社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

日米の刑法の違いがもたらす世論の中身 --ロス疑惑--

2008-02-26 16:28:26 | 事件、事故

 昭和56年(1981年)に起きた「ロス疑惑」、既に決着はついていたと思われたこの事件で、三浦和義容疑者(以下敬称略)が旅先のサイパンで逮捕された。この事態が社会に与える影響とはどんなものだろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000914-san-soci

 ネット上では、早くもこの事件を政治的に利用しようとする勢力が暗躍しているようだ。その代表的な意見は、「時効制度の廃止」である。今回は米国の未解決事件を扱う特殊チームが三浦の逮捕にこぎつけたことを引き合いに出し、日本でも米国に習い時効を廃止すべきだという論調が見受けられる。

 しかし、それらの意見は事件の劣悪性や被害者が女性であるなどの状況から、どうやら女性擁護の感情論に基づくものが多く、決して冷静な世論とは言えないようだ。

 まず、この事件に関しては、日本で捜査し裁くということを当時日米間で合意した筈だ。その結果に基づき、三浦は逮捕され、法の裁きを受けた。一美さん殴打事件では実刑となり服役したが、殺人については無罪が最高裁で確定した。それを考えれば、捜査当局や司法関係者の間から何を今更という声が出るのも不思議ではない。

 そうした経緯を見れば、日本に時効制度があろうがなかろうが、三浦の最終的な処遇には何の影響もなかったのだ。三浦は時効のために無罪になったのではない。それなのにどうして時効廃止という畑違いの主張をするのか。ただ話題に便乗して主張しているだけとしか思えない。

 それに、時効制度がなくなると、捜査費用が増大するばかりか、捜査当局のやる気を低下させてしまう恐れもある。時効があるからこそ、捜査当局も事件の早期解決に積極的に取り組むわけで、それら増大した費用は結局税金となって国民に跳ね返ってくる。当然国民の生活も余裕が無くなるのだ。そのくらい大した額ではないだろうと思うかも知れないが、特に底辺層などにとってはたとえ500円や1000円でも大きな金額なのだ。

 しかもそれら底辺層の生活苦のため更に犯罪が増えるということにでもなれば、更に捜査費用が増大するという負の連鎖が起きてしまう。これでは本末転倒だ。

 そもそも、単純な日米の比較だけで安易に時効廃止を主張する連中こそ、多面的な物の見方が出来ていない。これに関して、法曹界と思われる人がある掲示板に投稿したコメントを見つけたので以下に紹介する。

 時効(公訴時効)に関する必要性を否定する意見は想像力が足りないと言わざるを得ない。仮に公訴時効が存在しなければ、証拠の散逸等によって被告人の地位が極めて不安定になる。云十年前に起きた事件をどう防御せよというのか。

 最近はこの手の法律に対する無理解な人が増えている。少年の可塑性(少年法)、責任能力の要否(責任主義、刑事法全般)の問題などを完全に無視した主張が多くて辟易する。
(要約)

 つまり、遠い過去の事件の容疑が自分にかけられた場合、アリバイなどどうやって証明するのかその手段が個人では極めて困難ではないかということだ。捜査当局は多大な人力で証拠集めをするのだから、一度容疑をかけられたら、もう罪逃れをすることは事実上不可能になってしまう。特に未解決事件というのは捜査当局にとって不名誉なことだから、不確定なものでも証拠として採用し、強引に解決してしまおうということにもなりかねない。

 それに、米国などの事例を見ても、未解決事件の多くはDNA鑑定などの捜査技術がなかった数十年前に起きたもので、それらの事件が最新の技術で解決されるという場合があるくらいの程度のものだ。つまり、捜査技術が日進月歩で発達する現状を見れば、現代では時効に影響されることなくほとんどの事件は解決出来ると考えていいと思う。特に今後起きる事件については早期解決が可能な基盤は整ったと考えていいだろう。むしろ時効廃止によりいたずらに捜査期間を引き延ばしてしまい、逮捕が遅れ、その間に犯人が別の事件を起こしてしまうなどのデメリットの方が大きいのではないだろうか。

