社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

度重なる悲惨な事件、批判の矛先を的確に --土浦殺傷、ホーム突き落とし、文京区殺傷--

2008-03-30 17:24:13 | 事件、事故

 あまりにも事件が多すぎて情報が混乱してしまうここ数日だが、こうした悲惨な社会にしてしまった真犯人は何食わぬ顔をして、犯人を糾弾するだけの論調で高見の見物をしていると言えるのではないだろうか。

 茨城県土浦市の8人殺傷事件、JR岡山駅でのホーム突き落とし事件、東京都文京区の製本工場兼経営者宅での家族6人殺傷事件、何れも昨今の社会の歪みが人を凶行に走らせたと言えるのではないだろうか。

 しかし、これらの事件についてマスコミやネット世論などは決まって犯人の猟奇性だけを強調し断罪する論調が大半を占めている。

 それでも、まだマスコミの中には事件の背景に言及する報道もある。土浦殺傷事件では男の家庭の問題やゲームやアニメの影響を指摘したり、ホーム突き落とし事件では少年が阪神大震災に被災し、その後の転居先でいじめにあっていたことに言及したり、そして文京区家族殺傷事件では父親が製本工場の経営が苦しくなることや、付近に近年マンションが建設されその住民からの騒音苦情が増えていることなどについて悩んでいたことなど、が報道されている。

 だが、そうした背景があろうと罪を犯して良いわけではなく、犯人に対する非難の論調で締めくくるという報道パターンが多い。特に文京区家族殺傷事件に関して報道ステーションでは、如何なる事情があれど子供を巻き添えにする親のエゴであると結論付けていた。

 しかし、私はこの結論付けには非常に違和感を感じる。例えば母親が幼児虐待死させる事件などは親のエゴにはならないのか。育児ストレスや託児所の整備など社会での育児環境の問題ばかりに終始しているではないか。過去には母親が生後五ヶ月の男児の睾丸の一部を切除してしまうという事件が発生した。この事件の母親は男性不信に陥っていたようだが、この事件報道の時には、母親も被害者と言えるのではないだろうか、と全面的に母親を擁護する報道だった。

・男性人権擁護団体「落武者」 男児の睾丸をカミソリで切り取った鬼畜母!
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5799/kitiku01.htm

 男なら断罪し、女なら擁護する、テレ朝らしい報道だと言えばそれまでだが、そうした偏向報道にどこまで国民が気付いているだろうか、心配である。

 一方、ネット世論では犯人断罪の論調が最近特に著しくなっているように思う。

 「社会や親のせい、環境が悪い、といった理由で加害者もある意味被害者のような言い方は違うと思う」、「加害者にどんな苦しい事情があろうが、他人の命を奪う奴は許せない」、「加害者は自己愛が強く自己中で性格が悪い奴」、「死を以って償うしかない」、(以上、土浦殺傷事件)

 「犯罪を犯した時点で凶悪、親の育て方にも問題あり」、「少年でも厳罰にすべき」、「他人の人生を奪っておいて、更正して人生楽しもうなど虫が良すぎる」、「殺人者は人間としての理性を失ったのだから人間ではなく、従って人権など保障する必要はない」、(以上、ホーム突き落とし事件)

 「真面目さゆえの犯行だったかもしれないが、本来守らなければならない家族を最悪の状態で崩壊させてしまった」、「子供を殺す権利は無い、死ぬなら一人で」、「心中なんていうな、立派な殺人だ」(以上、文京区家族殺傷事件)

 もっとも、文京区家族殺傷事件に関しては、子を持つ親として複雑な心境を綴っていたコメントや、「悪党がのうのうと安泰な生活を送ってる一方で、こういう真面目な生活を送ってた人が悲惨な結末を迎えてしまう今の日本は狂っている」といった政治への不満、更には「後から出来たマンションの入居者に、うるさいだのと言われる理由はない」など事件の背景の複雑さを物語るコメントも見受けられた。

 事件の犯人に全ての責任を転嫁するのは権力者側を益々有利にしてしまう。法律というのはそもそも権力者が決めるもの。自分達が不利になる法律など作らない。庶民に不利な法律を作って、それに耐え切れなくなった者を次々と法の網にかけて処罰する。それは北朝鮮などの独裁国家と何ら変わりはない。

 勿論、殺人などの犯罪を正当化することは出来ない。しかしそこへ追い詰められるまでの過程には、増税や物価高、非正規雇用の増加などといった庶民の生活を脅かす理不尽な制度が国民を苦しめているのだ。

 しかし一方で、託児所の増設など別に経済的に困窮していない家庭の母親の就労支援や離婚女性の就労支援だけは一生懸命税金を投入する。更には子供に対する手当ても拡充する。一見すると生活支援が沢山あるように感じられるが、それ以上に税負担の方が大きいのは明らかだ。

