タイトル----名に近づくに意あれば、則ち是れ偽りなり。第1963号 26.05.12(月)
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名に近づくに意あれば、則ち是れ偽りなり。『近思録』
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学問をするにあたって、それによって名誉を得たいという考えが少しでもあれば、それはもう偽りの学となる。本当の学問はとてもできない。
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【コメント】
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まさしくその通りです。連日、読み書き等々をしていて、上の解説が指摘する小人の欲でないので、そうだよと相槌を打っています。
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インターネットを立ち上げると、悪戯のコメントが10件位連日入っています。多分、若い子どもたちだと思われますが、こういう悪戯はやめた方がいい。その内、天罰が来て早死にすることになるのです。
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私にたてついた人が、早死にする、難病にかかるという現象が起きています。不思議です。悪戯のコメントが入っても怒りもせず、ただマウスを左右クリックして消している私は、指の訓練だと思ってやっているだけです。天は必ずみているとは、そういうことも言うのです。
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今、公に書く訳に行きませんが、大変な事が起きる前兆で大忙しです。念入りにブログを書けない状況を御察しください。ただ本人の、老人の私は、坦々と作業をしているだけなのです。
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荘内南洲会様にはFAXしましたが、要用の件、よろしくお願い致します。
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とにかく今日も大忙しです。どんなに超多忙であっても、私は挫けないし、怒りもいらだちもありません。夜間高校時代からこういう生き方をしているから、これが平常心なのです。私と対峙して、根くらべして勝つ人はいないでしょう。私は寝なくても大丈夫なのですから。
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その昔、朝の勉強会に行った際、2時間の睡眠を二週間続けたことがありました。そうすると極限状態の世界が展開されるのです。中味を知りたい方は、ご自分で経験してください。ここでは書きません。
こういう異常体験を半世紀に亘って実践しているのです。このように書いているのは、私のブログに悪戯をしている子ども、青年たちに対する警告として書いているのです。
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理子先生、お酒は大変美味しく頂きました。丁度、「岸の柳」をダビング作成してくださいました森崎先生がおみえになりましたので、一本あげました。
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『天保おすわり事件』(第19回)
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「蛟龍いつまでか地中のものたらんやだ。乃公も大名の家に生まれたからには、一度は風雲に乗じて、天下の政権を握って見たい。それには、唐津では都合が悪い。何をおいても、どこか適当な處に、十分の足場を得なければならぬ。」
その水野が、適当な場所として選んだのが、遠州濱松だ。
濱松の城下から、十町ばかりはなれた處に、東海道十三次の一驛引馬の宿がある。その中間、さざんざの松原に通ずる馬込橋が、京都と江戸との真中だといはれてゐた。
彼はここに眼をつけたのである。彼は臆面もなく自薦運動をはじめた。政治家肌の男だけに、かういう事にはぬけ目がない。彼の運動は首尾よく成功して、文政元年二十五歳の時、愈濱松の城主となった。彼の得意知るべしである。
文政八年、大阪城代となり、翌九年牧野備前と争って京都所司代をかち得た彼は、躍進また躍進をつづけて、同十一年西の丸老中となり、天保五年には、四十一歳で早くも本丸老中となったが、家慶は名のみの将軍、實権は依然として前将軍家斉の手に握られてゐるので、彼は隠忍自重、言ひたい事も言はず、諸事控え目にして、ひたすら家斉の機嫌を取結ばうとつとめたために、大御所様の大覚えいよいよめでたく、出羽守没後の臺閣にたって、老中筆頭にまで進んだのである。
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