 そうした考察もすることなく、一時の感情論だけで時効廃止を唱えるのは愚の骨頂と言えるのではないだろうか。

 ところで、時効廃止に関するネット上のコメントのやりとりで面白いものがあったので簡単に紹介してみたい。いちいちコピーを取っているわけではないので、記憶を頼りに要約して書くことになるが。

A.時効のない事件として米国が扱ったから今回逮捕出来た。だから日本でも時効をなくすべき。

B.三浦は日本でも時効で無罪になったのではなく、裁判の結果、最高裁で無罪が確定した。従って時効の有無には関係ない。

A.一度確定した裁判でも、新証拠が出れば覆せるように法改正をすべきだ。

B.それでは裁判は無限に続くことになってしまい、刑の執行が出来なくなる。

 勿論時効廃止を主張する人が全てこの程度の知性なのかというとそれは違うだろうが、この事件だけを想定した意見が大半を占めているようだ。これらの勢力の詳細は不明だが、やはりフェミニズムが一枚絡んでそうな気がしてならない。

 例示したやりとりの他にも、「性犯罪には厳罰化を唱える一方、母親の幼児虐待など女性の被告には減刑を唱えるのは矛盾だ」という指摘には、「母親の幼児虐待の罪が軽いと思うのは貴方の主観に過ぎない」など随所でフェミ臭い詭弁が散見された。

 連中の多くは年配女性が多いから、ロス事件もリアルで記憶していて、当初から三浦が怪しいと感じていた人も多かっただろう。その怒りが今回の逮捕で爆発したということなのかも知れない。

 しかしその結果、私達は間違っていなかった、という余計な自信を連中に与えてしまったことにもなるだろう。となると、連中は益々調子に乗って自己主張を強めフェミ政策を加速させることになってしまうのかも知れない。

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ヘキサゴンの人間模様から「連帯意識」の大切さ学べ --女性講座その2--

2008-02-21 16:11:04 | 芸能、音楽

 貴女はスザンヌ派?、それとも木下優樹奈派?、或いは里田まい派?、フジ系「クイズ、ヘキサゴンⅡ」でお馬鹿女性タレントとして人気の3人だが、性格は皆多様のようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080221-00000006-nks-ent

 レギュラー番組では、解答者と犠牲者が組になり、解答者の間違いが一定数に達すると犠牲者が水中に転落するという設定のコーナーがある。見せ場は犠牲者の転落なので、解答者にはわざと知識の低い人が選ばれ、必然的にお馬鹿3女性は選ばれ易くなる。

 一方、犠牲者に選ばれる人は決まって男性。女性も僅かに選ばれたことはあるが大抵は転落を免れるように巧みに演出しているようだ。

 ここで注目したいのが、解答者と犠牲者との「連帯意識」である。例えばスザンヌが解答者に選ばれた場合では犠牲者が転落すると実に申し訳なさそうに「ごめんなさ~い」と自分のことのように寂しそうな表情でずぶぬれになった犠牲者を気遣う。

 これに対し、木下優樹奈が解答者に選ばれた場合などは全く反応が違う。犠牲者が転落しても指差して大笑いするなど不謹慎な態度を取る。当然犠牲者の気持ちは穏やかではいられない。しかしそれでも木下は他人事のようで気にしない様子だ。

 またこれと同じような反応で犠牲者を怒らせたのが倖田來未の妹であるmisonoだ。この時は犠牲者がアンガールズの田中卓志だったのだが、ずぶぬれになった田中の姿にあまりに笑い転げるmisonoを見て田中がキレかかっていた。

 里田まいについては、状況を見たことが無いので、わからない。

 人間社会において、連帯意識というのは非常に大切な要素である。例えばその代表的な例は「夫婦」である。男が働く、女が家を守る、こうした分業も連帯意識であるし、たとえ夫婦共働きでも分担が変わるだけで連帯意識の大切さは変らない。

