味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

先を争うの径路は窄し。

2015-11-12 10:11:17 | ブログ
第2511号 27.11.12(木)
.
先を争うの径路は窄(せま)し。退き後るること一歩なれば、自ら一歩を寛平にす。『菜根譚』 
.
 人と先を争うことになると、その道は非常にせまい。これに反し、人よりわずかに一歩遅れていく気なら、苦労なく、広くゆうゆうと進むことができる。
 他に譲る気持ちがあれば、何事もらくにやっていける。575

.
 【コメント】数日前にも書きましたが、この『菜根譚』は刊行してから永い間、世に認められなかったりのだそうです。一旦これが世に出てからは永遠のベストセラーになったとか。とにかく素晴らしい訓戒が満載されています。
.
 二か月前に亡くなった弟が自宅の床の間に、『菜根譚』第一章を手書きで書いていました。私は既に知っていたものですから、これをどうして知っているのかと聞いたら、全く知りませんでした。
.
 税務署職員であった弟が、鹿児島市郡山町付近を仕事で歩いているとき、大きな碑に書いてあるのを書き写してきたということでした。
.
 昨日は、荘内南洲会様からファックスを戴きました。先般柿をご恵送して戴いたものですから、2月28日、荘内南洲会の先生方がおみえになられた際、南洲翁遺訓発表にご協力してくれた子供たちに自宅までお届し、お礼を書いてくれるようハガキを渡しました。そのハガキが荘内南洲会様に届いたのをまとめてコピーし、私に送付して戴いたものです。荘内南洲会の先生方、有り難うございました。
.
 今朝はパソコンが非常に調子が悪いようですので、小刻みに登録更新致します。
--------------
『臥牛菅実秀』(第49回)
.
 一方、幕府では嘉永六年の船の出現に狼狽して、急遽、江戸湾品川沖に台場(砲台)を築いて万一に備えることになり、荘内藩は安政元年以来、その中の五番台場の警備を命じられていたし、また海岸線の長い荘内藩自体としても、海岸防護の強化、戦闘力の充実に鋭意、取りくまねばならなかった。そのために忠発はたびたび大規模な練兵を実施した。なかでも安政四年(一八五七)五月に忠発が与内坂(西浜砂丘地)に出馬して、軍師秋保政右エ門の指揮のもとに行った大演習は二千三百名を動員した最も大規模なものであった。
----------------
『論語』(第444)
.
 子曰はく、礼と云ひ礼と云ふ、玉帛を云はんや。楽と云ひ楽と云ふ。鐘鼓(しょうこ)を云はんや。
.
 孔子が言うには、『礼・礼というが、それは玉や絹の礼式用度を云ふのであろうか。楽・楽と云ふが、それは鐘や太鼓の楽器を云ふのであろうか。心の敬が形にあらわれたのが礼であるから、心の敬を失ったら、どんな上等の玉帛を用いても礼にはならぬ。心の和が音にあらわれるのが楽であるから、心の和を失ったらどんな妙音の鐘鼓を用いても楽にはならぬ。』
------------------
『農士道』(第326回)
.
      三、「ひ」の本と「ひ」の末
.
 「ひ」とは前述の如く、一切を生み成す生命力である。而して其の生命力の実際の活動に当っては、二つの作用がある。
 二つの作用とは何ぞや。生命---造化----即ち「ひ」のはたらきに、分化発現と統一収蔵との両作用あることは、已に第一章に於て詳述せる處であるが、即ちこの両作用が存するのである。今これを樹木の本末関係に就いて見るに、生命力が根(本)から枝葉の末に向って発現する作用が「ひの末」のはたらきであり、之に対して枝葉から根(本)に向って潜臧する作用が「ひの本」のはたらきである。

-----------