タイトル----礼を知らざれば、以て立つことなし。第1966号 26.05.15(木)
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礼を知らざれば、以て立つことなし。『論語』
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礼は社会に立つ人間の背骨である。だから、その礼を心に備え、身につけない者は、世の中に立つことはできない。
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【コメント】
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標題の解説はその通りだと思いますが、それを心得ている人が、穏やかに、謙虚に、悟らせることが出来れば、よろしいのではないでしょうか。
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最初から何でも分かっている人はいないのですから。
かく申す私も、たまたま『南洲翁遺訓』との出会いがあり、かついろいろな文献を読み進めるうちに分かってきたのですから。
だから道場では子どもたちに、遊びながらボツボツ本を読んだり、文字を書いたりしましょうよ、と話しかけているのです。
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『天保おすわり事件』 (第22回)
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さうした噂が、チラリチラリ耳に入るたんびに、水野はいやな顔をしたに違いない。といって苟も日本人である以上、勤王を言ひがかりに、酒井家をどうかうするわけにはゆかぬ。折があったらと、頻りに機会を狙ってゐた水野の胸に、松平大和守の仏頂面が思ひうかんだのに不思議はない。
「名案! 名案!」
荘内の酒井を越後長岡に追払ひ、そのあとを、松平大和守に與へれば、大御所様も必ずお喜びになるに違ひない。大和守は無論手中の者になる。大御所様の御機嫌を取結んで置けば、他日の栄達は期してまつべしだ、ひいては水戸家への面当てにもなる。長岡の牧野備前は、嘗て自分と京都所司代を争った男だ。川越の芋を食せて逼塞させてやるのも面白い。一石二鳥どころか、一石四鳥の狙ひうち、何と越前は天下の知恵者であらうがな!」
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天に唾するといふ言葉がある。再び自分の顔にふりかかるといふのである。人は呪はば穴二つ、古人はうまい事を言ったものである。それが他藩であったら-----少くも荘内の酒井家でなかったら、或ひは水野の思惑通りになったかも知れぬが、相手が酒井家では荷が重過ぎたのである。さすが知恵者の水野越前も、千慮の一矢、籔をつついて蛇を出した形となり、散々手を焼いた挙句、天保大改革の大立物、一代の大政治家も、かっかり男を下げる結果となったのである。
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