 こうした、増税による官僚や議員達の利権拡大とフェミニズムによる女性優先政策が相乗りで国民を苦しめている。まだネットを覗く余裕のある我々はそれだけでもましなのかも知れない。しかし危機はいつやってくるかわからない。今のうちに何を主張していくべきか真剣にそして慎重に考えなければならない。少なくとも犯人を断罪してストレス解消をしているだけのゴミ論客はネットから追放すべきだ。

(追記)
 これらの事件が次々と起きているのをよそに、フェミニズムは着々と政策を進めている。札幌のある市立中学で、女子の制服をズボンに変更するという。防寒対策というのが理由ではあるが、生徒や父兄の側からスボンを求める要望があったわけでもなし、むしろ女子生徒の間からは、「寒くてもスカートをはきたい」という声があるにもかかわらず、今回の制服変更を強行するようだ。

・札幌の市立中、女子も1年中ズボン…ナマ足は寒い、「はにわルック」は消滅?
3月30日8時1分配信 スポーツ報知
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080330-00000050-sph-soci

 これまでにも女子制服でズボンを採用してきた学校はあるようだが、スボンに統一というのは明らかにフェミニズムのスカート撲滅目的を匂わせる。しかも学校側から具体的な健康被害についての説明はなく、効果も怪しい。

 しかしこのニュースを受けて、ネット上では早くもフェミ連中と思われる投稿が相次いでいる。寒い格好では不妊になり易いとか、氷点下10度の寒さを体験したことがあるのかとか、あくまで防寒対策を強調しようと必死だ。では今まで北海道で育った女性は多くの人が不妊になっていたのだろうか。いかにも強引な理由付けとしか思えない。

 また、痴漢対策にもなるとか、自分はスカートが嫌いだとか、体操着がブルマだった頃も嫌だったとか、そもそも制服をスカートにしているのがおかしいなど、防寒対策とは無関係の投稿も目立つ。

 特に、この件の特徴としては、スボンとスカートどちらも選べるようにすれば良いのではという意見も封殺しようとしているところに、フェミニズムのスカート撲滅の意識がうかがえる。選択肢は多いほうがいいというフェミの口癖は一体どこへ行ってしまったのか。

 更に、フェミニズムの関与を指摘するような投稿に対しては必死に反論するところがかえって、スカート廃止のためのフェミニズムの圧力をより一層疑わせてしまっている。

 こうした策略は、女性専用車両などと同様、既成事実を一つ作ってしまえばあとは右へならへでどんどん拡大していこうというものだ。そこに反論は一切許さない。何れはスカートを着用したら犯罪という時代も来るのかも知れない。

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離婚後の男性を取り巻く環境 --中村獅童、離婚直後のデート(女性講座その3)--

2008-03-25 13:16:31 | 結婚、恋愛

 竹内結子との離婚がようやく成立した中村獅童が、女優の鈴木砂羽と焼肉デートをしていたことが報じられた。離婚から僅か18日後ということで、物議を醸しそうな雰囲気もありそうではあるが。

 竹内との離婚も発端は中村の浮気にあるとの報道が支配的で、中村だけが悪者扱いされている感はあるが、果たしてそうだろうか。中村は歌舞伎役者、そんな家柄のところへ嫁ぐことの重大さを竹内は当然認識していなければならない。中村家の妻としての役割を竹内が十分果たせていたかどうか、そうしたことは全く報じられていない。

 それに、竹内自身も中村が最初の相手ではなく、ある俳優との交際が噂された時期があった。つまり竹内にも1人の男性を一途に愛するという意識は薄く、他の男性に目移りする飽きっぽい性格であることがうかがえる。しかも中村との結婚も、当時中村が交際していた篠原ともえからの略奪婚ではないかとも噂された経緯がある。

 更に離婚騒動の時の一歩も譲らない強気な態度、あれを見れば不仲が噂されなかった時期でも家庭内で色々な衝突があっただろうと容易に想像できる。離婚の際に離婚に至るまでの経緯や家庭生活など過去のことを一切明かさないという異例の条件を突きつけてくるところなどを見ても、彼女自身にも悪い部分はあったのだがそれを隠したいという認識の表れではないだろうか。

 ところが、中村と竹内の離婚に関してのヤフーのアンケートによれば、竹内にとってはプラスになった離婚だと竹内に対して好感を持っている人が多いことがわかる。

・中村獅童と竹内結子の離婚成立、この離婚は2人にとってプラスか?
(実施期間:2008年2月29日~2008年3月9日)
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?wv=1&poll_id=1894&typeFlag=1

