宇品にあった廃工場

2014-03-01 10:40:56 | 塾あれこれ
小5で宇品に住み始めたころ、広島駅から宇品港まで
貨物の引き込み線が残っていました。

特に港近くは運行も滅多にないようで
我々子供たちの遊び場でしたね。

その軌道沿いに大きな工場跡がありました。
戦前、紡績工場だったそうです。

既に東洋工業(現マツダ)に買われていたかもしれません。
ただ暫くは廃工場のままでした。

ロータリーエンジン車などを開発していたころで
町で試作車を見かけたこともありました。
カッコ好くてねえ。


その紡績工場跡に忍び込んだことがあります。
小学生のちょっとした冒険。

もちろん私などにそんな度胸はなく、遊び仲間の
ガキ大将の後ろにくっついて入ったのです。
二人だったか三人だったか・・記憶が薄れています。

被ばくもしたであろう工場はレンガの壁が残り
屋根は崩れ落ちて、高い青空が見えます。

床のあちこちがピットになっていて雨水をたたえ
そこには魚などもいたようです。

ガキ大将によると、ウシ蛙のでかいのが沢山いるのだ
とか。

ぽたぽた水滴の音だけがする廃工場を隠れ歩くだけでも
十分すぎる「探検」でしたね。


情けないことに広い工場を歩きまわるうち
もぐりこんだ場所へ戻れなくなってしまった。

引き込み線と工場の間には鉄条網が張ってあったけれど
子供なら潜って入れる場所が一か所あったのです。

けれども、どうしようもなくなって、工場の正門へ歩き
守衛さんにしっかりと叱られました。

「立ち入り禁止だぞ。分かってるのか。
 壁は崩れやすいし・・・くだくだ」

うなだれていると胸に付けていた級長バッヂが
ないことに気づきました。

工場のどこかに落としたのです。

探しに戻るといっても許可されません。

結局、未来のマツダ工場に残したままになりました。

学校に言ってやる、なんて脅かされましたが
後日、先生からはなにも言われませんでした。

脅しだけだったのか、先生が黙って下さったのか
バッヂなしの級長姿も何も叱られませんでした。

母もバッヂについて何も言わなかったところをみると
今、大人になってから推測できますが
大人たちは「黙っていましょうか」だったようです。


鉄道の引き込み線は間もなく廃止されました。
当時の跡かたもないようですね。

あの工場

タルコフスキーの映画に、廃工場がしばしば登場し
あまりにそっくりのイメージで驚きました。
彼も「探検」好きだったのかなあ。


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