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kan-haruの日記

大森町の社寺 磐井神社 古記に伝わる敏達天皇の二年に鎮座した大森で最も古い磐井神社の夏祭り

2010年08月11日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2010 八幡通りの渡御神輿

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鈴ヶ森に近い磐井神社
大森町北端の第1京浜国道際にある磐井神社(大田区大森北2-20-8)の創立は849年(嘉祥2年)と云われ、大森町では歴史の大変古い神社(「大森町の社寺 磐井神社 大森町北端にある鈴石伝説の磐井神社夏祭り その1、2」2007参照)です。
昔の大森の不入斗村(いりやまずむら)にある磐井神社の別称を、鈴石伝説から鈴ヶ森八幡宮と呼び、地理的には隣接の品川区大井村の処刑場付近一体も含めて、鈴ヶ森と称したものと思われます。

 大戦では戦火を受けた樹齢300年以上のいちょう(写真拡大)

磐井神社には境内に樹齢が300年以上の2本の大いちょうがあり、上記ブログに記載してあるように、1本のいちょうには1945年4月15日の空襲による被害の黒焦げのあとがあり、このいちょうにも長い歴史のなかで大戦の傷跡を受けましたが、戦後65年を経過して傷跡も多少癒れて薄くなった感じがします。実はいちょうの記事を再録したのは、今まで気が付きませんでしたが例祭を見に行った際、本殿の南側に1906年(明治39年)11月の日露戦争凱旋記念に植樹した樹齢100年を超すいちょうの木と記念碑を見かけました。大いちょうとは樹齢がかけはなれていますが、磐井神社には3本のいちょうの古木の他にシイ・ケヤキなどの古木があり大田区の保護樹林に指定されており、大森町の殆どの神社では古木や樹木が見られないのに対して唯一貴重な存在です。

 日露戦争凱旋記念植樹の樹齢100年を越えたいちょう(写真拡大)

磐井神社例大祭
前回記述時のブログの例祭は影祭りでしたが、今年の8月6~8日の例大祭は本祭りにあたり、町会神輿の連合渡御が行われるので8日の午後見に行き、例祭の行われている磐井神社に参拝してから、神輿の連合渡御を追いかけました。

 磐井神社例大祭2010(写真拡大)

連合渡御神輿
向睦、根岸睦、仲ノ町睦、八幡睦、入三東町会、入二北町会、北六南町会の7つの睦みの連合渡御神輿は、13時過ぎに平和島商店街に集結して出発です。渡御のコースは平和島商店街を西に進み、入三銀座商店街を通り、進路を北に向けハローワーク前を抜けて大森ミルパアーケード街から東に進み、八幡通りに接した森っこ広場まえが神輿の担ぎ手と見物人の盛り上げるポイントです。休息には、八幡通りを神社へ向かって渡御して、渡御後には各町会の神酒所に戻ります。
本祭りの連合渡御神輿を見るのは初めてですので、神社を出て八幡通りを西に進み、森っこ広場に向かうと渡御の先頭の神輿と神官、役員の方々が休憩を取っていましたので、大森ミルパアーケード街を西に進むと、最後の渡御神輿がおおとり神社前に到着したところで、神輿の担ぎ手と見物者が盛り上がっていました。

 ミルパアーケードの連合渡御神輿(写真拡大)

ミルパアーケード街で休息中の各町会の渡御神輿を見て回りました。

 ミルパアーケード街での連合渡御神輿(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

休憩後、天狗を先頭に神社太鼓を打ち鳴らし、神官、役員、高張り提灯、お囃子車と続き、連合渡御神輿が八幡通りを城南担ぎで神社へと向かいます。

磐井神社例大祭連合渡御神輿2.wmv

[クリックすると例大祭連合渡御神輿が見られます]

神輿の城南担ぎは、品川区から大田区の一部での担ぎ方で、神輿の胴に神楽で使う大拍子(桶胴の締め太鼓) が括り付けられ、この締め太鼓と篠笛に合わせて担ぎます。磐井神社の大拍子が前向に付いており、篠笛の吹き手は交代で一人で吹きます。神輿の担ぎ手に気合が入ってくると激しく体を揺するのが特徴です。

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