味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

当に人は過ちを同じくすべく、当に人と功を同じくすべからず。

2015-11-18 10:31:38 | ブログ
第2517号 27.1118(水)
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(まさ)に人は過ちを同じくすべく、当に人は功を同じくすべからず。功を同じくすれば、則ち相忌(い)む。『菜根譚』
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 仕事をともにして、過ちがあったならば、自分に責任がない場合でも、この過ちの責任は相手の人と分かち合うべきである。
 しかし、反対にうまくいった場合は、その成功はもっぱら相手の人の力だとして譲るがよい。自分の功を主張すれば、往々にしてたがいに怨み、怨まれることになるものだ。570

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 【コメント】人生を万事、無難に、円満に生きて行く訓戒だと思います。
 西郷南洲翁の漢詩『子弟に示す』の後半に同様の訓戒があります。曰く、
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 過ちを斉しうしては之を己に沽ひ、
 功を同じうしては是を人に売れ。
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 人と一緒に過ちを仕出かした場合には、それを自分に買って出て、一人で全責任を負うようにし、
 人と一緒に功を立てた場合には、是を人に売って、自分は其の分け前に与からないようにせねばならぬ。
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 ある団体から交流会に参加させてほしいと懇願され、一献傾けることになりました。ところがその団体の機関誌には、さも自分たちが企画しにぎにぎしく開催したやに報告されていました。『南洲翁遺訓』を学ぶやに伺っていますが、南洲精神は何もわかっていないな、と思った次第でした。
 誰が、どのように理解し、運営しようが自由であります。そういう団体と意見の衝突をみないためにも、日本空手道少林流円心会は半世紀の実績を踏まえ、五条訓に謳ってあるように、子供たちを清廉にして強固な信念を構築すべく邁進したいと思います。
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 これが菅原兵治先生が説く、『農士道』に云う、大和の武士道の「ひの本」精神なのであります。かくて我等日本国民が、生命の根原として身を呈して奉仕する対象は国民としての自覚であり、以て仁を成す「日の本」の民なのであります。
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 それが西郷南洲翁の漢詩『獄中感有』の末尾に云う「願はくは 魂魄を留めて皇城を護らむ」という精神に収斂されるのです。

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『臥牛菅実秀』(第55回)
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 このころ荘内藩では品川五番台場の警備から転じて蝦夷地(北海道)警備の困難な任務に当っていた。これはますます積極化してくるロシアの南下政策に脅威を感じた幕府がとった防衛策で、荘内藩では蝦夷地西海岸の拝領地四十里余、警備地六十里余、合せて百里を越える海岸線の警備と、移民開拓の両面の任務を負うていた。ここは当初、越冬も危ぶまれた寒冷地体だけに、その辛労もまた大きかった。 .
 当時、日本は北蝦夷(カラフト)千島まで勢力を伸ばしていたが、ロシアは、それを追いはらって蝦夷地まで進出しようとしていたし、イギリスはイギリスで世界にまたがる大帝国の勢力範囲に日本をとりこみ、極東の前進基地にしようとしていた。このようにひしひしと迫ってくる列強の圧力に日本は烈しく揺れ動き、朝廷と幕府をめぐって尊王攘夷論と公武合体論の勢力は幾たびか変転した。

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『論語』(第450)
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 子曰はく、「紫の朱を奪ふを悪む。鄭声の雅楽を乱るるを悪む。利口の邦家を覆す者を悪む。」
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 孔子が言うには、『間色たる紫がそのなまめかしさの故に正色の赤を圧倒することがにくむべきと同様、鄭国の俗楽が耳に入りやすきが故に先王の正楽を混乱し、多弁の侫人が君にへつらい善人を陥れて国家を危うくするは、にくむべき極みである。』
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 連日、NHKをはじめ民報でも、「二歳児にタバコをすわせた。男女の殺し合いがあった。強盗事件があった。」と競って視聴率稼ぎの報道をしていますが、結果的にこれらが、事件を助長しているように思えるのですが、如何でしょう。
 もう少し、教養番組を編成して欲しいと思うのは私だけでしょうか。
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 私は普通の方がには極めて堅いと思われるであろう漢籍の言葉を標題にして、ブログを綴っています。フェイスブックにしたらという親切なご提案もあるのですが、とにかく多忙なために、独り言を行っているようなものです。それは自らが学ばなければならないという考えに基づいています。
 これを見て下さった方とのご縁に感謝致します。

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『農士道』(第332回)
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 この果実が一度地中に入って発芽する時の状態を見るに、外側の皮も肉も皆其の身を殺して、中なる生命力の根元たる「仁」の育成に参賛奉仕する。換言すれば杏の種子の発芽に於て吾々はいみじくも「身を殺して以て仁を成す」のはたらきを見る。仁とはかくの如く、生命の根原(本)であり、一切の枝葉的存在のものが、其の身を殺して奉仕参賛する感激の対象である。かくて我等日本国民が、生命の根原として身を殺して奉仕する対象は実に大君であり、随ってその大君の御名を何仁(ひと)親王と申し上ぐることは、「ひの本」の国として実に有難くも嬉しきことの極みではないか。吾等日本国民は、実にこの至上の感激を以て、この日本国家の「仁」にまします大君に奉仕して、身を殺して以て仁を成す「日の本」の民なのである。
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