味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。

2015-11-04 08:44:51 | ブログ
第2503号 27.11.04(水)
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其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。『孟子』
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 孔子は士官についても礼をもって招かれたのでなければ行かない、という道をとった。126
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 【コメント】これは大事なことだと思います。
 この例とは大きく次元が異なりますが、ある団体が、『南洲翁遺訓』を朗朗と発表する子供たちをつれて、ある大会に来てくださいとのお誘いがありました。が私は絶対に行かないことに決めています。
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 子供たちに発表させて会を盛り上げたければ、自分たちで子供をそういうふうに育てればいいのです。お誘いした中には、『南洲翁遺訓』を何が何でも改竄したいという男がいるのです。
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 昨年の鹿児島市議会で問題提起され市長・教育長は、鶴岡との兄弟都市盟約もあることから、荘内の方々にご迷惑をかける訳にはいかないとしてキッパリと拒否同然の答弁をしたのです。
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 当該男は、表立った役職は退いたやに繕って、現在も権力のある座にデンと坐っているのです。何が何でも『南洲翁遺訓』を改竄したいらしいのです。
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 私は、荘内南洲会・小野寺前理事長が、その事に奔走し、翻弄され、命を縮めたことを知っているただ一人の人間なのです。これを放置し、『南洲翁遺訓』の改竄があったら、命がけで刊行した菅臥牛先生たちに申訳ないから、諦める訳にはいかないのです。
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先ほど神戸自動車様宅へ行ってきました。宇都社長様の高説の一部をご紹介致します。
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 人間が老いるのは、年齢ではない、「気」であるということを話されました。90歳の超後期高齢者の方が、ベンツに乗っていて、度々、点検依頼に来ていました。その高齢者は、白い手袋をはめて、隣の座席に奥様を同乗させて車の運転をするのが何よりも楽しみにしておられるとのことでした。
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 御子息二人は医者をしていて、危ないから運転を止めなさいと忠告していました。
 ところがある日、90歳の方が、その車をブロック塀に衝突させました。90歳の方は宇都板金工場にすぐ修理依頼のため入庫しました。ところが、御子息二人が危ないからと言って車を廃車にし、運転出来ないようにしました。
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 車の運転が出来なくなった90歳氏は、床に伏して、大変な呆け症状が急に出てきたとのことです。お話をお聞きし私は、ウーンと唸って
しまいました。
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 近年、危険を感知・察知した時、自動的に停車する車が増えてきました。自動車板金工場は、仕事が大幅に減少し、業界では大変だそうです。
 そこで宇都社長が言うには、これからは、仕事を真面目に、丁寧にすること。そして修理費用が廉価であること。そして会社の職員全員が親切心があること等々を、会社ぐるみでやって行かないと仕事はもらえないということです。
 このブログを見た鹿児島の方は是非神戸自動車様に行ってみてください。職員の方々の挨拶を含めた対応も、仕事の内容も日本一だと私は思っています。
 次の社長になる御子息さまは、私と40年空手をしているのです。
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 三省堂のお客様抱き込み作戦、そして旭化成のビル建設問題にしても同様だと思います。インチキをしたり、ウソをつくとやがてボディブローのように効いてくるのです。
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 私は、荘内南洲会前理事長、小野寺先生にお心温まるご芳翰を数多く戴いているとブログに書いてきました。学歴も能力もなく、名声もない私を、「この男は信用できる」としてのお手紙であったろうと考えています。
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昨夕、書棚の整理をしていたら、懐かしいお手紙が数多く出てきました。それらを読んで思ったこと。
 人生を美しく、幸せに生きるには、
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 元気旺盛な時は、意見・思考の食い違い、そして付き合い上の損得の問題がいろいろあります。そこで、それらの当時の対応について不満があっても、相手が理解不能であつたと、大度量でもって許してあげることです。この裁判は人はできません。天が采配してくれるのだと私は何時も考えています。

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『臥牛菅実秀』(第41回)
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   (三)
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 世の中は、さようでござる ごもっとも なにとござるか しかと存ぜず
 これは泰平無事の中で、すっかり精神的背骨を失ってしまつた当時の武士層を諷刺した狂歌であるが、実秀はこんな卑屈で迎合的な、そして主体性のさっぱりない生き方は、とても我慢のできないことであった。明確な主体性を持つ以上、時代のただならない動きに対しても決して無関心ではいられなかったし、藩の政治にしても『上層部のえらい人のやることだ』と涼しい顔をしているわけらはいかなかったのである。したがって、藩政に対して思うことがあれば、づけづけと直言してはばからなかった。そしてそのいうことは余り積極的で、上司のいみきらうようなことばかりが多かった。

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『論語』(第436回)
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 子曰はく、唯上知と下愚とは移らず。
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 孔子が言うには、『人は習いによって賢とも愚とも移り変るが、ただ最上級の賢人と最下級愚者とだけは、かれは「生レナガラニシテ知ル者」であり、これは「困ミテ学バザル者」であるから、移りようがない。』
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 孔子が言うには、常人は習う所によって善にも悪にも移るけれども、ただ上知の者と下愚の者とは善悪が一定していて習う所によって善にも悪にも移らないのである。
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『農士道』(第318回)
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 日本精神の真生命も亦然りである。殊に日本精神に於ては後に述ぶる如く、全体性、総合性を特徴とする。その日本精神を徒に分析的のみに取扱って、定義づけたり、項目を羅列したりすることは、むしろ日本精神の非日本的研究----更に一般的にいえば、非東洋学的研究とも謂ひ得べき、非日本精神的方法なのである。
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