タレントの神田沙也加(30)が俳優の村田充(39)との結婚を発表したことを受けて、ネット上では様々な反応が見られる。このニュースはヤフートップでもかなり長時間掲載されたのだが、そこには、母である松田聖子の話題を避けるような空気が感じられる。
神田沙也加は神田正輝を父に、松田聖子を母に持つ、いうなれば芸能界のサラブレッドだ。両親の離婚後は母聖子の下で育てられ、15歳で芸能界入り。カレーのCMなどで共演したり、紅白歌合戦に2人で出場するなど、仲良し母娘の印象があった。だが今回の結婚発表では、神田と村田、そして父神田正輝との3ショットの写真をネットに載せている。何か聖子だけが蚊帳の外の様な雰囲気を感じさせる。
ヤフーコメント欄でも、聖子に批判的なコメントも目立った。聖子は子育て出来なかった、親の七光りに頼らずミュージカルなど自ら道を切り開いた沙也加は立派だ、母親を反面教師にしたからいい子に育った、など。逆に聖子が離婚再婚を繰り返していることを取り上げ、沙也加も同じ道を辿るだろうなどといったコメントには大量に反対投票が付くなど、徹底して聖子との違いを強調するようなコメントが支配的だった。
一説には、沙也加と聖子との関係が悪化したのは、聖子の男性関係を巡るものだとも言われている。また聖子の下で育てられたとはいえ、実際に育児をしていたのは聖子の母、つまり沙也加の祖母で、聖子の母親としての存在感は決して大きなものではなかったとも推測できる。父とは別居、母も仕事に男に奔走、そうした環境で沙也加は寂しさを感じていたのだろうか。自らの手記にもそれを思わせるようなコメントがあったらしい。
だが、聖子が結婚した昭和60年は男女雇用均等法が制定された年。当時からフェミニズムは拡大を続けていて、結婚後も仕事を続ける姿勢にフェミは聖子を絶賛した。一方でその5年前に結婚引退した山口百恵に対してフェミは女性の社会進出が後退すると批判的だった。また10年ほど前にも聖子の働く母親としての姿はNHK特集にも取り上げられ、新たな女性の生き方のお手本のような報道がされていた。
そんな聖子が子育てをまともに出来なかったという論調が支配的になれば、当然フェミ政策は失敗だったという結論になる。フェミとしては劣勢になることをものすごく嫌うので、ネットの随所に工作員を配置し、絶対にフェミ優位の論調を維持しようと工作活動をする。しかし今回はそうした必死さが見られない。
もう今更いちいち工作活動をしなくてもフェミ勢力の拡大は安泰であるという余裕の意識もあるかも知れないが、このまま聖子を悪者にしてしまうわけにもいかないはずだ。それとも、これもフェミの新たな戦略なのか。
ただ、聖子の男性関係については、個人的には気の毒な部分もあると私は感じている。何故なら、聖子があのような人生になったのも、郷ひろみとの破局が発端だと思うからだ。当時の聖子はまだまだ純粋だったはず。破局会見での「今度生まれ変わった時は一緒になろうね」という言葉は決して着飾ったものではないと思う。郷は聖子に家庭に入ることを望んだ。しかし聖子は結婚後も働くことを望んだ。折り合いが付かず破局となってしまった。だが結婚後も働くという聖子の意志は明らかにフェミの影響によるものだ。いわばフェミが2人の結婚を破談させたと言っても過言ではないだろう。そしてここから聖子の歯車が狂い始めた。正輝との結婚も失意の聖子にタイミングよく現れた男性だったからということもあるだろう。他にも石原プロ絡みの噂も囁かれているが、事実確認のしようがない。
だが決して聖子は郷のことを忘れたりはしない。聖子が男性と付き合う時には常に郷のことが頭にあるのではないだろうか。まるでジュディ・オングの「魅せられて」の歌詞に登場するような「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」そうした女を実践しているかのようだ。
しかし聖子が自分の胸中を包み隠さずに話せる相手がいるかというと、恐らく誰もいないだろう。ましてや娘の沙也加になど話せる訳がない。従って、沙也加には聖子が単なる男狂いの女にしか見えなくなってしまう。しかしそれが却って沙也加の人格形成に良い効果をもたらしたとすれば、何だか皮肉な話でもある。
因みに今回の報道で、神田沙也加の親が神田正輝と松田聖子だということを知らなかった人も意外に多いらしい。これも時代の流れなのか。だが紅白に母娘で出場した時には歌う前のインタビューでも「母とこうして歌えることを光栄に思う」と沙也加は話していたくらいだから、それでも知らなかった人が多いというのはちょっと理解に苦しむ。
ともあれ、今後は沙也加の夫婦関係にも世の関心が向くことだろう。もし離婚でもすればすぐにマスコミが押しかけ、蛙の子は蛙などと聖子と比較して騒ぎ立てることだろう。沙也加もそれを判っているだろうから、決して離婚はしないように努めるはずだ。とにかく、沙也加には幸せな結婚生活を送って欲しいと願うばかりである。