 恐らく中村の浮気報道だけで判断している人が多いからと思われるが、マスコミの報道そのものがフェミニズムの影響を受けていて、竹内に有利な印象の報道になるわけだから、そこは差し引いて考える必要がある。

 だいたい、一般的な離婚裁判でも、夫の浮気は夫側だけが一方的に悪いとされるが、妻の浮気は夫にも責任があるとされる傾向が強いらしい。また親権争いも殆ど全て妻側の主張が優先されるという有様。そうした不合理な格差の中で、女性だけがますます傲慢になっていく。竹内のような女性はその典型例と言えるのではないだろうか。彼女を女性のお手本と見るか、或いは反面教師と見るか、そこで女性の真価が問われる。

 ともあれ、中村は大きなケガを負ってしまい、しかも世間からの風当たりも悪い状況ではあるが、めげずに新しい女性を探そうという意識があるうちはまだ大丈夫だろう。今回噂となった人と交際が深まるのかどうかはわからないが、是非頑張って欲しいと思う。

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凶悪犯罪者でも女なら優遇なのか --畠山鈴香被告無期懲役判決--

2008-03-21 17:47:03 | 事件、事故

 女は死刑にはしないのか、計画性が低いなら刑は軽くなるのか。秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香被告に対する無期懲役の判決は今後どんな影響を及ぼすだろうか。

 秋田連続児童殺害事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた無職、畠山鈴香被告(35)の判決公判が19日、秋田地裁で開かれた。藤井俊郎裁判長は争点だった長女、彩香ちゃん=当時(9)=への殺意や2軒隣の米山豪憲君=同(7)=殺害時の責任能力を認め、起訴事実通りの犯罪事実を認定。「幼い児童の無警戒につけこんだ凶悪、卑劣な犯行で責任は極めて重大」としながらも、豪憲君殺害については周到に計画したとはいえないことなどから「極刑は躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない」として無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。

・畠山被告に無期懲役 長女への殺意認定 連続児童殺害地裁判決 03/19 17:03更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/131132/

 この判決に関し、マスコミでも「記憶を抑圧」など解釈に異論を投げかける報道がある一方、厳罰化の流れに一定の歯止めをかけた判決と理解を示す報道もあった。またネット上でも、何故死刑ではないのかという声が大勢ではあるものの、「死刑は被害者や遺族救済を目的としていない」、「死刑にしても被害者は戻ってこない」、「被告の不均衡な精神発達過程を考えると無期懲役は妥当」など今回の判決に理解を示す意見が飛び交った。中には、死刑を主張する者の短絡的な思考を揶揄するような意見も見受けられた。

 しかし、こうした事件判決を巡る世論でいつも疑問に思うのは、被告が男の時と女の時で論調が違うということである。社会全体にフェミニズムバイアスがかかっているからと言えばそれまでだが、あまりにも違いが顕著だと思うのは私だけだろうか。

 例えば、静岡県三島市で起きた女子短大生焼殺事件で被告の男に死刑確定の報道が流れた時には、「被告も同様に焼き殺せ」などといったただ死刑にするだけでなく殺し方まで残虐的にすべきかのような世論が散乱し、今回のような死刑に異論を唱える意見は付け入る隙が無いほどだった。

・三島の女子短大生焼殺、死刑確定へ 「残虐で結果重大」 02/29 18:45更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/126479/

 もっとも、三島の事件の被告には強盗致傷などの前科があることなど、確かに更生は望めそうにない印象はある。では初犯なら必ず更生は望めるのか。少なくとも畠山被告の判決理由に初犯だからというのは含まれていない。

 しかも、米山豪憲君の遺族のことをまだ2人子供がいるのに何故あれだけ悲しむのかわからないと日記に記したり、法廷で土下座をして謝罪したのに控訴するなど、畠山被告の心理は、どう立ち振る舞いをすれば罪を軽くしてもらえるのかを強かに計算しているだけにしか見えない。こうした心理は、夫バラバラ事件の三橋歌織被告にも共通している部分がありそうだ。そんなずる賢い人格の者に更生の余地など到底望めないのではないだろうか。

 更に、被告が幼少時に父親から暴力を受けていたなどやたらにDVの存在を誇張しようとしている。これなどは明らかにフェミニズムの影響だろう。弁護側はフェミニズムでも上手く利用できればそれで良いのだから、過去に父親から強く叱られたようなことを記憶していれば何でもDVに結び付けてしまうだろう。またこれらDVなどの要素を見出す時に必ず母親の存在は無視されているのも変な話だ。

 被告が男なら重罪、女なら軽罪、そんな論調を一般化させてしまってはいけない。しかもそうした論調は更に世論を複雑化させ、男女の溝を深くしてしまい、今後始まる裁判員制度にも悪影響を及ぼしかねない。

