社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

「因果の法則」が犯罪を呼ぶ --愛知3人組女性拉致殺害事件--

2007-08-31 11:55:20 | 事件、事故

 愛知県で起きた3人組の男による女性拉致殺害事件は非常に痛ましいものであった。犯人と全く面識の無い、何の落ち度も無い女性が何故命を奪われなければならないのか。悲しみと怒り、そして理不尽さを各マスコミは繰り返し報道している。

 だが、この事件の背景を見ていくと格差社会はじめとする現代の社会病理を反映している様子が読み取れる。

 まず、被害女性は小学6年の時にピアノコンクールに出場していることや、事件を受けての母親の手記に書かれたあの達筆な文字と優れた文才、更に被害女性の葬儀に参列した恐らく母親の友人と思しき女性達などをみる限り、早くに父親が亡くなったとはいえ、裕福な家庭に生まれ育ったのではないかと推測できる。

 一方、加害者の顔ぶれは新聞販売店で月10万円程度の収入だとか、女性と同居してヒモ状態だとか、決して順調な暮らしではなかったようだ。彼らは闇サイトと呼ばれる犯罪仲間を募るサイトで知り合ったと言うが、もはや破れかぶれの自暴自棄に陥っていたのではないだろうか。

 だからといって、金持ちは貧乏人にやられてもいいなどと言うつもりはない。今回の事件でも、死刑が怖かったからという理由で犯人は自首しているし、法律の縛りが一定の役割を果たしているという評価は出来る。しかしもっと大切なのは、犯罪に手を染めてしまう者を生み出さない社会構築が必要だということなのではないだろうか。

 景気の良し悪しと犯罪は相関すると言われている。格差社会が犯罪を増やすというのは恐らく正しいだろう。では格差社会をなくすためにはどうすればいいのか。国の政治も大切ではあるが、国民一人一人の心掛けというものも大切であるはずだ。

 「因果の法則」という概念がある。細木数子などがよく使う言葉であるが、因果とは原因と結果の相互作用のことだ。1つの原因があってある結果が生じる。今度はその結果が原因となって、また別の結果を生じる。この世の中の全ては、この原因と結果の連鎖反応であるということだ。(*1)

 つまり、たとえこの事件の当事者が何のつながりもなかったとしても、極めて長い因果の連鎖を辿れば、何らかのつながりがあるだろうと考えることも出来るわけだ。それは何も事件の当事者ではない我々でも同様に関係があるということになる。

 例えば、被害女性は近所の飲食店で行われる囲碁を通じて知り合った5歳年下の男性と交際していたという。この女性の場合はたまたまかも知れない。しかし30歳を過ぎた女性が年下の男性と交際するケースが最近増えているとマスコミは主張しているようだし、そうした傾向が30代40代の男性の人生をより過酷なものにすることにはならないのか、またそれが女性に対する怨恨、そして犯罪の温床につながっていくのではないか。

 ここで大切なのは、本当に困っている人を救うという社会の仕組み、そして国民への啓発が出来ていないということだ。自分に都合のいい環境ばかりを果てしなく追い求める、その結果恵まれない「真の弱者」は容赦なく切り捨てられる。ホームレスやネットカフェ難民に男性が圧倒的に多いことや、男女共同参画の名の下、女性の就労支援ばかり税金をかけて行っていることなどを見るだけでも、国の政策が如何に本当に困っている人を救う仕組みになっていないかが見て取れる。

 女性というだけで大事にしてもらえる、男性というだけで粗末にされる、そうした「歪んだ弱者救済」が犯罪を呼び、更に人々の心を破壊しているのではないだろうか。「因果の法則」が悪循環となるような社会にはしてはいけない。

(*1)「生き方が苦しくなるのには、それなりに理由がある」より要約
http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku183.html

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