 また連帯意識が必要な場面は何も家庭だけではない。職場でも同じだし、全く無関係の他人とでも連帯意識は必要だ。自分と無関係の人に何故連帯意識なのかと思うかもしれないが、例えば今自分が独身だったら、将来自分の生涯の相手となるべく人と関係を作っていかなければならない。人は最初は誰でも自分の肉親以外はアカの他人なのだ。そこから関係を作っていく努力が必要であり、それが連帯意識につながるのだ。

 フェミニズムの影響で女性の意識が変化し、結婚しない女性が増えていると言われているが、そうした考えは連帯意識というものが欠如しているからだと思う。結婚しない女性が増えれば、結婚できない男性が増える。ヘキサゴンの内容に例えれば、ずぶぬれになった男性を他人事のように知らん振りするのと同じだ。果たして貴女達は「連帯意識」を持ってその責務を果たしているだろうか。或いは果たす志があるだろうか。単なるバラエティー番組一つでも、様々な人間模様が感じ取れる。

 ちなみに、昨日の同番組は3時間スペシャルで普段とは全く別構成で放送された。番組全てを見きれなかったのだが、京都のある料理店をゴール地点として、チームに分れて目的地を目指すという設定で、道中に起きる様々な出来事を面白く放送していた。

 まず、木下優樹奈は他の出演者2人(誰かは忘れた)と組になって目的地を目指したが、道中で弓を射る競技があったらしく、そこで木下がてこずったために料理が減ってしまったことを悔やんでいた様子だった。元々この収録の日に木下は朝寝坊をしたらしく、後ろめたい気持ちがあったのかも知れない。

 次に、スザンヌは単独で、少ない所持金と地図を頼りに目的地を必死に目指すも、途中お寺の鐘を鳴らしたりのんびり観光する場面などのどかな雰囲気が漂っていた。更に上地雄輔もスザンヌと同じ条件で全く別の場所からスタートしたが、途中で地図の一部を鹿に食われて目的地がわからなくなるハプニングに見舞われる始末。やらせ臭いところはそれとして、結局2人とも時間内に目的地に着くことは出来なかった。

 しかし、そんな中にも感動的な場面もあった。スザンヌが到着した時は他の出場者はテスト中だったためタイミングが悪く、温かく出迎えてもらえず可哀想だった。しかし、びり到着の上地雄輔の時には皆が歓談中だったので好タイミングだった。上地は達成感からか涙を流して司会の島田紳助までもらい泣きしていた。料理も残り物しかなかったが、他の出場者が次々と(料理の)お皿を差し出してくれた。スザンヌも上地の涙に誘われ涙ぐみ、自分が到着した時に皆が温かく迎えてくれなかったことを嘆いていたが、上地の涙を最もよく理解していたのは彼女だったのではないだろうか。

 こうした出来の悪い人にも温かく迎えられる社会は現実にどのくらいあるのだろうか?

クイズ!ヘキサゴンII超クイズパレード冬の京都3時間スペシャル
http://209.85.173.104/search?q=cache:CbexrjzcIpQJ:www.fujitv.co.jp/b_hp/hexagon2/+%E3%83%98%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B4%E3%83%B3+%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%97%85&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
(既にキャッシュにしか残っていない)

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モテル男とモテナイ男の格差問題 --「革命的非モテ同盟」--

2008-02-16 13:02:32 | 結婚、恋愛

 一昨日はバレンタインデー。本命チョコ、義理チョコ、そして最近は自分へのご褒美として自分用チョコ、更には男性から女性へ贈る逆チョコなど、次々と商業的戦略に乗せられている感があるが、必ずしもこの日を楽しみにしている人ばかりではない。

 同日のTBSラジオ「アクセス」では、「革命的非モテ同盟」という団体の人がゲスト出演し、モテル、モテナイは格差問題かどうかをテーマで取り上げていた。

・アクセス、バトルトーク
https://tbs954.jp/CGI/ac/btt/btt_talk.cgi
(ここから、「バックナンバー」を選択し、その後の画面から「2008年02月」を選択。更に、2008年02月14日「バレンタインデーに『革命的非モテ同盟』のメンバーと考える。モテるモテないは「格差問題だ」という主張に共感する?」を選択。)