 この事件は、検察側被告側双方が控訴することが濃厚だろう。夫バラバラ事件同様、今後も注目していくべきだ。

・「秋田連続児童殺害」特集
http://www.iza.ne.jp/news/feature/183/

・凶悪化?量刑変化? 増える死刑確定、今年23人に H19/12/24 19:01更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/111662/

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規制強化は更に少女を危険にする --児童ポルノ法改正、単純所持処罰--

2008-03-17 16:57:18 | 家庭、教育

 表現の自由の侵害や逮捕権の乱用を招くなど、問題点の多い児童ポルノ単純所持に関する処罰に関して、自民党は今国会に改正案提出する方針を固めた。名目は子供の人権への重大な侵害である児童ポルノの氾濫を防ぐのが狙いと言うが。

・児童ポルノ単純所持でも処罰=今国会に改正案提出-自民方針
http://news.livedoor.com/article/detail/3537457/

 この法律の問題点については様々な議論がなされているのでここでは詳しく触れない。以下のリンク等を参照して頂きたい。

・児童ポルノ規制強化 アニメやゲーム 持ってるだけで大変なことに
http://news.livedoor.com/article/detail/3550760/

 ところで、今回の法改正の圧力はかなり強いものがあるようだ。11日には米国のシーファー駐日大使が鳩山邦夫法相と会い、単純所持も処罰対象とするよう要請するなど米国からの圧力が強い。更にその背後には、国連の子供の権利条約や女子差別撤廃条約などの国際的権力が存在すると考えて差し支えないだろう。

 だが、こうした法規制によって何が改善されるというのだろうか。この法律を論じる時に引き合いに出されるのが、「主要8か国(G8)で児童ポルノ所有を非合法化していないのは、日本とロシアだけだ」という事実である。しかし、日露を除くG8で性犯罪などの発生率が減少しているかというと、そうしたデータは見当たらない。むしろ日本は性犯罪の少ない国だとしてよくネット上などでデータが紹介されるのを見かけたことのある人も多いだろう。つまり法規制を強化したところで、何が改善されるのか見当がつかない。

 また、児童ポルノの所持が犯罪にならない国は現在138あり、コンピューターやインターネットを通じた児童ポルノの配信を取り締まる法律がない国は122にのぼっているという事実もある。(*1)

(*1)児童ポルノの単純所持禁止にアニメ・マンガ・ゲームは含めるべきか否か?
http://news.livedoor.com/article/detail/3551054/

 児童ポルノ所持が法律で処罰されない国は138カ国
 ~児童失踪・児童虐待国際センター(ICMEC)最新調査報告より~

 ICMECは、世界でも有数の法執行機関であるICPOと共同で、2006年4月6日、ワシントンDCにおいて調査結果を発表しました。それによると、児童ポルノの所持が犯罪にならない国は138カ国で、コンピューターやインターネットを通じた児童ポルノの配信を取り締まる法律がない国は122カ国にのぼっています。

 つまり、児童ポルノの単純所持が違法にならない国も、コンピューターやインターネットを通じた児童ポルノの配信を取り締まる法律がない国も山ほどあるわけです。もしも民主主義の「多数決」で決めるなら、驚くべき事に児童ポルノの単純所持を違法にする方がおかしい、となってしまいます。そのため報道される際にはこのような事実は無視されてしまいます。結果、「主要8か国(G8)で児童ポルノ所有を非合法化していないのは、日本とロシアだけだ」というトーマス・シーファー駐日米国大使の発言が2008年1月30日の読売新聞「論点」に掲載され、テレビのニュースでもこの表現が際限なく使われました。が、これは現実に即していない一種のトリックに過ぎず、いわば新聞の読者やテレビの視聴者に必要な情報を渡さずにミスリードしているというわけです。日本ユニセフ協会は自分たちの活動をしやすくするためにがんばっているのかもしれませんが、過剰な印象操作は今のような時代、通じないと考えるべきでしょう。
(部分引用)

 これら児童ポルノに見られるような年少の少女への関心というものは規制だけでは需要が減るわけがない。それどころか逆に需要は増大してしまうだろう。となれば、たとえ違法としても売買取引はどこかで行われ、取引額も高額となるだろう。そしてそれらの資金は恐らく闇の世界へ流れることは容易に推測できる。

 ところで、年少の少女への関心が高まる理由の一つに、フェミニズムの影響により女性の品格が低下してしまったことがある。本ブログの論考にもかつて児童ポルノ規制の是非に関して考察したものがある。

・健全な家庭生活こそ安全性向上の最短距離 --児童ポルノ規制の是非--
http://blog.goo.ne.jp/grk39587/e/a196a2289646f1aebf3622dd26ebf1aa

