つちふるや父の戦後の七十年 大坪蕗子
「つちふるや」で、想像されるのは、大陸での戦争体験である。大陸からさらに南下し、南太平洋での激戦を越えて奇跡的に生還した人々・・・。今年は戦後七十年を迎える。作者の父にとってどのような七十年であったのか?憲法九条をめぐって様々な動きがある中、戦争体験者は何を語るのだろうか。今日は憲法記念日。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)
「つちふるや」で、想像されるのは、大陸での戦争体験である。大陸からさらに南下し、南太平洋での激戦を越えて奇跡的に生還した人々・・・。今年は戦後七十年を迎える。作者の父にとってどのような七十年であったのか?憲法九条をめぐって様々な動きがある中、戦争体験者は何を語るのだろうか。今日は憲法記念日。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)
戦後70年、周辺国、なかんずく中国の台頭に、ただただ狼狽える指導者。積み重ねてきたもの(平和)になぜ自信を持たないのだろうか。
大陸を意識せざるを得ない昨今ですね。
私は戦後生まれですが、子供たちを戦争へと向かわせたくはありません。
戦後、俳句に詠まれることはなかったのでしょうか。
触れ難い憲法九条花薊
互選では結構とって頂きましたが主宰選は、なし。
安部総理のアメリカでの発言は大いに気になる所です。
私の父も終戦間際、赤紙が来たものの、召集先の身体検査で結核の疑いが有り、即、除隊。夜になるのを待って、列車のトイレに隠れて、こそこそと帰宅してこっそり入院、そこで俳句にも遭ったらしい。
こんな話を私達の年代がもっと、もっとしなくては、と思うこの頃です。
その頃の虚子に入選する事はなかなかできなかったと聞いています。
季語として「憲法記念日」を詠むのは難しそうですが、果敢にチャレンジ、流石ですね♪
安部政権の目指すところ、国民の総意とはいくらか違うような・・・
私の父も、身体検査で引っかかって、整備に回されたと聞いています。
戦争の貴重な記録なのでしょうね☆