 私はこの番組を聴いていないので詳細な内容はわからないのだが、「テーマ詳細」を選択すると「革命的非モテ同盟」の主張などがある程度わかる。

 また、この話題に関する聴取者からの意見が羅列されているが、その大半は格差が生じるのは当然で、モテナイのは自己責任という見方のようだ。

 だが、私はこうした聴取者の意見には強く抗議したい。普段からフリーターなど非正規雇用の増加によるワーキングプアなどの話題の時には格差問題を深刻に訴える向きがあるのに対し、モテルモテナイの話題となると安直に負け組の責任で片付けてしまう、そこに矛盾があるではないかと。これが世論の実態かと思うと実に情けなくなる。

 しかも、「非モテ」の主張ではバブル崩壊以後の失われた10年によって経済的な格差が生じ、それがモテルモテナイの格差を生み出す一因でもあると指摘しているのだ。つまり聴取者の多くの意見は、一般的な経済的格差問題も自己責任として片付けてしまえばいいという主張になる。

 ところで、もしこの「非モテ」が女性の集団だったら聴取者の反応はどうなっていただろうか。恐らく同情的な意見が多く寄せられたのではないだろうか。ここにも、同じ境遇でも男女で扱いが変る「格差」が存在すると思う。

 そもそも、モテナイ男性が発生する最大の原因は、結婚や恋愛に積極的でない女性が増加していることに起因する。女性の場合は男性より数が少ないため自然と恋愛に関しては優位な立場に立てる。恋愛したいと思えばすぐに男性が得られるといった環境にいるため、男性を粗末に扱う傾向が強くなってしまっているのだ。

 我々が家で水道の蛇口をひねれば当たり前の様に水が出てくる。従って我々は水の有難味というものを忘れてしまっている。しかしこれが砂漠地方に住む人から見たらどうだろう。水は大変貴重なものだという認識になるはずだ。それと同じで我々は今一度人と触れ合うことの大切さ、有難さというものを再確認する必要があるのではないだろうか。そして今現在、女性にモテナイと悩んでいる男性達が1人でも多く幸せになれるように女性が積極的に歩み寄って欲しいものだ。

 努力が足らないからモテナイ、これは全くの誤りである。モテルモテナイに努力は関係ない。誰でも努力はしているのだ。モテルモテナイの結果は単なるめぐり合わせであり、運の良し悪しに過ぎない。

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倖田來未を過剰批判する勢力の目的とは(その2)

2008-02-10 17:05:53 | 結婚、恋愛

 まず、上川少子化担当相が今回の倖田発言に言及したことで、フェミニズムが関与していることは自明だ。だからネット上でもフェミニズムが工作活動をしていることも明白と考えて良いだろう。

 では、ネット上のどこにフェミニズムの要素を見出せるのか。幾つか列挙してみる。

1.執拗な非難コメントが未だに続いていること。フェミの陰湿さを表している。
2.セクハラ発言であるなど、フェミ概念に安易に結び付けている。
3.高齢出産や不妊治療の現状に関し、女性の社会進出による晩婚化の影響を指摘すると、すかさず反論コメントが投稿される。
4.産まない権利を正当化しているコメントがある。
5.同じ女性として恥ずかしいなど、女性としての品格を否定している。
6.いじめではないと強調するなど、批判勢力の衰退を懸念して更に批判勢力の増大や騒動の長期化を狙っている。
7.引退せよという声が沢山ある。これは倖田が時にパンチラをしたり「エロ格好いい」など性的魅力を強くアピールするタイプであることに、以前からフェミが好印象を持っていなかったと推測できる。

 しかもこれらの傾向が2chやヤフーニュースのコメント欄などあらゆる掲示板でほぼ共通的であること。特に2chに関しては医学板にもフェミが張り付いているらしく、羊水に関する詳細な情報提供をも阻害しようとしている気配がある。

