味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

身を立て道を行ない、名を後世に揚げて、

2015-11-23 09:30:26 | ブログ
第2522号 27.11.23(月)
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身を立て道を行ない、名を後世に揚げて、以て父母を顕わすは孝の終わりなり。『孝経』
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 一身の独立を保持し、道を行ない、名をのちの世にまで揚げて、父母の名を世に顕わす。これは親孝行の終わりというべきだ。287
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 【コメント】『孝経』を思い出すと荘内南洲会前理事長・小野寺先生を思い出します。数々戴いたお便りを拝読すると、『孝経』の匂いがするような、そんな感じが致します。お手紙とはこのように書くものだということを言外に教えてくれているのかも知れません。
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『臥牛菅実秀』(第60回)
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 こうしたあわただしい動きの中で、亂を好む浪士たちは江戸を横行していた。
 幕府では浪士を手なづけて、その統制をはかりながら江戸の警備に当らせようとして、浪士を募集した。これが新徴組と名づけた幕府の特別警備隊であった。

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『論語』(第453-3)
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 子曰はく「予の不仁なるや、子生れて三年、然る後父母の懐を免る。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や其の父母に三年の愛有るか。」
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 宰我が退出すると、孔子は彼が真に安しとしてこれを遂行することを恐れて「予(宰我の名)は不仁で親を愛する心の薄いことだ。人の子は生まれてから三年たって初めて父母の懐を離れるものであるから、喪は必ず三年にして僅かに父母の労に報いるのである。三年の喪というものは上は天子より下は一平民に至るまで天下の人の子に通じて行われる喪である。予も人の子である。かつて父母から三年の愛を受けたことがあるか。三年の愛を受ければ、どうしても三年の喪を止めることができよう。」と曰って宰我にこれを聞かせて反省させてその本心を得させようとした。
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『農士道』(第337回)
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 「大和」の漢字をどう訓んでも「やまと」と讀むは無理であらうのに、吾等の祖先は敢えて此の文字を当てたのは、抑も如何なる理由であったのか。思うに日本民族は、前述の如く、「ひの本」民族である。決して「ひの末」原理によって分裂排他せんとする国民に非ずして、飽くまでも「ひの本」原理に従って没我奉仕せんとする民族である。この民族性が「ひの本」國家の「本」にまします天皇のゐます處に向って翕然(きゅうぜん)として没我奉仕して「大和」せんとしたのである。随って其の帝都たる「やまと」の國を、吾等の「大和」すべき中心の地としたのである。
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午前10時半に自宅を出て枕崎までお墓詣りに行ってきました。そして半世紀前、空手を一緒にしていた、元警察官の森山様宅の実家を訪ねて行きましたが、家が分らず帰ってきた次第でした。
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 この方の実家が誰も住んでいない為、家が傷んでいるとのことを伺いましたので、どの程度の傷みであるか見に行った次第でした。私と大坪師範は素人大工一級の腕前ですので、ボランティアで修理をしてあげたいと思って事前調査に行った次第でした。
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 半世紀前一緒に空手道をしていた崎向師範の家もすぐ近くでしたが、現在は撤去され、空き地になっていました。アメリカへ亘り二年前に死去したということを聞いていましたので、合掌礼拝をしてきました。

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