 当時の論考でも指摘している通り、年少の少女への関心をなくすためには、男性の性生活を社会全体として安定化させることが必須なのだ。そのためには、結婚して家庭を築き、子供を産み育てていくという当たり前の生活が出来るように女性も努力を怠ってはいけないのだ。

 しかしその当たり前のことを怠っているのがフェミニズムなのだ。しかもその仕掛けはいかにも恣意的に男性を堕落させる巧みなものとなっている。まずフェミニズムが女の性としての義務を放棄させ、男性を不安定な状態にする。そして暴発した男性を次々と法の網にかけて処罰し、更に男性に対する制限を強化するというものだ。そんなフェミニズムの卑劣な思惑に今まさに全世界が侵食されようとしているのだ。先進諸外国での性犯罪が決して少なくないのは、それだけフェミニズムが蔓延している何よりの証ではないだろうか。

 法規制を強化すれば、少女など幼い子供の犠牲者が増えることが懸念される。そして事件が起きれば、フェミニズムは諸悪の根源が連中自身にあることを棚に上げ、更に性犯罪の厳罰化や新法の創設など被害者保護を装うような論調に終始することだろう。だが被害に遭った少女達は実はフェミニズムの犠牲者なのだ。それに一刻も早く国民は気付かないといけない。

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「心神喪失」の鑑定結果が意味するもの(その2) --渋谷夫殺人、歌織被告精神鑑定--

2008-03-12 11:50:12 | 事件、事故

 次に、検察側、弁護側双方の鑑定医が証言台に立ち、鑑定結果をそれぞれ口頭で報告するという方式に関してだが、これは来年5月までに始まる裁判員制度を見据え行なわれたものと言われている。

・歌織被告公判 裁判員制度見すえ新方式「対質」採用 03/10 20:59
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/128871/

 また、10日放送の報道ステーションでは、裁判官の判断が庶民の感覚と乖離している場合に裁判員制度が有効になるという趣旨で、模擬裁判の模様を報道していた。この時の模擬裁判の内容を今回の裁判に照合すると、裁判官が歌織被告に無罪を言い渡しても、裁判員が有罪の判断を下せば、判決を変更出来るといった雰囲気を匂わせるものだった。

 裁判員制度については様々な問題点がこれまで指摘されているが、敢えてこの事件の判決を国民感情から乖離させたものにすることによって、裁判員制度の必要性を国民に認識させたいという思惑があるとしたら、実に姑息そして滑稽なことではないだろうか。それでは裁判官や弁護士など司法に携わる人達の専門性が疑われることになる。

 しかも、そのために何故今回の事件を選ぶのか、妹を殺害しバラバラにした兄の事件や、福岡の飲酒運転で3人の子供が死亡した事故など、他に事件はいくらでもあるはずだ。ここにも、出来るだけ女には罪を軽くしたいというフェミニズムの圧力が働いているように思えてならない。

 この事件に関する判決の行方はまだわからないが、今回の鑑定結果で、歌織被告への同情論が高まることは間違いないだろう。今や被害者の夫は卑劣なDV加害者に仕立て上げられてしまっている。ネット上でも、「女性に暴力を振るって病院に運ばれた時点で夫は殺されても仕方ない」、「私が顔を殴られて鼻の骨を折られたら確実に殺す」などの意見が飛び交い、しかもそれらの意見を支持する女性世論がかなり多いことに恐怖を感じずにはいられない。少なくとも夫をそこまで怒らせた妻の言動については棚に上げている。その妻の言動こそ精神的な暴力に当たるのではないか。

 それに、事件当初の報道が既に多くの国民から忘れ去られているのも歌織被告に対して追い風となっているようだ。小学校の卒業文集には「わたしはとても勝ち気な女の子です。何かやられたら、やり返す。学校などでは強がっているわたしも、家に帰るととてもあまえんぼうです」と書いていたことや、スチュワーデスになるのが夢であったこと、高校の修学旅行でブランド物の鞄を持って来て一人目立っていたこと、そして最近でもブランド品で身を固めていたという証言があるなど、彼女の印象は自己中心的な女性にありがちな「お姫様」そのものだ。これらのことから、結婚後も争いが絶えなかったのもむしろ歌織被告の権力的な性格に起因することの方が大きかったと言えるのではないか。だが今後はこうした歌織被告の印象を悪くする報道はされないだろう。そこにフェミニズムの圧力があるのは言うまでもない。

 殺害された夫の遺族である両親は代理人の弁護士を通じて手記を発表している。手記には一人息子を突然失った悲しみが切々と綴られている。中でも、「息子の本当の姿を知らない人のコメントで、私たちは悲しみの奥底に突き落とされ、今もなお苦しい日々を送り続けています。殺された息子は何も反論できません。裁判で事実関係が明らかになり、真相解明と息子の名誉回復を切に願っています。」というくだりには胸が締め付けられる。

