マネと吸収は違う、映画『アイ・アム・サム』を見て

2011-03-02 20:56:36 | 塾あれこれ
白川静さんのお考えに「漢字は中国語ではなく日本語」
という卓見があります。

確かに、漢字は中国の文化を輸入したものですが
今では完璧に吸収・消化して日本語になっています。
中国文化の風下に立つものではありません。

もちろん、表面だけを移入して「日本化した」という
わけでもありません。

良いものは吸収する。
全てを自前で開発したなどという文化・文明はありません。

表面だけをマネすることこそ恥ずかしいと思います。

今の日本はマネばかりで吸収力が衰えているのではないか。
吸収する主体となるべき「日本」の影が薄いのです。

教育法の研究輸入がこれほど盛んになっていても学力低下が続き
現場が右往左往しているのも、日本文化の主体があいまいである
ひとつの証明です。


映画『アイ・アム・サム』をビデオに撮ってみました。

よくあるアメリカ映画で、大甘といえば大甘。
安心して見られるといえば、そう。

ショーン・ペンとミシェル・ファイファーが好演。


一本の映画からその国の社会を掴めるとは申しません。
そこまで私の頭はスルドクはない・・・ザンネン。

ただ、いかにもアメリカ社会がよく分かるような気がする
映画でした。

IQが低い、生活力も余りない父親が一人で小さな女の子を
育てられるか。
社会はそれをどう扱うか。

アメリカでは子供をきちんと育てられる里親が裁判所で
決定されます。
いくら父親が深い愛情を子供に注いでいても。

子供のためにはキチンと育てられる環境が大切。

一種合理的に作り上げられており、日本で同様のケースが
ある場合より、はるかに説得力がある対応を社会が行います。

タテマエですね。(貫くには約束事も必要で、どこかウサン
クサイのですが、理屈で築きあげられた仕組みは立派)

ホンネでは「父の愛情はどうなる?」という感情が残ります。

アメリカ社会で生きてゆくには、このタテマエをよく知る
必要があります。(どこでもタテマエはあるのですね)
アメリカ文化は、外から知り易く出来あがってもいます。

そうしてアメリカの文化を上手く活かすには個人に
それなりの資質が必要なのです。
(自律・自立)

これなくしてはタテマエを活かせません。

従ってこの映画のような里親の仕組みそのままを日本に
移入しても、現時点では機能しないでしょう。

けれども今の日本では、アメリカが~だから、と
人々の精神的背景を無視したまま表面的なマネをしている事が
多いのではないでしょうか。

小さなことでも。

夜、子供を放っておいて両親が遊びに出るとか・・
普段から日本式に子供を甘やかしておいて、それでは困りますね。

他国の良さを吸収しないで、サル真似をしているのです。

大人が自律し、しっかりと子供をその方向に育てているから
アメリカはあれでよいのです。


繰り返しますが「吸収する主体」の確立が大切です。
(古来の日本文化を見直したいですね)

どこそこの国の教育法などと学者が紹介しているのには
「マユツバもの」があるかも知れません。
少なくとも、その文化と日本の文化とを十分に知ることから
始めねばなりません。

最低限、流行りをマネだけするのは止めてほしいなあ。


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