ふう~大変なんよ

2007-06-13 14:07:16 | 塾あれこれ

帰り際の中学生がため息をつく。

「なんなん?」
「学校の宿題」

聞くと俳句を20とか。
それは大変。何で今まで放って置くかなあ。

立ち話程度で俳句の作り方を言えるものでもなし
かといって「それにつけても・・」などを教えても
宿題の意に反するであろう。
本人が真剣に取り組まねば宿題の意味はないから。

それにしても最近は俳句の作り方が変わったのかな?
私には俳句20はすごい量の課題に思えます。
今までの常識だと俳句はヒネルもの。削って磨くもの
ですからねえ。バカバカ量産は出来ないでしょう・・

日ごろ学校でどう国語を教えていらっしゃるか分から
ないのでイチャモンをつけるのは良くないですが
自分の孫に中学校でこんな宿題が出ていたら
あきれるか、感心するか、どちらだろう・・

その子にはごく簡単な話をして季語集を貸しました。


1955年のアメリカ映画で田舎都市の町医者が患者
にプラシーボ(偽薬)を与えるシーンがありました。
( not as a atranger )

日本では黒澤明の「酔いどれ天使」が1950年くらい
ですからアメリカの医学は進んでいましたね。

今日から見ればプラシーボの是非はあるでしょうが
映画では「患者が訴えているのだからそれに応えるのが
医者のつとめ」だと言っておりました。
病気ではないのに症状を訴える人に与えたのでした。

医者にも大きく2つの立場があると思います。
研究を進めるか、町医者で一人一人の患者を看るか。

報道カメラマンならば困難な状況にある人がいた場合
シャッターをきるか、先に助けるか。

塾の場合は町のお医者さんに近いでしょうね。

いまそこにいる生徒に何が出来るかが最優先。
シャッターが先のタイプには向かない仕事ですね。


貸した季語集がプラシーボでなければいいけれど。
たとえそうであっても効けばよいのですが。


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