・【歌織被告初公判】「今も苦しい日々」遺族が手記 12/20 10:32
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/110907

 また、今回の鑑定結果では歌織被告が幼少時に父親から虐待を受けていたことも判断材料の一つになっている。何故か母親の影響については触れていない。父親はごく普通の躾であるとして虐待を否定しているが、この父親にも苦渋の判断を迫られることになる。幾ら殺人犯でも娘は娘、出来れば軽い罪にしてやりたいという親心はあって当然だ。しかしそのためには自分の虐待行為を認めなければならない。そこに父親の葛藤があるはずだ。フェミニズムが父親の苦しむ立場まで計算しているかどうかは別として、批判の矛先をとにかく「男」という性に向けるフェミ陣営の策略は実に巧妙と言えるだろう。

 ともあれ、まだ判決が出たわけでもないし、再鑑定が行なわれる可能性もある。今後もこの事件には注目していく必要があるだろう。

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「心神喪失」の鑑定結果が意味するもの(その1) --渋谷夫殺人、歌織被告精神鑑定--

2008-03-11 18:03:37 | 事件、事故

 渋谷の夫殺人バラバラ事件の三橋歌織被告が無罪になる可能性が出てきた。10日に行なわれた公判での被告に対する精神鑑定で、弁護側と検察側が共に心身喪失の判定を下したからだ。この結果から一体何が読み取れるのだろうか。

 公判での鑑定によると、まず弁護側の鑑定医は、「歌織被告は幼少時、父親から暴力的な体罰を受けていた。夫から暴力を受け、犯行当時も、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の状態が続いていた」と報告。次に検察側の鑑定医も、「PTSDに加えて不安障害などにかかり、犯行時には急性の短期精神病性障害を発症していた」と報告。更に同障害の発症理由について、「強度の睡眠不足と、夫の帰りを自宅で1人で待つ間に、極度に緊張が高まり、大きな混乱に陥ったのが原因」と報告した。つまり何れも歌織被告は犯行時に心神喪失状態で責任能力がなかったとする鑑定結果だった。

・「歌織被告は心神喪失」検察・弁護双方鑑定医が報告
(2008年3月10日13時50分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080310-OYT1T00302.htm

 この鑑定結果に基づき、裁判所が被告の責任能力がなかったか或いは低かったと認定すれば、歌織被告には無罪を含めた軽い刑にしか課されないことになる。

 しかし、この鑑定結果には懐疑的な見方もある。鑑定医が示した「短期精神病性障害」に関してある精神科医は次のように指摘した。「父親の虐待や夫の暴力で、相当のストレスがたまっていたのを知的な能力で押さえつけていたのも知れない」と一部理解を示しつつも一方で、「回復すれば症状は表に出ないので、被告人質問でも特に変わったところがないように見える。その点では『都合のいい病気』といえる」とも指摘した。

 また、別の精神科医は「犯行時の記憶がはっきりしており、意識障害があったとは言い難いのではないか」とするなど、今回の診断に疑問を投げかけている。

 更に、今回の公判での鑑定は検察側、弁護側双方の鑑定医による事実上の「共同鑑定」という形で行われたことについても、相反する立場の鑑定医が一緒に鑑定するのは違和感があり、公平性に欠けるのではないかという疑問の声がある。

・歌織被告公判 鑑定の妥当性めぐり専門家も賛否両論 03/10 20:57
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/128858/
・歌織被告公判 裁判員制度見すえ新方式「対質」採用 03/10 20:59
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/128871/

 今回の鑑定の件で注目すべき点は2つある。1つ目は鑑定結果の正当性の問題だ。そして2つ目は検察側、弁護側双方の鑑定医が証言台に立ち、鑑定書の提出を省略して鑑定医が鑑定結果をそれぞれ口頭で報告するという異例の方式が取られたという点だ。

 まず、鑑定結果の正当性の問題だが、これはフェミニズムの影響が蔓延している現状では、心神喪失に無理矢理こじつけたと言われても仕方ないだろう。特に歌織被告が殺害された夫からDVを受けていたことや、更には父親からも幼少時に虐待を受けていたなど、その暴力的被害を過大評価している感は否めない。

 更に、こうしたDVの存在を過剰宣伝することにより、DV対策の必要性をより強く社会に訴えたいというフェミ陣営の思惑があるのも間違いない。

 ところで、歌織被告は本当に心神喪失だったと言えるのだろうか。彼女は殺害された夫と結婚する前から既に交際相手がいて、夫と結婚後も暫くその男性と交際していたという。また結婚後も夫婦喧嘩が絶えず、決して安定した夫婦関係ではなかったようだ。

