行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

生の被爆体験を聞く会 己斐公民館

2015-07-18 16:28:29 | 日記
 午前中10:00~12:30、己斐公民館でお2人の被爆体験を聞いた。沖政彦さんと天崎晃さんで後者のお話を要約してみたい。天崎さん(写真)の昭和20年当時の家族構成は、両親、長兄、次兄(22歳)、本人(16)、妹(13)の6人で、ご本人は観音三菱機械製作所で学徒動員作業に従事、爆心地から5kmでケガはされなかった。次兄は相生橋近くで通院中被爆し遺骨は行方不明。妹は4月に広島市立第一高等女学校に入学、木挽町の建物疎開現場で被爆、12月宮島町役場で遺骨を受け取る。宮島で3人の遺体が上がったそうで、表側で1人が妹さん、裏側で男性2人が共に島は神聖地で対岸の大野で荼毘にふされた。
 天崎さん本人は、父母に納得してもらうため、次兄と妹を探しに6日2回、7日と8日1回ずつ入市されたらしい。水主町あたりの雁木に向かって死体がドミノ倒し状態で、市中のコンクリート製防火用水は血で赤く死体の漬物状態、女性はブルマーの胴体と太もも部分のゴムだけが残り布が焼け素っ裸で、手拭いがあれば腰の周りにかけてあげることしか出来なかった。肉親を捜すのも顔が腫れあがり見分けのつかない死体ばかりだった。
 現実を見ているので絵に描いたものは話にならんと言われた。ご本人は、2週間後吐き続け黄色の汁がでてモルヒネの注射を受けられたそうだ。
 これまで大腸がんの手術を3回も受けられ、人工肛門で今まで生きのびてきたと結ばれた。