味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

記問の学は、以て人の師と為るに足らず。

2014-05-13 20:19:47 | ブログ

タイトル----記問の学はも以て人の師と為るにたらず。第1964号 26.05.13(火)

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 記問の学は、以て人の師と為るに足らず。『礼記』

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 単なるものしりで、実行の伴わない者は、人の資格はない。

 「記問の学」とは、ただ古い事柄をよく覚え、古書を暗記しているだけで、実行の伴わない学。

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 【コメント】

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 昨日も超多忙でブログは標題だけにしておきました。日付を確保するためです。

 多忙でしたが、一年生の礼弥君が空手にやってきました。

 私の両手にはプレスレッド?をつけています。左手は池田南星君作成、右手は礼弥君作成のものです。これをみて一人でニヤニヤ笑いながら、仕事をしています。

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 標題の『礼記』の言葉は、良い言葉ですが、実行が伴ったとしても、『南洲翁遺訓』の改竄をするような実行は駄目だと思います。天風師が言うように、「清く尊く美しく」でなければならないと思います。

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 『天保おすわり事件』 (第20回)

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  一 〇

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 水野は、豫てから荘内の酒井家を眼のかたきにしてゐた。

 酒井家は、三河以来の御譜代にもかかはらず、水戸家と共に、累代勤王の家柄として著聞されてゐた。

 水戸家は、何といっても御三家の随一、天下の副将軍だ。いくら老中でも手のつけようがない。狙ひの的を、荘内の酒井家につけた水野の腹は、見えいてゐる。

 酒井家では、これ迄も度々、将軍名代として京都に参向を命ぜられてゐる。

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       雲の上や愚かなる身のかしこさは

             大宮人にそでをつらねて

    けふといへはおましまちかく立交る

             身のかしこさを何にたとへむ 

    忘らるる時こそなけれ恵のみ

             あふく心に匂ふたちはな

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 忠徳公が、寛政九年五月、光格天皇に拝謁仰付けられた時の御歌である。

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