 更に、歌織被告がDVを受けたとされる、顔を殴られ鼻を骨折したというのも、発端は歌織被告が当時通っていたスポーツクラブで知り合った男性とメール交換していたことを夫に見つかり、それで口論になった結果である。だが歌織被告はこれを契機に夫との間で公正証書を作成し、離婚の際は夫が慰謝料3600万円を支払うなど2人の関係で優位な立場を手に入れている。

 歌織被告は夫より2歳年上、また結婚後も暫く二股をかけるなど素行は明らかに不純だ。年下の男性の方が手玉に取り易いということで結婚したのか、理由は定かではない。しかしこうした歌織被告の一部を見るだけでも、そこには駆け引きが巧みな女という印象が強く、とても清純な大和撫子の印象とは程遠い。
(続く)

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冤罪の可能性が不明な事件 --北九州市放火殺人事件--

2008-03-06 21:09:09 | 事件、事故

 冤罪なのか、証拠不十分の灰色なのか。北九州市で平成16年、実兄を殺害したとして殺人など4つの罪に問われた片岸みつ子被告(60)に、福岡地裁は殺人と放火罪について無罪を言い渡した。窃盗と威力業務妨害罪については懲役1年6月、執行猶予3年とした。

 この事件では、被告が警察の留置場での同房女性(25)に話したとされる「兄の首を刺した」などとする告白の証拠能力や、内容が犯人しか知らない「秘密の暴露」に当たるかが最大の争点だった。

・実兄殺害、放火で無罪 「犯行告白」信用性認めず 03/05 23:17更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/127714/

 だが、今回の無罪判決には疑問の声もある。被告の逮捕から間もなくして被告の夫が自殺している。被告は事件当時は夫と一緒に家にいたと主張しているが、その唯一の証人が何故自殺してしまうのか。妻の無実を晴らすために一緒に闘おうと思うのが通常の感覚ではないだろうか。更に威力業務妨害に関しても、これは亡くなった実兄の妻が行なっていた学習塾の改修を巡るトラブルで、これは実兄と被告が決して円満ではなかったことの裏付けではないだろうか。そこに検察側も目を付けたとも考えられる。

 ところが、この判決を巡るネットでの反応は輪をかけるように過激な論調が盛んに飛び交った。ニュースが出ると同時に、特に検察側の杜撰な捜査を糾弾する意見が殺到し、証拠不十分のために有罪に出来なかっただけで疑いは残るという論調をかき消すほどだった。

 またマスコミの報道も、留置場の同房女性を捜査のためのスパイとして自白を引き出しているなど、不正な捜査手法を批判する論調が中心で、真犯人は誰なのかといった事件の核心についての報道がほとんど見られなかった。このあたりにも、被告が女ということで最初から冤罪ありきのフェミバイアスがかけられた偏向報道を感じてしまう。

 この事件については被告の無罪を支援する団体も存在するが、もし同じ条件で被告が男だったら果たして無罪判決は出ただろうか。それ以前に支援団体すら結成されないのではないだろうか。

 ところでこの事件、求刑段階では放火と殺人も有罪で懲役18年の求刑が下っていた。もし仮にこの事件が被告も犯行を認めた通常の刑事訴訟だったとしたら、この量刑はどう感じられるだろうか。通例、求刑より判決では量刑が軽くなる場合が多いので、判決では恐らく懲役15年程度になっただろうと予想される。放火殺人でこの量刑は余りに軽すぎないか。

 偶然にも、この日は交際女性を殺害したとして殺人等の罪に問われた男に対する判決も行われ、こちらは求刑と同じ無期懲役の判決となった。しかしこの事件でも被告の男は一貫して否認を続けており、検察側も殺害方法や日時、死因などを特定出来ていない。曖昧な部分が存在するという点では、両者の事件は共通点がある。しかしこの事件に対するネット世論は冷酷で、無期懲役でも軽いといった意見が飛び交った。

・愛知稲沢の女性殺害で無期懲役判決、犯行方法は不明のまま 2008年3月6日朝刊
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008030602092957.html

 冤罪なのか、嘘をついて否認しているだけなのか、真実は神のみぞ知る。しかしそこにフェミニズムという女性偏重勢力が世間に横たわっているがために、例え真実でも疑われる社会と化してしまっている。ネット世論の偏向も、フェミニズム工作員が巧みに世論を操っているためだ。しかもフェミニズムが社会のあらゆる軋轢を誘発させ、犯罪の起き易い社会を作り上げてしまっている。そんな状況では、冤罪もそして冤罪に見せかけて罪逃れをしようという者も現れるだろう。

 不正な権力は、社会正義の根幹そのものを揺るがしてしまうのだ。今回の判決もフェミニズムが事件の真相究明の邪魔をしている。

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社会運動団体の思惑に利用された少女の心理 --沖縄米兵事件告訴取り下げ--

