第2506号 27.11.07(土)
.
王佐の心。『近思録』
.
王者を補佐して働く精神。諸葛孔明にはそれがあった。302
.
【コメント】諸葛孔明の書籍もむさぼり読んできましたが、諸葛孔明が名補佐役として智慧の限りをつくしたということは記憶にあります。
.
今朝の学問館は遠く吉野から馳せ参じてくださいました。
教材は、
.
1.創業の精神
2.魅力ある経営者たちに共通したもの
3.『小学』に学ぶ
4.運命をひらく
5.縁を生かす
6.中流の砥柱
7.学に如かず
8.本居宣長の学恩
9.一斎・一期一会 敬天愛人---等々でした。
.
終了時、高校一年の中島さんに、どの項目が良かったか聞いてみました。「6.中流の砥柱」がよかった。小学三年生・理瑚さんは「5.縁を生かす」がよかったと述べてくださいました。大人にも難解な資料なのですが、流石、と思った次第でした。
.
「5.縁を生かす」は中島先生に読んで戴きました。〈服装が不潔でだらしなく〉一見おちこぼれと思われる子供が、やがて立派に成長していく内容に、感激して、涙声も絶え絶えながら読んでくださる姿にもらい泣きした次第でした。
.
全国にはこのような、本当の愛が届かない子供が数多く存在するであろうと思うことでした。だから私はひと月前皇徳寺児童クラブでおあいした子供たちを最初としてこれから、『南洲翁遺訓』のご紹介をして行きたいと考えています。
.
そこには、金の力でなく、名誉的な力でなく、純粋な精神である大人が取り組まなければならないと思うのです。対象は日の当たらない子供たちの魂に訴えるものでなければならないのです。老人クラブみたいな団体の人々がパフォーマンスでやろうとしているのは、その意を尽くさない内に崩壊するような気がしてならないのです。
----------------------
『臥牛菅実秀』(第44回)
.
「秀三郎はんは、まるで暴れ馬のようなもので、蹴るやら踏むやら噛みつくやら、なんともしようのない男だ。」
というのが、実秀に対する周囲の評判であった。
松平権右エ門は、その実秀をつぎのように評した。
「秀三郎はんは、あたりからだいぶ持て余し者にされているようだが、わしならこの男を使うのは、いとも簡単なことだ。」
その理由というのが面白い。
「この男を東にやろうと思うときは西にいけというと一目散に東に向って走り出す。西にやろうと思えば、東というと西に向ってまっすぐ走り出すにきまっているからだ。」
権右エ門はそういって洪笑した。
------------------
『論語』(第439)
.
子張仁を孔子に問ふ。孔子曰はく「能く五者を天下に行うを仁と為す。」之を請ひ問ふ。曰はく「恭・寛・信・敏・恵。恭なれば則ち侮らず。寛なれば則ち衆を得。信なれば則ち人任ず。敏なれば則ち功あり。恵なれば則ち以て人を使ふに足る。」
.
子張が仁の道を孔子に問うた。孔子が告げて曰うには「能く五つの徳を身に修めてこれを天下に行うのが仁である。子張がその五つの徳目を問うた。
孔子が告げて曰うには「五つの徳とは恭・寛・信・敏・恵である。恭は能く己を取り締まって放慢に流れないのであるから、畏るべき威が具って自然人が侮らない。寛は心が大きくて人を容れる度量があるから、衆人の心を得る。信は偽らないのであるから、人が己を倚り頼んで疑わない。敏は怠らず勤めるのであるから、仕事の成績があがる。恵は仁が薄くならないのであるから、人が皆恩に感じて我が用をすることを楽しむので、人を使うことができる。」
-----------------
『農士道』(第321回)
.
之によって見れば、「日は書紀に産霊(むすび)と書かれたる霊の字よく當れり。凡べて物の霊毘(くしび)なるを比といふ。」とある。「産霊」とは云ふまでもなく、高御産霊神、神産霊神の「産霊」であって、すべてのものを産みなして行く、不可思議なる作用(はたらき)をいふのである。
---------------
11月7日、おわりです。
.
