JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

もしもピアノが弾けたなら

2007年10月24日 | y-その他

ここ二、三日秋らしい良い天気が続いています。この時期が年間で最も良い季節かもしれません。特に春は花粉症に悩まされる方も、秋は比較的その率が下がり、気持ちの良い空気を思いっきり味わえるそんな季節ですよね。
昨晩はS君達とまたも飲み過ぎ午前様、一昨日の晩は仕事で遅くなったのもあるのですが、軽く夕飯がてらN君と飲んでおりました。よくも毎晩毎晩・・・・自分でも呆れてしまいます。

話は一昨日の晩のこと
「バブちゃん、俺ねぇ今度楽器でも始めようかと思ってんのよ。」
話を聞くと、N君はなんと中学までピアノを習っていたそうで、その後、エレキ・ベースをやったりバンドを組んだりと、けっこういろいろやっていたらしいのですが、結婚後はほとんど楽器などさわりもしない状態だったそうです。
「おっ、いいじゃん、何始めんの?」
「いやぁ、指が動かないかもしれないけど、もう一度ピアノなんぞをね・・」
「あっ、いいなぁ、うらやましいなぁ、ピアノ弾けるって憧れだよなぁ、ピアノのあるバーかなんかで、「ちょっとだけ」なんちゃって、ポロロンと弾いて、女の子に「キャー」なんて・・・・・・」
「ちょっとちょっと、バブちゃん、それは妄想だから」

いずれにしても、中年になってから再度楽器に挑戦することは悪くありませんし、ピアノと来れば万能楽器、いろんなところで発表の場も考えられるじゃありませんか。
「えっえっ?そのうちにIさん(いちおうライブ・ハウスです)のところで、N君のピアノ・トリオの演奏でも聴けんのかな。」
「またぁ・・・・・・・」

ピアノ・トリオといえば、先日T君が「オスカー・ピーターソンのトリオ演奏を軽く見る人がいるけどどうしてなの?」なんていう、とんでもなく難しい問題を尋ねてきたことがありました。
けして私はピーターソンを軽く見ている気はありませんが、たしかに所有アルバム数は少なく、特に以前はほとんど聴かないピアニストでした。
それは、変わらぬ音楽スタイルを貫き通した彼のピアノが、少々ポピュラー過ぎると感じたからか、もしくは上手すぎるために単調に思えてしまったのか、いずれにしても『人の良さそうなオッサンのピアノ』くらいに思っていたのかもしれません。

ピアノ・トリオの草分け、パイオニアといえば、ナット・キング・コールということになりますよね。コールが始めてトリオを組んだのは1939年、当然バップ以前の出来事であり、むろんピアノ・トリオでもバップ以降のものとはスタイルが違っていたわけです。

ピーターソンが始めてピアノ・トリオとして活動したのは1949年9月ノーマン・グランツひきいるJATPのメンバーとなってそれ以降ですから、当然バップ以降ということになります。

えっ?何で突然ナット・キング・コールかって?
じつはこの二人の間に密約があったという話をご存じでしょうか?
「お互いの芸を尊重して、どちらかが死ぬまで、コールはピアニストとして、ピーターソンは歌手として、一切レコーディングは行わない。」という約束です。

これは、私だけの考えかもしれませんが、ナット・キング・コールのそれとオスカー・ピーターソンのそれには共通点が多かったという事の証のように思えるのです。
つまり、コールやピーターソンのスタイルは、エンターテイメントというものをとても意識したトリオであって、バド・パウエル、セロニアス・モンクらとは一線を画すものであったということ。
私は、ナット・キング・コールのピアノスタイルを熟知していません。ですから、自信を持って言えることでもないのですが、パウエル、モンクらとの違いは聴き比べても明らかです。あえて言えば、カクテル・ミュージック的要素の強いピアノ・トリオ、ここに私がピーターソンを敬遠した原因があるようにも思えるのです。

へたをすればリズム・セッションの域を出なかったピアノが、トリオという形態をナット・キング・コールが作り、バド・パウエルが発展させ、それでも市民権を得ずにいたところへ、1950年代客が呼べるピアニストはピーターソン、エロール・ガーナーの二人しかいないと言われ、それでも前座であろうとブーイングがこようとスタイルを貫き通したビル・エバンスらによって、しだいに地位を築き上げていった、そんな過程の中で、あまりに優等生で、万人受けしている、ちょっとだけ古いピーターソンをなんとなく敬遠してしまった。そういうことなのではないでしょうか。

「これは、あくまで俺の私感だからね。」と、こんな話をT君にはしておきました。
異論も様々ございましょうが、私感を強調したところでお許しいただけますでしょうか。

さて、今日の一枚は、ピアノ・トリオ、スリー・サウンズです。
今もちょっと触れましたが、ピアノ・トリオという編成はかなりの間、疎外されたコンボ編成でした。
それが、いわばハード・バップの世界の外側、先ほどから触れているオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナーの率いるトリオが、ジャズをめったな聴かないリスナーを引きつけると同時に、若いピアニスト達がトリオ編成で新たな試みを始めたことで、それなりの成功を収める状況になり始めたといった時期、各ジャズ・レーベルは、最低でも一つはピアノ・トリオを抱えることになります。
プレスティッジのレッド・ガーランド、アーゴのアーマッド・ジャマル、リヴァーサイドのビル・エバンス、といったぐあいです。

ところが、ブルーノートのアルフレッド・ライオンだけはこの方向への深入りを避けていた感があります。
それがワシントンDCでスリー・サウンズに出会い、ライオンはついにこの分野にブルーノートも進出することを決めたのでした。彼らがニューヨークに出てきてすぐに契約、以後10年以上にわたってブルーノート専属のピアノ・トリオとして録音を続けたのでした。

今日の一枚はもちろんその記念すべき第一弾アルバムです。ソウルフルでちょっと小粋なスリー・サウンズの演奏は多様化するピアノ・トリオにあって、後にソウル・ジャズと呼ばれるスタイルを位置づける名グループです。
アメリカではコンスタントな人気を保ったスリー・サウンズも、日本ではあまりウケが良くなかったそうで、どうしてなんでしょ?
ピーターソンもそうですが「ジャズ喫茶のでかいスピーカーの前で、難しい顔して聴く」そんな音楽じゃなかったからかなぁ????????

THE 3 SOUNDS
1958年9月16, 18日録音
GENE HARRIS(p) ANDREW SIMPKINS(b), Bill Dowdy(ds)
1.TENDERLY
2.WILLOW WEEP FOR ME
3.BOTH SIDE
4.BLUE BELLS
5.IT'S NICE
6.GOIN' HOME
7.WOULD'N YOU
8.O SOLE MIO