第2513号 27.11.14(土)
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易に曰く、聖人は人心を感ぜしめて、天下和平なり、と。今、聖徳の感ぜしむる所は、深しと謂ふ可きなり。『貞観政要』
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易経に、『聖人のまごころが万民の心を感動させることによって、天下が平和になる』とありますが、今、藩主の聖徳万民の心を感動させることは、まことに深いものと申すことができます。(新釈漢文大系明治書院・原田種成著『貞観政要』)
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【コメント】何と素晴らしい訓戒なのでしょう。昨日は、山本七平著『帝王学』より、「六正、六邪」をご紹介させて戴きました。
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一眠りしてどうしても『貞観政要』を読みたくなり、深夜に飛び起き繙いた次第です。
昨日のブログで『臥牛菅実秀』で、荘内藩・忠恕公が〈将来の藩主としての器を磨いていた。忠恕は宋の司馬光が撰んだ『資治通鑑』二百九十四巻を愛読して、人物を観る眼を養っていたと伝えられており、忠恕に寄せる一藩の期待も非常に深かったのであるが---〉とありますが、菅臥牛翁は忠恕公の人物より、聖徳万民の心を感動しつつ仕えた一人であったのであろうと想像しています。
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今朝の「暁の学問館」資料のメニューは、
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1.日本人であることが幸福の根源である。
2.百歳、九十五歳---わが人生なお前進す
3.疆めて息まず
4.教育に命を懸けた 師・竹葉秀雄の人生
5.一度志を立てたら必ずやり遂げる
6.自らに勝つ者は強し----等々でした。
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2.百歳、九十五歳---わが人生なお前進す----は、10年前読んで鞭打たれた思いでしたが、76歳の現在は、当時以上に檄を受けた感じです、ヨシ、オレモヤルゾと。
こういうふうに、中学生みたいに燃える心境だから、その辺の老人クラブみたいな人の集団には魅力を感じないのです。多分、日本空手道少林流円心会の若頭・中島先生も燃えるだろうと思います。高木先生資料を送りますので、共に燃えて、これからの人生に挑戦しましょうか。但し、仕事は一人前にしてくださいね。ご令室様に叱られますから。
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『臥牛菅実秀』(第51回)
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翌年の春、実秀は役職を解かれて、孤身さびしく鶴岡に帰った。そして深い師恩を受けた中老平権右エ門の死に会ったのも、この年の八月のことであった。
世子忠恕の没後、その弟忠篤はまだ幼少であったため、藩主忠発は末弟忠寛(ただとも)を世子とした。
実秀が忠寛の御用達(近習頭取ともいった)となって再び江戸に出たのは万延元年(一八六○)三月のことで、幕府の大老井伊直弼が水戸浪士らによって桜田門外で暗殺された直後のことであった。
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『論語』(第446)
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子曰はく、郷原は徳の賊なり。
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孔子がいうには、一郷での律義者といはれる者が、忠信に似て忠信でなく、廉潔に似て廉潔でなく、返って真の忠信廉潔を乱す者であって、徳を害する者である。
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私の館にもそういう御仁がおりました。私は厳しく諭してあげました。そうでないと歴史にその名を汚名として残すからです。
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『農士道』(第328回)
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脈々として波うつ血潮の通う生ける日本精神たる以上、勿論時に随って「ひの本」するはたらきも「ひの末」するはたらきもある。しかし何れかといへば西洋思想が「ひの末」のはたらきの原理に立つに対して、我が日本精神(廣くいへば東洋思想)は、「ひの本」するはたらきを特徴とするといふ意味なのである。
然らば「ひの末」と「ひの本」との作用の特徴を具体的にいへば如何なる點にあるか。以下之を明らかにしたいと思う。
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今回このようにブログに綴って行くと、ゆっくりと考え乍ら出来るので、大変理解度が進むと思います。
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菅臥牛先生みたいな人間になりたいです、とハガキに書いた森永礼弥君の母上様に、片っ端から書き写す様にお話しました。