王佐の心。『近思録』
.
王者を補佐して働く精神。諸葛孔明にはそれがあった。302
.
【コメント】諸葛孔明の書籍もむさぼり読んできましたが、諸葛孔明が名補佐役として智慧の限りをつくしたということは記憶にあります。
.
今朝の学問館は遠く吉野から馳せ参じてくださいました。
教材は、
.
1.創業の精神
2.魅力ある経営者たちに共通したもの
3.『小学』に学ぶ
4.運命をひらく
5.縁を生かす
6.中流の砥柱
7.学に如かず
8.本居宣長の学恩
9.一斎・一期一会 敬天愛人---等々でした。
.
終了時、高校一年の中島さんに、どの項目が良かったか聞いてみました。「6.中流の砥柱」がよかった。小学三年生・理瑚さんは「5.縁を生かす」がよかったと述べてくださいました。大人にも難解な資料なのですが、流石、と思った次第でした。
.
「5.縁を生かす」は中島先生に読んで戴きました。〈服装が不潔でだらしなく〉一見おちこぼれと思われる子供が、やがて立派に成長していく内容に、感激して、涙声も絶え絶えながら読んでくださる姿にもらい泣きした次第でした。
.
全国にはこのような、本当の愛が届かない子供が数多く存在するであろうと思うことでした。だから私はひと月前皇徳寺児童クラブでおあいした子供たちを最初としてこれから、『南洲翁遺訓』のご紹介をして行きたいと考えています。
.
そこには、金の力でなく、名誉的な力でなく、純粋な精神である大人が取り組まなければならないと思うのです。対象は日の当たらない子供たちの魂に訴えるものでなければならないのです。老人クラブみたいな団体の人々がパフォーマンスでやろうとしているのは、その意を尽くさない内に崩壊するような気がしてならないのです。
----------------------
『臥牛菅実秀』(第44回)
.
「秀三郎はんは、まるで暴れ馬のようなもので、蹴るやら踏むやら噛みつくやら、なんともしようのない男だ。」
というのが、実秀に対する周囲の評判であった。
松平権右エ門は、その実秀をつぎのように評した。
「秀三郎はんは、あたりからだいぶ持て余し者にされているようだが、わしならこの男を使うのは、いとも簡単なことだ。」
その理由というのが面白い。
「この男を東にやろうと思うときは西にいけというと一目散に東に向って走り出す。西にやろうと思えば、東というと西に向ってまっすぐ走り出すにきまっているからだ。」
権右エ門はそういって洪笑した。
------------------
『論語』(第439)
.
子張仁を孔子に問ふ。孔子曰はく「能く五者を天下に行うを仁と為す。」之を請ひ問ふ。曰はく「恭・寛・信・敏・恵。恭なれば則ち侮らず。寛なれば則ち衆を得。信なれば則ち人任ず。敏なれば則ち功あり。恵なれば則ち以て人を使ふに足る。」
.
子張が仁の道を孔子に問うた。孔子が告げて曰うには「能く五つの徳を身に修めてこれを天下に行うのが仁である。子張がその五つの徳目を問うた。
孔子が告げて曰うには「五つの徳とは恭・寛・信・敏・恵である。恭は能く己を取り締まって放慢に流れないのであるから、畏るべき威が具って自然人が侮らない。寛は心が大きくて人を容れる度量があるから、衆人の心を得る。信は偽らないのであるから、人が己を倚り頼んで疑わない。敏は怠らず勤めるのであるから、仕事の成績があがる。恵は仁が薄くならないのであるから、人が皆恩に感じて我が用をすることを楽しむので、人を使うことができる。」
-----------------
『農士道』(第321回)
.
之によって見れば、「日は書紀に産霊(むすび)と書かれたる霊の字よく當れり。凡べて物の霊毘(くしび)なるを比といふ。」とある。「産霊」とは云ふまでもなく、高御産霊神、神産霊神の「産霊」であって、すべてのものを産みなして行く、不可思議なる作用(はたらき)をいふのである。
---------------
11月7日、おわりです。