味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

尚、わくは屋漏に愧じざれ。

2014-05-06 12:25:10 | ブログ

タイトル----尚、わくは屋漏に愧じざれ。第1958号 26.05.06(火)

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 (こいねが)わくは屋漏に愧じざれ。『中庸』

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 部屋の奥にいても、人に見られて恥ずかしいような態度はしない。そのような人になりたい。

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 【コメント】

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 この言葉を覚えたのが30年前のことであります。「四書五経」を購入し、数々の言葉を大きく書いて壁に貼ったりして覚えてきました。こんな楽しいことはあませんでした。

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 5月5日、円心会技術研修会をしました。

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 昨日は、年一回の円心会技術研修会に18名が参加してくださいました。午後一時から五時まで、型習得の研修と組手技術の研修を行いました。中学一年の愛実嬢、二年の瑠果嬢をはじめ交替交替に型責任者を前もって決めて研修をしました。

 長崎の帖佐師範もかけつけてくださいました。40年の修行の成果を堂々と各人が発表し、指導者名利につきました。

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 途中で、三人の女児に空手の舞を演じて貰いました。中学女児は技術の向上を目指し、熾烈な戦いを演じました。空手の舞をみれば、何處に重きを置いているかがよくわかります。それにしても、上手くなってくれました。宝塚のお姉さんたちに負けず劣らずだと思った次第でした。

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 『天保おすわり事件』(第14回)

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   七  (頁九)

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 轉封命令の黒幕は、水野越前守忠邦であ事は前章にも書いた。

 では、どうして水野が、そんな乱暴を敢えてしたか?

そこには、いろいろの魂胆があったのである。

 當時の将軍は、十二代の家慶であるが、政治の実権は依然として大御所様と呼ばれてゐた、前将軍家斉の手に握られ、家慶将軍は、全く虚器を擁するに過ぎなかったのである。

 家斉は、人も知る如く非情な子福者で、正子庶子をあはせて五十一人もあったといふ(一説には五十三人)うち二十三人が早逝して、生残ったのが二十八人、それを全部、大小名の奥方や、養子に売込むのに、二十六年間苦労したといはれている。これが相談役とて、家斉に重責がられたのは、権臣水野出羽守であった。

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