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易に曰く、聖人は人心を感ぜしめて、天下和平なり、と。今、聖徳の感ぜしむる所は、深しと謂ふ可きなり。『貞観政要』
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易経に、『聖人のまごころが万民の心を感動させることによって、天下が平和になる』とありますが、今、藩主の聖徳万民の心を感動させることは、まことに深いものと申すことができます。(新釈漢文大系明治書院・原田種成著『貞観政要』)
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【コメント】何と素晴らしい訓戒なのでしょう。昨日は、山本七平著『帝王学』より、「六正、六邪」をご紹介させて戴きました。
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一眠りしてどうしても『貞観政要』を読みたくなり、深夜に飛び起き繙いた次第です。
昨日のブログで『臥牛菅実秀』で、荘内藩・忠恕公が〈将来の藩主としての器を磨いていた。忠恕は宋の司馬光が撰んだ『資治通鑑』二百九十四巻を愛読して、人物を観る眼を養っていたと伝えられており、忠恕に寄せる一藩の期待も非常に深かったのであるが---〉とありますが、菅臥牛翁は忠恕公の人物より、聖徳万民の心を感動しつつ仕えた一人であったのであろうと想像しています。
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今朝の「暁の学問館」資料のメニューは、
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1.日本人であることが幸福の根源である。
2.百歳、九十五歳---わが人生なお前進す
3.疆めて息まず
4.教育に命を懸けた 師・竹葉秀雄の人生
5.一度志を立てたら必ずやり遂げる
6.自らに勝つ者は強し----等々でした。
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2.百歳、九十五歳---わが人生なお前進す----は、10年前読んで鞭打たれた思いでしたが、76歳の現在は、当時以上に檄を受けた感じです、ヨシ、オレモヤルゾと。
こういうふうに、中学生みたいに燃える心境だから、その辺の老人クラブみたいな人の集団には魅力を感じないのです。多分、日本空手道少林流円心会の若頭・中島先生も燃えるだろうと思います。高木先生資料を送りますので、共に燃えて、これからの人生に挑戦しましょうか。但し、仕事は一人前にしてくださいね。ご令室様に叱られますから。
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『臥牛菅実秀』(第51回)
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翌年の春、実秀は役職を解かれて、孤身さびしく鶴岡に帰った。そして深い師恩を受けた中老平権右エ門の死に会ったのも、この年の八月のことであった。
世子忠恕の没後、その弟忠篤はまだ幼少であったため、藩主忠発は末弟忠寛(ただとも)を世子とした。
実秀が忠寛の御用達(近習頭取ともいった)となって再び江戸に出たのは万延元年(一八六○)三月のことで、幕府の大老井伊直弼が水戸浪士らによって桜田門外で暗殺された直後のことであった。
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『論語』(第446)
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子曰はく、郷原は徳の賊なり。
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孔子がいうには、一郷での律義者といはれる者が、忠信に似て忠信でなく、廉潔に似て廉潔でなく、返って真の忠信廉潔を乱す者であって、徳を害する者である。
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私の館にもそういう御仁がおりました。私は厳しく諭してあげました。そうでないと歴史にその名を汚名として残すからです。
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『農士道』(第328回)
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脈々として波うつ血潮の通う生ける日本精神たる以上、勿論時に随って「ひの本」するはたらきも「ひの末」するはたらきもある。しかし何れかといへば西洋思想が「ひの末」のはたらきの原理に立つに対して、我が日本精神(廣くいへば東洋思想)は、「ひの本」するはたらきを特徴とするといふ意味なのである。
然らば「ひの末」と「ひの本」との作用の特徴を具体的にいへば如何なる點にあるか。以下之を明らかにしたいと思う。
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今回このようにブログに綴って行くと、ゆっくりと考え乍ら出来るので、大変理解度が進むと思います。
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菅臥牛先生みたいな人間になりたいです、とハガキに書いた森永礼弥君の母上様に、片っ端から書き写す様にお話しました。
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