味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

賢を推し能に譲れば、庶官乃ち和す。

2015-11-19 10:40:46 | ブログ
第2518号 27.11.19(木)
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賢を推し能に譲れば、庶官(しょかん)(すなわち)ち和す。『書経』
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 上の人が賢者を推挙(すいきょ)し、有能な人に位を譲るという態度でいれば、一般の役人も不平なく安心して調和協力するであろう。217
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 【コメント】この考え方は『南洲翁遺訓』第一章にもあります。曰く、〈夫れ故真に賢人と認むる以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。〉とあります。漢籍全般を渉猟した荘内の英邁な先生方が西郷南洲翁の英明さを見抜き『南洲翁遺訓』を刊行したのでした。
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 『南洲翁遺訓』を広めたい団体は、パフォーマンスでなく、地についた運動を地道に進めて欲しいものです。そして約束したことは、どんな些細なことでも守らなければならないのです。権力で推し進めてはならないのです。そのことを『南洲翁遺訓』は訓戒しているのです。
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 日本空手道少林流円心会は、門下生に『南洲翁遺訓』を教えて半世紀になります。私が『南洲翁遺訓』を手にしたのは、岳父から戴いたのが最初でした。岳父は枕崎の老人会長をしていました。
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 そこに南洲神社で『南洲翁遺訓』の勉強会の主宰をしていた平井政明先生が講演に来たのでした。その講演の御礼に岳父が、平井先生にお礼状を出したのです。平井政明先生として宛名を書いたら、貴方が先生です、と平井先生からの返事が来たのでした。
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 岳父は自称学者で、明治・大正の文学集等々は凡て読破したという人でした。平井先生と交換した手紙は凡て私の書斎に整理されています。その岳父が、鹿児島で空手道指導をしたいという私に、「君は大学も出ていないので、平井先生に師事して学問をしなさい」といって平井先生が主宰する南洲神社に行くことになったのでした。
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 その後小野寺先生方が西郷先生の遺徳を訪ねて鹿児島に来るのを聞いて、大坪伸一郎先生とご挨拶にいったのでした。学歴・能力等々ございませんが、荘内南洲会の先生方に対して、阻喪があってはならないというのが、私の考えでした。
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 あれから荘内へ伺うこと十数回となりました。十年前、前事務長の佐藤昭夫先生と、深夜に肩を組んで荘内の飲食店街を飲んで廻ったのが懐かしく回想されます。
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 四年前、『南洲翁遺訓』改竄事件が発生しました。一言一句代えてはならない『南洲翁遺訓』改竄事件に鹿児島でも問題視し、そして昨年、元県教育長をされた先生から、全国的な大事件になるのを防がなければならないから、是非、協力して欲しいと懇願され、「西郷南洲顕彰会の伝統及び、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」を結成したのでした。
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『臥牛菅実秀』(第56回)
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 この複雑な事態に処して苦慮する老公忠発に菅秀三郎の登用を進言していたのは側用人山口三郎兵衛であった。
 当時、藩政に与(あずか)る者は、家老の子孫か、番頭以上の家柄から出ることが慣例になっており、忠徳の時代に臼井矢太夫が中士から登用されて中老になったのは、唯一つの異例であった。固定した社会では慣例ということが絶対の権威をもっている。したがって小禄の士はいくら俊才であっても、重臣に認められない限り藩政に参画することは不可能であった。

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『論語』(第451)
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子曰はく「予言ふ無きを欲す。」子貢曰く「子如し言はざれば則ち小子何をか述べん。」子曰はく「天何をか言ふや。四時行はれ、百物生ず。天何をか言ふや。」
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 孔子が言うには「わしは今後言語をもって教えを施すことはやめようと思う。」子貢「先生がもし言語をもって教えを施すことをお止めになれば、吾々弟子たちはどうして先生のお教えを伝え述べることができましょう。」孔子「天は何か言うか。何も言いはしないではないか。しかし、春夏秋冬の四時は運行して息まず、鳥獣草木等の百物は発生して已まないのである。天は何か言うか。わしが言語をもって教えを施さなくとも、伝え述べることができるではないか。」
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『農士道』(第338回)
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 日本精神とは何ぞや。分析と理論とに走る非日本的ことあげを止めよ。日本精神の日本精神的宣揚の先覚的大人、本居宣長翁が快くも明確率直に喝破せる其の大音声を敬聴せよ。曰く、
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   敷島の大和心を人問はば
          朝日に匂う山桜花

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と。ああ、如何に透徹せる日本精神の大定義なるぞ。
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 今こそ日本国民は没我奉仕の「ひの本」精神に目覚め、温故知新の活眼を開いて此の霊音を味読せよ。

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今までモヤモヤしていたものが、吹っ飛んでしまいました。溜飲がさがりました。今日の頽廃は私が電電に入社する前後からでした。
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 高校出たてで、何も分からない青年たちに、「賃上げ要求をしろ」「上司に挨拶するな」「仕事は大概にしろ」と煽動したのが、前政権で大臣をした男の父親が社会主義協会を唱えた頃からでした。この運動が、北朝鮮みたいに、中国みたいに、バライロの国になるのだと教宣したものです。
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 貧乏所帯で夜間高校に進んで、自分の力で働いて賃金を戴かないと生活していけない私は、お前らの考えは間違っていると思い、空手道の稽古を始めたのでした。
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 私が予想したとおり、電電をはじめとする三公社は国民世論によって民営化されたのでした。今朝の読売新聞に、最近勢いのよい政党党首が政策を軟化させるようなことを発言していますが、これは要注意なのです。
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 やがてこの方々が政府の中枢にきたら、必ず内乱がおこります。その時では遅いのです。文献には認めますが。ブログではこのへんで止めておきます。国体を怠け者たちが代えてはならないのです。菅原先生の『農士道』を読んでください。菅原先生、有り難うございます。

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