味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

彼れも一時なり、此れも一時なり。

2015-11-29 10:29:33 | ブログ
第2528号 27.11.29(日)
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彼れも一時なり、此れも一時なり。『孟子』
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 あの時はあの時、この時はこの時、時に従って最適の道を守る。
 この言葉はややもすると誤解されて、人の弁解にも使われるが、孟子の真意は、時勢の変遷に従って進退の道に違いのあることを教えたものである。106

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 【コメント】〈あの時はあの時〉の選択は、昨日のブログでも書きましたが、人さまの事も含め常に善意で対応すべきではなかろうかと考えます。未だ成長していない子供へも、そういうあるべき姿は教えておきたいものです。
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 昨晩の御稽古は半数の方が欠席されましたが、順調に行きました。25年前、大坪師範と薩摩詩吟会で学んでいましたが、その時のかくし芸の模様を集録されたビデオを子供たちに見せたら、捧腹絶倒し喜んでもらいました。
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 詩吟会にはお年寄りの女性の方が多く稽古においでになります。薩摩詩吟会の会長をしていた私は、如何にして喜んでもらえるかをいつも工夫して忘年会に臨んでいました。
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 当時の方々は殆どお亡くなりになりましたが、詩吟の稽古よりも忘年会を楽しみにしていたものです。円心会空手道場で学んでいる子供たちにも、老若一緒に楽しむこともやがては取り入れてくださいとお話しました。

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『臥牛菅実秀』(第66回)
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 忠発は幕命受諾論を採用した。そして二十六才の青年松平権十郎を中老に登用して、江戸取締りの総轄者とした。そして翌元治元年(一八六四)四月には実秀を江戸留守居添役(翌年には本役となった)に命じ、同時に江戸府内取締御用、並に新徴組御用係として、松平権十郎を補佐させることにしたのである。
 こうして松平権十郎は江戸取締りの総帥となり、実秀は参謀格となって、幕府最末期の複雑困難をきわめた江戸の治安に当ったのである。 

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『論語』(第459)
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 微子(びし)は之を去り、箕子(きし)は之が奴と為り、比干は諌めて死す。孔子曰はく、「殷に三仁あり。」
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 殷の紂王が無道だったので、微子と箕子と比干とが諌めたが聞かれずに微子は國を去り身を全くして先祖の祭を存し、箕子は囚へられて奴となったが、狂人をまねて命を助かり、比干は極諌したため紂の怒にふれて殺された。三人の行跡はそれぞれら違うが、いずれも出処進退の宜しきを得たものなので、孔子は『殷に三人の仁者があった。』と褒め称えた。
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『農士道』(第343回)
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  すめらみくにのもののふは
  如何なる事をかつとむべき
  ただ身にもてるまごころを
  君と親とに盡すまで
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 黒田藩の俊傑加藤司書が、いみじくも唱破したこの今様こそは、日本武士の荘厳たぐひなき「仕」の精神を明示せるもの、苟も日本農士として、日本国土に奉仕せんとする者に、亦此の至誠を以て仕ふる處がなければならぬ。祖神の霊の宿ります瑞穂國の大地に打込む一鍬一鍬に籠むる力! そは決して一日労働すれば何十銭の労銀を獲得する為のみの故に働くのだといふ様な、労働商品的な努力とは、霄壤天地の差ある聖なる勤労である。-----「仕事」である。是れ実に日本精神の職業的顕現にして、「仕事する」眞精神は実に此処に在らねばならぬのである。
  
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