 この状況から読み取れることは、倖田批判を特に強調することにより、妊娠や出産に関する話題全般を公の場から排除してしまおうというフェミ陣営の思惑があるということではないだろうか。少しでも誤解を招くような発言をすればもう最後、徹底的に叩かれてしまう、ならば初めから話題に触れない方が良い、と多くの人は思うだろう。そうなればフェミの思う壺、妊娠や出産の話題は全て自分達で支配できて、まさに名実共に「性の自己決定権」をフェミの手によって自在に情報操作出来る様になるからだ。

 しかし、今回の件でフェミ陣営の冷酷さが改めて感じられたと言えるだろう。これまでなら、倖田の強気な言動などにはむしろ好感を持つフェミも多かったと思えるのに、一度風向きが変わると一斉に批判に回る。まさにいじめ集団の構造と同じだ。自分もいじめに加わらないと自分の立場が無くなるから一緒にいじめに加わる。そんな気配を感じてしまう。

 従って、元々倖田に対して良い印象を持っていなかった反フェミ系の人も、今回の件をやみくもに批判してはいけないと思う。下手な批判はむしろフェミを勢いづかせてしまうからだ。そこで私なりの模範解答を示すならば以下のようになる。「『腐る』という表現は好ましくないとしても、女性が早く結婚して子供を産むのは大変素晴らしいことです。倖田さんの真意はそこにあったのではないでしょうか。本件を機に、結婚して母親になることの大切さを再認識する必要があると思います。」如何だろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080210-00000071-sph-ent

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倖田來未を過剰批判する勢力の目的とは(その1)

2008-02-09 22:11:22 | 結婚、恋愛

 倖田來未さんの「羊水が腐る」発言への非難の声が止まらない。テレビを通して謝罪会見を開くも、『謝罪になっていない』、『何故録画なのか』、『人を傷つけた罪悪感を感じてない』、『これが若い女性の意識なのか』など、ネット上での非難の声は根強い。また、対象の放送を行なったニッポン放送の関係者も処分されるなど、余波は広がっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080209-00000049-spn-ent

 更に、この話題は政界にまで波及。上川陽子少子化担当相は「妊娠と出産、女性の体について理解が十分でないと感じた」と述べ、更に「お産にかかわる問題はデリケートなことがあるので、社会全体が応援できるような雰囲気をつくっていくことが大事」と指摘した。

 しかし、一方でこうした非難の声に対して、『謝罪したのだからもう許してあげればいいのでは』、といった同情の声や、『過剰反応しすぎ』、『集団虐めと同じだ』、といった非難に対する非難の声も次第に大きくなっている。

 中でも、コラムニストの勝谷誠彦さんはある番組で「最近こういうブログの炎上などが凄く多い、これはある種のイジメだと思う。倖田さんは悪意を持って言ったのではない。こういうイジメのような世の中の動きは嫌いだ(要約)」と、過熱したネット世論を痛烈に批判している。

 これだけ賛否両論が出ると、大抵騒ぎは沈静化するのが今迄の傾向だが、今回の場合はそうでもない。非難派は逆に勝谷氏などの反非難派や、非難に晒される倖田に同情する擁護派に対しても更なる攻撃を強め、『いじめではない』、『傷ついた人の気持ちを理解していない』、『悪意が無ければ何をしてもいいわけではない』、『擁護派は偽善者』など、非難派の強硬姿勢はむしろ強まっている気配だ。

 では、何故ここまで非難の声が大きくなってしまったのか。その理由はフェミニズムの「性の自己決定権」に見られる、出産に対する過剰な拒絶反応が非難派に対して追い風となっているからのように思えてならない。

 当初、今回の件はネット上での批判が中心で、批判の内容も『腐っているのは倖田の頭』など直接的な攻撃が主で、フェミニズムは関与していなかったと思われる。やはり発言者の倖田も女性ということで、フェミ陣営も暫くは静観しようということだったのだろうか。

