今年初めにN2000系うずしおの引退もそう遠くないかもと書きましたが、まさか本当に引退することになるとは思っていませんでした。いや、むしろそうなってほしくないと思っていたのかもしれません。しかしながら、その反面でやっぱりかと思うところもあるのも事実です。キハ185系の方が長く走り続けるとは思いもよりませんでした。
今回は私個人のN2000系の記憶と記録を書いてみたく思います。
元々1998年のデビューの際その1番列車か2番列車に乗って大坂峠を越えた時、そのパワー差に衝撃を受けたことをよく覚えています。

ちょうどここは大坂峠に向かう直前のところ。峠に向けて力強くエンジン音を響かせ駆け抜けていくシーンを見ることができました。
デビューした時は確か4両固定での運用だったと思います。日が経つにつれて短くなっていく列車の中で貴重な5両で走るシーンをと思って狙っていたうずしお4号は今思うともう少し、いろいろな箇所で撮っておきたかったものです。

これは東日本大震災の後に特製のステッカーと走っていたシーン

ステッカーが目立つのは徳島寄りの車両でしたが、高徳線でも有名なこの区間で撮っていたのが意外と少なかったのでこちらで併せて紹介。
このライトの位置が異なる試作車もN2000の特徴でした

こちらは意外と少ない高松駅での撮影シーン。
そして忘れていけないのが岡山行の編成

当初はうずしお単独で向かっていたと思いますが、途中から岡山~宇多津間を南風と併結して走るようになりました。特に午前の列車はアンパンマン列車との併結だったのも特筆すべきことでした。岡山県内で走るシーンを撮ろうとすれば光線と時間の関係でどうしてもうずしお6号狙いになってしまったので、この組み合わせ以外を撮っていなかったのが惜しまれるところです。最終的には午後の便が2両になっていたのですが、そのシーンは撮っておきたかったです。
これが昨年末に撮った1枚

ここでももう少し撮っておきたかったです…。
最後に徳島駅付近で撮ったものから

気動車王国徳島においても、その存在感は素晴らしいものでした。

今でも走っていますと言われても納得しそうですが、自分がデビューから見てきたものが引退するのはやはり寂しいですね。まだ完全引退というわけではないですが、高徳線で走っていたことはいつまでも記憶にとどめておきたいものです。
今回は私個人のN2000系の記憶と記録を書いてみたく思います。
元々1998年のデビューの際その1番列車か2番列車に乗って大坂峠を越えた時、そのパワー差に衝撃を受けたことをよく覚えています。

ちょうどここは大坂峠に向かう直前のところ。峠に向けて力強くエンジン音を響かせ駆け抜けていくシーンを見ることができました。
デビューした時は確か4両固定での運用だったと思います。日が経つにつれて短くなっていく列車の中で貴重な5両で走るシーンをと思って狙っていたうずしお4号は今思うともう少し、いろいろな箇所で撮っておきたかったものです。

これは東日本大震災の後に特製のステッカーと走っていたシーン

ステッカーが目立つのは徳島寄りの車両でしたが、高徳線でも有名なこの区間で撮っていたのが意外と少なかったのでこちらで併せて紹介。
このライトの位置が異なる試作車もN2000の特徴でした

こちらは意外と少ない高松駅での撮影シーン。
そして忘れていけないのが岡山行の編成

当初はうずしお単独で向かっていたと思いますが、途中から岡山~宇多津間を南風と併結して走るようになりました。特に午前の列車はアンパンマン列車との併結だったのも特筆すべきことでした。岡山県内で走るシーンを撮ろうとすれば光線と時間の関係でどうしてもうずしお6号狙いになってしまったので、この組み合わせ以外を撮っていなかったのが惜しまれるところです。最終的には午後の便が2両になっていたのですが、そのシーンは撮っておきたかったです。
これが昨年末に撮った1枚

ここでももう少し撮っておきたかったです…。
最後に徳島駅付近で撮ったものから

気動車王国徳島においても、その存在感は素晴らしいものでした。

今でも走っていますと言われても納得しそうですが、自分がデビューから見てきたものが引退するのはやはり寂しいですね。まだ完全引退というわけではないですが、高徳線で走っていたことはいつまでも記憶にとどめておきたいものです。