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感動しました! 作家 西村 滋さんの幼年期の体験

2011年06月15日 | 感動

 いつもありがとうございます。toshiです。

 今日は、作家 西村 滋さんの、幼少時のお話です。

 これを知った時、もう涙が止まりませんでした・・・。

 

 少年は両親の愛情を受けて育てられた。

 殊に母親の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどだった。

 その母が姿を消した。

 庭に造られた粗末な離れ。

 そこに籠ったのである。結核を病んだのだった。

 近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

 しかし、母親は一変していた。

 少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。

 青ざめた顔、長く乱れた髪、荒れ狂う姿は鬼だった。

 少年は次第に母を憎悪するようになった。悲しみに彩られた憎悪だった。

 

 少年6歳の誕生日に母は逝った。

 「お母さんにお花を」 と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、決して柩の中を見ようとはしなかった。

 父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。

 だが、ダメだった。父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 

 少年が9歳になって程なく、父が亡くなった

 やはり結核だった。

 そのころから少年の家出が始まる・・・・・・。

 13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。

 もういっぱしの 「札付き」 だった。

 

 ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。

 泣いて少年に柩の中の母を見せようとした、あのオバサンだった。

 オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。死の床で母はオバサンに言ったのだ。

 「私は間もなく死にます。あの子は母を失うのです。

 幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。

 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、、死んだ母親なんか憎ませておいた方がいいのです。そうした方があの子は幸せになれるのです」

 少年は話を聞いて呆然とした。自分はこんなに愛されていたのか。涙がとめどもなくこぼれ落ちた。

 札付きが立ち直ったのは、それからである。

 

             「致知」のメルマガ 「一言」 6月15日分より

               http://www.chichi.co.jp/chichimagazine.html

 

 このメルマガは、最近見るようになりました。

 致知は、とっても素晴らしい本です。

 なかなか読めないので一度はお断りしましたが、周りの友人たちが購読しているのを知り、再び購読するようになりました。(笑)

 でもやはり、なかなか読めません。

 そんな時に、masaがこのメルマガの事を教えてくれ、私の携帯で見れるようにしてくれました。

 お蔭で、毎日毎日、素敵な言葉を届けていただいてます。

 今日のように、こんなすてきな感動するお話をされる方などをメルマガで紹介してもらっていると、なかなか読めないけど、メルマガで紹介された記事だけでも目を通すことができ、とっても重宝しています。

 やっぱいいですね。本って・・・。

 

 私はこれを読んでいて、涙がどっと出ました。

 なんというすさまじいまでの、母親の深い深い愛情なんだろう・・・。

 それと同時に、母トミスケの事を考えていました。

 この話をmasaにしたら、「toshiさんもトミスケのほんとに大きな愛に育てられたんだよ・・・」 と言ってくれました。

 このことは、また近いうちに書かせていただきます。

 

 今日も素敵な出来事がいっぱいありました。

 毎日毎日、本当に幸せで~す!

 お読みいただき、ありがとうございまァ~す!(toshi) 

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