タイトル----行く時は閾を履まず。第1959号 26.05.07(水)
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行く時は閾(しきい)を履まず。『論語』
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孔子は門を通るとき、しきいを踏むような不作法はしなかった。
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【コメント】
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大変およろしい教えです。本来ならば学校教育現場でそういう事も指導して欲しいのですが、学校の先生は、何もわからないと思います。ただ勉強さえできればいいというだけのことなのでしょうか。私がつきあった方の大半がそうでしたから。
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先にブログでも書きましたが、私は日本舞踊を30年お稽古してきました。電電の中央電気通信学園に行った時は、吉祥寺の花柳徳兵衛学校に数回行きました。
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そして熊本電気通信学園とか、行った先々で花柳流のお師匠様にご指導を承って参りました。そこで学んだことは、踊り・舞踊が上手くなる前に、あるいは同等にお作法が大事であるということです。それはそれは厳しく習いました。そういうお師匠様より、無学ではあったが、私の母はお作法に厳しい人でした。
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昨日は、一年生の礼弥君がおけいこにきました。その際、錦江湾で釣った小魚を持ってきてくれました。だから今日は私が枕崎のツケアゲを持っていきました。
前回は、このツケアゲはボクに持ってきたのだから、お母さんにも、じいにも、ばあにも食べさせないと言ったと聞きました。今日は、家族に持ってきたのだからと母上さまに伝え、そのようにしてぐたさいとお願いしました。.
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『天保おすわり事件』(第15回)
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迷惑をしたのは、結婚適齢期の子女を持った大名たちである。贅沢な将軍の姫君を貰ったが最後、身代を棒にふる覚悟をしなければならぬ。佐賀の鍋嶋直正が、盛姫を貰ったばかりに、財政上に破綻を来たし、参勤交代の費用にさへさしつかへたといふ、笑へぬ悲劇さへあったのである。
大大名に適当な候補がなくなると、今度は小大名を狙った。四五萬石の小大名でも、家柄さへよければ、松平姓をお土産に、どしどし押しつけ婿や、押しつけ嫁を差しむけたのである。川越の松平大和守斉典も、その恩典に浴した一人で、家斉の末子紀五郎-------末子だといふから、五十一番目か五十二番であったに違ひない。禍根は實にここから出てゐるのである。
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