
人の間で情報を交換すると、言葉、記号としての伝達をいかに正確
にしても、情報の出し手と受け手で齟齬が生まれてしまうのです。
同一の言葉について、両者で意味がズレていることがあり、それが
上記の齟齬を招く一番大きな原因でしょう。
「Aですね」「はいAです」
と情報を受け渡したとき、ごく単純な、物品発注などでは食い違い
は起きません。けれど少し高度な内容だと危険性がでます。
塾らしい例えを挙げてみます。(私の経験ではありません)
「ガツンとやってください。塾にお任せします」「承りました」
の話があって、何かで実際にガツンとやったとします。
「こぶができるほどのことを、いつ了承しましたか!」
こちらの「ガツンとやる」とあちらの「ガツンとやる」の内容が
違っていたのです。言葉としては正確に受け渡しても、そこに
どのような意味がこめられているか、案外、ズレはあるものなの
です。
「宿題をちゃんとする」こういっても、人によってどの程度のこと
までを「ちゃんとする」というのかが違うわけです。
「家で勉強、勉強といわないで下さい」
「ええ、極力言っていません」
さて。お互いのイメージは同一かどうか?
◎
一人の塾では、自分の頭の中で認識のズレはおきませんから、
二人以上の組織で起き得る内部伝達でのリスクはありません。
けれども保護者、生徒との情報交換はありますから、そこでは齟齬
が起きることもありえます。
お互いの理解のズレを少なくする目的もあり、私は保護者の方との
懇談を多く持つように努めています。
(少し塾の事を書きますが話の必要からですのでご容赦下さい)
1年間で5回(塾を始めた頃は6回)懇談いたします。1回30分
から1時間。
お勤めなど、ご多忙な方もいらっしゃいますので強制ではありま
せんが、日時も調整し、毎回9割程度の方とお話できています。
年に1~2回の方もいらっしゃれば、毎回の方もおられます。
保護者の方にご足労いただく毎回のご面倒は申し訳ないのですが
顔を合わせての対話は、疑問があれば確認でき、意思疎通を行い
やすいのです。上記の、お互いの認識の違いがあればそこで修正
いたします。
書いたもののように一方的でないことが良いところですね。
また、面談は表情その他の情報量も多いので、お互いの意思疎通
としては一番よい手段でしょう。
とはいえ、ジツは、それを何年も続けても、食い違いを完全には
解消できないこともあると思います。
まあ、夫婦ですらズレることがよくあるので、年5回では完璧な
意思疎通とはいかないのも仕方ないでしょう。
特に、私はアタマが固いので・・
◎
懇談で、親を呼びつけておいて「家で勉強させろ」とはよくある
光景でしょうが、これはいけません。
自分の非力を棚に挙げ、他人の所為にするようなものだからです。
保護者の方にとっては相手の力を計るバロメーターになります。
特に、子供のことを親にチクるような話はいけません。
情報交換といえ、何でも話せばよいということではありません。
不要なことはいうべきではないのです。
もちろん必要な場合は生徒の状況の話もするでしょう。
けれど懇談から帰って子供が叱られるようでは本当は懇談失敗。
面談とは、
お互いの認識のズレを小さくするため、情報を交換し新鮮に保つ
ため、生徒の為に複数の目を確保する、
こういうものだと思います。
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