味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

礼を知らざれば、以て立つことなし。

2014-05-15 12:54:07 | ブログ

タイトル----礼を知らざれば、以て立つことなし。第1966号 26.05.15(木)

.

 礼を知らざれば、以て立つことなし。『論語』

.

 礼は社会に立つ人間の背骨である。だから、その礼を心に備え、身につけない者は、世の中に立つことはできない。

.

【コメント】

.

 標題の解説はその通りだと思いますが、それを心得ている人が、穏やかに、謙虚に、悟らせることが出来れば、よろしいのではないでしょうか。

.

 最初から何でも分かっている人はいないのですから。

 かく申す私も、たまたま『南洲翁遺訓』との出会いがあり、かついろいろな文献を読み進めるうちに分かってきたのですから。

 だから道場では子どもたちに、遊びながらボツボツ本を読んだり、文字を書いたりしましょうよ、と話しかけているのです。

.

 --------------------------

.

 『天保おすわり事件』 (第22回)

. 

 さうした噂が、チラリチラリ耳に入るたんびに、水野はいやな顔をしたに違いない。といって苟も日本人である以上、勤王を言ひがかりに、酒井家をどうかうするわけにはゆかぬ。折があったらと、頻りに機会を狙ってゐた水野の胸に、松平大和守の仏頂面が思ひうかんだのに不思議はない。

「名案! 名案!」

 荘内の酒井を越後長岡に追払ひ、そのあとを、松平大和守に與へれば、大御所様も必ずお喜びになるに違ひない。大和守は無論手中の者になる。大御所様の御機嫌を取結んで置けば、他日の栄達は期してまつべしだ、ひいては水戸家への面当てにもなる。長岡の牧野備前は、嘗て自分と京都所司代を争った男だ。川越の芋を食せて逼塞させてやるのも面白い。一石二鳥どころか、一石四鳥の狙ひうち、何と越前は天下の知恵者であらうがな!」

 .

 天に唾するといふ言葉がある。再び自分の顔にふりかかるといふのである。人は呪はば穴二つ、古人はうまい事を言ったものである。それが他藩であったら-----少くも荘内の酒井家でなかったら、或ひは水野の思惑通りになったかも知れぬが、相手が酒井家では荷が重過ぎたのである。さすが知恵者の水野越前も、千慮の一矢、籔をつついて蛇を出した形となり、散々手を焼いた挙句、天保大改革の大立物、一代の大政治家も、かっかり男を下げる結果となったのである。

.

 ---------------------------------

.