味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

之れを左右に取りて、其の原に逢う。

2015-11-15 10:51:47 | ブログ
第2514号 27.11.15(日)
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之れを左右に取りて、其の原(みなもと)に逢う。『孟子』
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 真に道を体得した人になると、その言動は、左からとっても右からとっても、すなわち、どんなふうに行っても、すべて根本の道に合致する。
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 【コメント】私の詩吟道の師匠であった竹下一雄先生が、『孟子』がいうそのような人物でありました。30年の間、詩吟道のけいこに通いながら、数々の事を学びました。
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 竹下先生に産経新聞をご紹介したら、こんな素晴らしい新聞があるのかと小躍りして喜んだのを覚えています。そして『正論』も贈呈したらまたまた大喜びでした。お亡くなりになられた時、ご自宅にお悔やみに行きましたら、頭の処に『正論』を置いてありました。
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 昨日は、宮川小学校児童クラブに、『南洲翁遺訓』をご紹介しながら、「健康で長生きをし、幸せになるには」というテーマでお話に伺いました。土曜日が出校になったため、子供たちはお疲れの様子でした。でも私の前に坐っていた子供たちは大変真面目に聞いてくれました。帰る際は、心のこもった握手をしてきました。
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 日本空手道少林流円心会では毎週『南洲翁遺訓』の学修をしていますが、児童クラブの子供たちは今の処一回だけであります。でも西郷隆盛という名前は知っているので、『南洲翁遺訓』を繙くこともあろうかと思います。『南洲翁遺訓』を一人でも多くの人々に読んで貰いたいというのが、刊行の目的ですから、その目的に向って進みたいと思います。
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 ただ残念なことは、子供たちの保護者の皆さんが、過去半世紀の平和教育のお蔭で、人生への真剣さ、危機感がないように思われるのは、残念なことです。それは物質文明の恩恵がもたらす悲劇の一断面でもあるのでしょう。
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 昨日の「暁の学問館」の資料も最高でした。いろいろな取り組みをすることはいいことなのですが、それが長期的に分析・観察した場合、国民の皆様がヨシとしてくれるか、国を維持存続して行くのに肯定的であるか、ということが大事ではないでしょうか。
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 貧乏所帯で普通高校へ行けず、夜間高校へ通いながら、人の何倍も働いて来た人間から言えば、仕事は減らせ、賃金上げろという論理にはどうしても与できないのです。そしてそれは、天の理と健康と長生き論とは真逆なのです。
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 菅原兵治著『農士道』も、連日少しずつブログでご紹介していますが、武家社会が終焉してからの東北の皆様のご苦労は並大抵ではなかったろうと想像しています。
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 そういう過酷な日々にも拘わらず、国家日本のため『南洲翁遺訓』を広める運動をするということは、余程の信念と自覚がなければ出来るものではありません。
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 それは国体と民が主という天の理に基づくものであるからだと思います。だから、野党が言う「民主」と「民が主」とは内容が異なると思ったのでした。これは昨日『農士道』の所で書いた、日本精神・「ひの本」するはたらき、西洋精神・「ひの末」するはたらきと符号するのではないかと思うのですが、阿曾先生、高木先生、如何でしょう。

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『臥牛菅実秀』(第52回)
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この桜田門外の変は、外国の圧迫に動揺し混迷した幕末の一時期を象徴するような事件であったが、この事件を報じた水戸浪士の手紙には、大老の襲撃が行われているのに、登城の旗本などは、われ関せずと逃げ散ってしまい、黒山のように集まった野次馬は、仇討だろうとか、いい気味だと噂するだけで『江戸の人の薄情には驚き入った』と、あきれて書いている。幕府閣僚のあせりにかかわらず、将軍お膝下の江戸の人々は、爛熟した文化の中で、すっかり生命力を失っていたのである。そして一方の朝廷方は、ますます、その権威を高め、長州(山口県)薩摩などの外様雄藩は、その実力を背景にして、大きく進出してきた。
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『論語』(第447)
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子曰はく、道に聴いて塗に説くは徳を之れ棄つるなり。
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 孔子が言うには、今、行く道の途中で善言を聞いても、すぐ行き先の路上で、逢う人に話して、そのまま忘れてしまっては、心に養うこともなく、身にもつけず、これは全くみずから徳を棄てるというものだ。
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『農士道』(第329回)
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 生命の作用が「ひの末」に向かうに従って、例えば一本の幹が二本の枝となり、二本の枝が四本の枝となるという様に、次第に分裂して末梢化する。之に対して生命の作用が「ひの本」に向かふに従って、例えば四本の枝が二本となり、二本の枝が一本の幹となる様に、次第に綜合せられて本に復って来る。此の分裂と、綜合とは、實に「ひの末」作用と「ひの本」作用との原理的差異点である。而してこれを更に人間的生活の原理として考察すれば、「ひの末」作用は分裂するが故に、当然自他の対立を生じ、他に対して自を主張せんとして我執を生じて、其の結果は亦当然極端なる排他主義となる。我執排他は「ひの末」作用の本質的特徴である。
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