写真は他界した父が、1997年4月に撮影した山崎町の町並で、霞団地A3ビルから北東望した一枚。手前右の大屋根の建物は、霞集会所、中景右寄りに段原中学校が見える。写真手前左、正方形の白屋根アパートの右、古い木造・洗濯物が干してある家が実家で、2008年末までに周辺を含めて再開発のため更地になった。家は昭和29年建設なので54年、父(2008/2死亡)にとっては終の棲家になった。昨年から再建がぼつぼつ始まっている。最後に残っている段原中学も今年4月から、霞町に新築なった校舎に移転することになっており、この付近の古い面影が一掃される。
昔実家そばは、写真手前の左右のかぎ状小路沿いにドブがあり、そのドブに沿って旧兵器廠の高いコンクリート壁が残り市街地開発の邪魔になっていた。
父亡き後、再開発で壊される実家を霞団地のビルから、しっかり眺めて写真を何枚か撮影し、父の墓前に報告した。再開発の説明会には老体を押して出かけていたようだが、家を明け渡す前に千の風となり不幸中の幸いだった。
昔実家そばは、写真手前の左右のかぎ状小路沿いにドブがあり、そのドブに沿って旧兵器廠の高いコンクリート壁が残り市街地開発の邪魔になっていた。
父亡き後、再開発で壊される実家を霞団地のビルから、しっかり眺めて写真を何枚か撮影し、父の墓前に報告した。再開発の説明会には老体を押して出かけていたようだが、家を明け渡す前に千の風となり不幸中の幸いだった。
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