2008-03-02 16:29:55 | 事件、事故

 先月沖縄で女子中学生(以下少女)が米兵から暴行を受けたとされる事件で、少女が被害告訴を取り下げた。少女は事件に関わりたくない意向のようだが、これを巡ってまた新たな波紋を呼びそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080301-00000005-mai-soci

 この事件を巡っては、事件直後から至る所で慌しい動きがあった。例えば女性団体が地元で抗議集会を行い、米軍基地の撤去や少女の行動に何ら問題はないなど、性暴力を強調する趣旨の宣言が行なわれた他、各種団体が抗議声明を発表し、米軍基地問題にとどまらず日米地位協定の見直しにまで問題が発展、日米両国の首脳も相次いで遺憾の意を示すなど、事態は政治問題へと発展した。

 一方、ネット上でも様々な意見が飛び交った。米兵の行動規範を一方的に非難するものから、少女の行動を戒めるもの、更には学校や親の躾はどうなっているのかといった教育の問題など、多様な意見が衝突した。

 ここで今更この事件の経緯や原因について言及するつもりはないが、少女が被害告訴を取り下げた理由は何なのか、そこが気になる。

 毎日新聞の記事によれば、取り下げの理由までは明らかに出来なかったようだが、ネット上での少女の行動責任を問う声が少女を更に追い詰めたかのような憶測をしている。

女子中学生暴行:少女に重圧…「そっとしておいて」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080301k0000m040150000c.html

(引用開始)
 「本日、被害者から告訴取り下げがあり、午後8時42分に海兵隊2曹を釈放した」

 29日午後9時45分、那覇地検の山舗(やましき)弥一郎検事正は報道陣を前に沈痛な面持ちで切り出した。取り下げ理由については「それを言うと被害者の気持ちに反する。コメントできない」と硬い表情のまま。記者からたたみかけられて初めて「そっとしておいてほしいということのようだ」。

(中略)

 また、ネット上に少女を中傷する書き込みが登場するなど、事件は社会的に予想外の波紋を広げた。告訴取り下げにはこうした背景もあったとみられる。
(引用終了)

 しかし、告訴取り下げ理由について何も公表されていないのに、ネット上の中傷書込みだけを例示して、それが大きな原因であるとでも言いたげな記事の書き方には違和感を感じずにはいられない。

 そもそも、ネット上と言っても、2Chから一部のニュースコメント欄、個人ブログやMixiなどのSNSに至るまで、その数は無数である。またコメントの種類も数も同様に無数である。しかしそれらの全てが中傷であるはずがない。むしろ中傷的なものは少数で、大半は教育的な趣旨のコメントだ。例えば「知らない人に安易について行ってはいけない」というのは戒めであって決して中傷ではない。

 ところが、これがフェミニズムに言わせるとこうした戒めも全て中傷に見えるらしい。連中の姿勢は、少女が絶対的正義であり、不注意も全く無いというものだ。従って少女に対する批判的な意見は勿論、教育的な意見も全て中傷であり、いわゆる二次的加害行為だと主張するのだ。

 こうした権力的、独裁的発想のフェミニズム連中が、各地で抗議集会を開催すれば、それが更にニュースになり、騒ぎを大きくする。少女がそっとしておいて欲しいと思ったのはネット上の書込みよりむしろこうした表の活動やそれらの報道の大きさに驚いてしまったからではないだろうか。

 元々事情聴取に対して少女は積極的ではなかったことも読売新聞の記事では紹介している。

沖縄の女子中学生暴行、米兵を釈放…告訴取り下げ、不起訴
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08030101.htm

(引用開始)
 地検によると、生徒は県警の事情聴取に対しても積極的ではなく、地検の調べに移ってからは「もうそっとしておいてほしい」などと話し、告訴取り下げをほのめかしていたという。
(引用終了)

 つまり、少女は一時の危険な状態から脱したいという素直な思いがあっただけで、犯人を処罰しようとか、ましてや米軍基地の撤退やフェミニズム運動にまで加担しようなどとは微塵も思っていなかっただろう。自分が意図しない範囲にまで話を大きくしてしまった大人達の行動こそ二次的加害行為と言えるのではないだろうか。

 今まで少女がどんな生活を送っていたのかわからない。だが少女が今回の経験を踏まえ、一日も早くこれまで通りの生活を取り戻してくれることを切に願う。そして、今回関わった各種団体もこれ以上問題を突付くようなことはしないで欲しい。間違っても、再度告訴をするように少女に圧力をかけるなどということを考えていたらもってのほかである。

 今回の一連の騒動で、少女が学んだことは、自らの行動に注意するなどという奇麗事ではなく、大人の社会の醜さそのものではないだろうか。

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