味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

堯舜は璧を山に抵ち、珠を谷に投ず。

2015-11-06 09:57:27 | ブログ
第2505号 27.11.06(金)
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堯舜(ぎょうしゅん)は璧(たま)を山に抵(なげうち)ち、珠を谷に投ず。『十八史略』
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 堯舜のような聖天子は、世のなか一般が宝とする玉など尊びはしない。それよりは良臣を宝としてこれを得るようにつとめた。614
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 時代が大きく変遷していますが、経営者も、職員も良臣であるべきだと思います。お互いの信頼があって、共通した目標のもとに仕事をすれば、全て順調に行く筈なのです。
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 昨夜の第二道場のおけいこも楽しくにぎやかに行われました。『南洲翁遺訓』第二十五章の「誓いのことば」も元気よく発表しました。『南洲翁遺訓』は飛び飛び拝誦していましたが、終盤に第一、第二、第三章を拝誦しました。来週は第四、第五、第六章を発表することに致します。
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 先般、子供が電車に飛び込み自殺しました。そこで子供たちに、どのようなことがあっても、自殺をしてはならないと力説しました。何かのゲームみたいなことをしている所、「悪いね」、思わしくないというようなことを言われたとかで自殺した(一因)とのことです。こんなばかげたことがありますか。
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 例えばシリアに住んでいる子供たちは、自ら命を絶つということはしないのです。何がなんでも生き延びようとするのです。これは戦後教育のなごりなのです。子供たちには、何があっても、罵倒されても、殴られても、生き抜くことを教えなければならないのです。
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 おじさんママという大学の先生が、いろいろ話していますが、そういう育て方では、逞しく、優しい子供は育たないのです。 
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 小学二年生に師範組手を教えていますが、日ごとに上達してきました。そこで昨晩、正田、森永両氏に、間違って顔を殴られることもあるがそれでも稽古を続けますか、と聞いてみました。二人共続けるといいました。
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 そこでまかり間違って打たれて死ぬかも知れないが、それでもよいか、と聞いたら、正田君は死んでもいいから、「やる」といいました。森永君は死ぬならやめるという感じの躊躇した態度でした。
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 小学二年生同士が、拳が当たったからと言って死ぬということは、絶対ないのです。怪我などもないように指導しなければならないのです。私が言いたいのは、甘えた気分でやるなということなのです。甘え気分というのは、気がしまらないのです。人間、いつなんどき、どういう事故に遭遇するか分らないのです。
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 昨夜、曽野綾子著『人間の基本』を一部読みました。曰はく、
〈日本では自衛隊と軍国主義を結びつける考え方が根強くありますけれど、自衛隊は国家として心身共につり合った制度として考えるべきものです。大人たちが代償なき平和を若者に教えこんだために、国家のために死ぬなんてひどい、国民に死を押し付けるのか、という甘ったれた若者ばかりになってしまった。平和は、口で唱えていても現実にはならないものです。周辺から侵入する国は必ずある。182〉
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 今、最高裁で、人間の尊厳という言葉も聞かれる問題が評決される論議が勧められています。書いてはならないことかも知れませんが、天の意を無視する感じがしてならないのです。元京都大学教授で哲学奢であった森信三先生はあの世で嘆いていることでしょう。どちらに、どういう采配が降されるか、ここでは言及しないことにします。

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『臥牛菅実秀』(第43回)
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 友人たちは、また例の大言壮語が始まった腹をかかえて笑い合った。
 二十代の実秀は世子の小姓、近習という役職であって、もちろん藩政に参与する立場ではない。いわば大筆をもって細字を書かねばならないような時期であったが、その書く字は、とかく紙からはみだしてしまうといったように、当時のひどく煩瑣な形式主義にはおさまりきれない逸脱した行動も多かった。それに上役に対しても『さようでござるごもっとも』だけではすまされないものも多かった。

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『論語』(第438)
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 公山弗擾費を以て畔(そむ)く。召(よ)ぶ。子往かんと欲す。子路説ばずして曰はく、「之くこと末(な)きのみ。何ぞ必ずしも公山氏に之(こ)れ之(ゆ)かんや。」子曰はく「夫れ我を召ぶ者にして豈徒ならんや。如し我を用ふる者有らば、吾は其れ東周を為さんか。」
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 公山弗擾が費を押領して季氏に畔いた。そして礼を具えて孔子を招いた。孔子は招きに応じて往こうとした。子路は孔子の往くのを悦ばないで曰うには「道が行われないことはわかりきっていますから行くのはおよしなさい。何も是非公山氏へ之かなければならんこともありますまい。」孔子「公山弗擾は他人を召ばないでわしを召ぶ以上は、ただ虚礼を行ったのではなかろう。必ずわしを用いるつもりだろう。もし当時わしを用いて国政を授ける人があるならば、わしは制度を明らかにし名分を正して、東方魯国に文武周公の道を復興しようと思う。どうして往かずにいられようか。」
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『農士道』(第320回)
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 しかし之に就て私は冗説を避けて、本居宣長の古事記傳中の一節を引用して、之を味読することとする。曰く、
「日は書紀に産霊(むすび)と書かれたる霊(ひ)の字よく當れり、凡て物の霊異<fontsize="1">(くしび)
なるを比(ひ)といふ。高天原に坐します天照大神を此地より膽望(みさけ)奉りて日と申すも天地の間に比類(たぐい)もなく最も霊異に坐しますが故の御名なり。比古比賣(ひこひめ)の比も霊異なるよしの美稱(たたえごと)なり。又禍津毘、直毘などの毘もこの意なり。されば産霊とは凡そ物を生成することの霊異なる御霊を申すなり。---------古事記傳巻三----
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 11月6日、おわりです。