味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

無告を虐げず。

2014-05-27 15:53:46 | ブログ

タイトル---無告を虐げず。第1978号 26.0527(火)

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 無告を虐(しいた)げず。『書経』

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 力弱い境遇の人々を虐げてはならない。(舜のことば)

 「無告」は、自分の苦しい境遇を告げ訴えるべき相手のいない人。

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【コメント】

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 堯・舜として歴史に名高い舜帝の言葉は、上に立つ人の心の優しさが伝わって参ります。人間かくありたいものだと思います。仮に力の強い者に虐げられたとしても、その場での反撃は出来なくても、長期的な戦略を建てたいものです。

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 『自助論』に登場する人々のように、寝る間もないくらいの情熱でもって学問をし続けるのです。研鑚し続けるのです。私はそのようにしています。情熱のありったけを総動員して、です。

 そうすれば病は遠のいて行くのです。そこで歴史の審判に勝てばいいのです。

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 先ほど午後二時に昼食をしました。テーブルの下に古ぼけた月刊誌がありました。昭和五十一年二月号となっています。 「スト論議あれこれ」 田中美知太郎氏、 当時、京都大学名誉教授という肩書です。日本空手道少林流円心会道場落成が昭和五十年だから、その翌年ということです。少しく紹介します。

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 〈いわゆるスト権ストなるものは組合側の完敗を持って終ったようである。あるいは完敗以下だという批評も聞かれる。しかし組合側の大会報告とか総括とかいうものでは、「戦術的に勝利であった」とか、スト権について、「国民の理解と支援」を得ることに成功したとかいうことがうたわれていて、敗北感はないと称されている。 

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 何だか戦争中の大本営発表みたいな感じがしないでもないが、内部事情からすると、まあそうとでも言っておくほかはないだろう。戦略や戦術のことは知らないが、その言い分や仕方が果たして一般国民を納得させるものであったかどうか、時間もいくらかたったことだし、冷静に考えてみる必要があるのではないか。

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 はじめの頃しきりに言われたのは、これは二十八年来の執念なのであって、われわれはこのためにすべての準備をして来たのだから、お前たちはそこをのけ、邪魔だてするなといった調子のものではなかったかと思う。しかしわれわれ一般国民が、そのような執念につき合って、あらゆる不便や迷惑を忍ばなければならない、どんな義理と理由があるのかさっぱりわからなかった。

 芸術家や科学者の場合だと、かれらの執念が場合によっては美談のうちに語られることもあるだろう。しかし執念なんてものは、もともと手前の勝手なのであって、そのための苦労も手前の勝手ということになるだろう。しかし他人をそのために苦労させる客観的な理由にはなりえないものである。二十八年前いわゆる二・一ゼネストによって革命的情勢をつくり、混乱に乗じてあわよくば左翼政権をと目論んだ、その野望がマッカーサーの一喝によって粉砕されてしまったのは、もことに残念至極であって、いつかはこの執念をはらし、革命の夢をもう一度実現しようなどと、もし今日のストライキの指導者が考えているのだとしたら、そんな野心家の執念にわれわれが義理立てをしなければならない、どんな理由があるのか。〉--後略

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 40年前の論考であります。労働者のあくなき要求が叩きのめされたのは、三公社が民営化されたことでも容易に理解されることです。仕事は少なくせよ、賃金あげろで天が助けてくれるものですか。

 私に言わせると、きつい仕事でも、力一杯人よりか働く方が健康にいいのです。だから私は高校時代から今日まで、オーバーな表現ながら死にもの狂いに働き勉強しているのです。その方が御飯もおいしいし、晩酌もおいしいのです。そういう真面目人間を天は助けるのだと思います。まかり間違って私が100歳まで生きたとしたら、人々に教えてあげたいと思っています。

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 本件とは関係ないのですが、私の道場で学ぶ子どもたちは、『南洲翁遺訓』とか漢籍の言葉等々を学修しています。遅々としてですが、必ず大成する子どもが出てくると信じています。

 その子どもたちに、先の先に的をしぼれ、と言い聞かせています。今、AKBみたいに華やかでなくてもいいのです。人生の終盤に勝てばいいのです。多くの人が今を盛りと急ぎ過ぎていると私には思えてならないのです。そういった意味では先のAKBの事件は、功を焦った大人の被害者ではないのかなとも思えるのです。

 ゆっくりと堅実に行きたいものです。

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 『天保おすわり事件』(第34回)

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 彼らは、第一着手として、大老、老中に直訴をやらうと決心した。直訴の結果が、いかにおそろしいものであるかは、千も萬も承知してゐたが、非情の場合には非情の覚悟を要する。自分等の素顔を貫徹せんがためには、幕府の忌諱にふれる事も止むを得ない。天下の大法に問われて、一門一家、悉く刑場の露と消ゆるも、敢えて厭ふところではない。それがために、、生命を召されるならむしろ本望だとさへ思ひこんだのである。

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短歌の紹介

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走り過ぎ滑って転んで怪我をて

               片足なくしそれでもいいの 6771 博庵語録

右左確かに眺めあきらめぬ 

              その戦法は負ける筈なし 6772 博庵語録 

派手すぎてやっかみ受けて狙われて

              人生後半泣いてくらすの? 6773 博庵語録

己を立つよりか人様立てなはれ

             共に感謝が真の生きがい 6774 博庵語録 

南洲の遺訓をお手本なされませ 

              これより善きは他に類なし 6775 博庵語録

理子ルームブログ眺めて学ばれよ

              人生奥義ちりばめており 6776 博庵語録