タイトル----其の極を用いざる所なし。第1974号 26.05.23(金)
.
其の極を用いざる所なし。『大学』
.
何事をするにも、常に最善の道、最上の力を用いなければならない。
.
【コメント】
.
上の『大学』の言葉は正論であると思います。人様に対しても、〈最善の道、最上の力〉を用いて尽せば、相手にも通じるのです。私は何時もそのようにしています。
.
昨夜の空手道指導の際にも、子どもたちにその旨お話しました。身体と頭を使えば健康にもいいのです。それが長生きにもつながるのです、と話しました。そうすれば争いごとはなくなるのです。
.
健康で長生きしたければ、ずるいことをせず、良い言葉を遣い、思いやりの心を持って、人様が欲することをしてあげて、報酬を求めず、唾を吐きかけられても、それを拭って、相手におしあわせにといい、黙って我が道を行こうではないかとお話しました。
.
-------------------------
.
『天保おすわり事件』(第30回)
.
下世話に、世上の口には戸がたてられぬといふ。諸大名の間でも、水野の評判は散々であった。諸大名ばかりか、町人百姓の間にも、水野は毛虫の如く唾棄された事実は、水野の没後前後に江戸市中に流布された地口や落首を讀めばわかる。
『國民の日本史』のうちにも、水野が、前将軍家斉の御機嫌を取結ぶために、江戸京橋風月堂の娘を、自分の養女として御部屋様にすすめたといふ記事がのっている。それやこれやが、たまりたまって、水野は遂に江戸町人の怨府となった。天保十四年閏九月、水野が老中職罷免の報一たび江戸市中にひろまるや、市民は歓呼して相慶賀し、即夜、大名小路の越前役屋敷の門前に群集し、瓦礫を邸内に投じ、口々に快哉を叫び、それを見物せんと集った民衆で、火事場のやうな大騒ぎを呈したと、或歴史の本に書いている。
.
遠州濱松ひどいやうでもろい
横に車が二年もたぬ
.
こんな唄も残ってゐる。
.
----------------------------