 しかし、騒ぎが大きくなり、倖田批判の声が優勢になるにつれ、フェミニズムも徐々に加勢してきたというのが私の実感だ。言わば批判勢力にフェミニズムが便乗した形だ。

 すると、批判内容にも変化が生じてきた。自らが高齢出産或いは不妊治療の経験者であると名乗る者がネット上に雨後の筍の如く現れ、今回の件で深く心が傷つけられたという趣旨の内容を書き連ねる投稿が相次いだ。

 しかしそれらの多くは、実際の経験者を名乗る者から『高齢出産や不妊治療に関し間違った記述がある』と指摘されたり、『自分も経験者であるが別に不快には感じなかった』、などその信頼性が疑われ、フェミニズムが成りすましている可能性が指摘された。

 だが、今度は妻が不妊治療をしていると名乗る男性や、高齢出産で産んだ子が今は小学生になったが、その子が悲しい思いをしているなど、フェミニズムは手を変え品を変え巧みに世論誘導を狙っているようだ。

 ところで、ネット上では誰にでも成りすましが可能なのだから、フェミニズムが高齢出産や不妊治療の当事者に成りすましていると考えるのは安易ではないかと思う人もいるだろう。勿論、100%の確証などない。しかしその確度を上げる材料は連中のコメントの中やその姿勢にも表れているのだ。だがその説明は次回にしようと思う。

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便乗した筋違い批判に惑わされるな --倖田來未「羊水が腐る」発言--

2008-02-04 18:47:00 | 芸能、音楽

 倖田來未は女性を敵に回してしまったのか、或いは世論の過剰反応なのか、彼女の「羊水が腐る」発言は、彼女の芸能活動の自粛という展開にまで発展し、波紋を広げている。

 一連の騒動は、歌手の倖田來未さんがあるラジオ番組で、「35歳を過ぎると羊水が腐る」という発言をしたことに端を発する。これを受けて、ネット上では、品性が無い、高齢出産の女性に対して失礼、など非難の声が相次ぎ、この場面を放送したラジオ局にも抗議の声が相次いだという。

 一方の倖田側は、自身のネットサイトに謝罪文を掲載、以後の芸能活動も自粛する方針を固めたが、非難の声は現在も収まりそうも無い。

 ただ、今回の倖田発言に関しては、批判側も一枚岩ではなく、むしろ普段は意見対立する勢力がいわば呉越同舟状態で共存している状態だ。

 例えば、倖田は今回の発言の数日前にも、別れた彼の名前をデスノートに書くなどと言って一部で批判を浴びた。批判の多くは男性のものと考えられるが、今回の発言で更に批判に拍車がかかった格好となった。また以前から倖田の言動を快く思っていない者が男女を問わずいて、彼らも今回の発言には不満を爆発させているようだ。

 次に、高齢出産の人や妊娠中の人、不妊治療を行なっている人、そして高齢の未婚女性など、一部フェミニズムの勢力も批判勢力に加担しているようだ。

 更に、歌手の浜崎あゆみさんのファンが倖田人気を下降させる目的で、高齢出産に関わる女性になりすましてネット投稿しているなどといった憶測も飛び交い、批判意見も実に複雑という状況だ。

 ネット上では誰にでもなりすましが可能なので、以上の勢力が現実に混在しているのか断定は出来ないが、可能性としては十分あり得るだろう。

 ところで、今回の倖田発言について、もう一度分析してみよう。発言は、倖田のマネージャーが結婚したという話題から始まり、子供の話に移った時、「やっぱ、35(歳)回るとお母さんの羊水が腐ってくるんですね。(マネジャーに)できれば35歳位までに子供を作って欲しいな」というものだ。

 確かに、「羊水が腐ってくる」という表現には違和感があるし、医学的にも根拠性は乏しい。しかし、倖田の伝えたかった趣旨というのは、一般に高齢出産と言われる35歳過ぎの出産になるよりは、早めに元気な赤ちゃんを産んで良いお母さんになって欲しいという素朴な願いを込めたもので、決して悪意があったわけではないと考えられるのではないだろうか。

 それなのに、批判的な世論の反応というのは、「羊水が腐る」という表現の違和感だけを捉えて叩きまくっている。この反応の仕方は、以前沢尻エリカが舞台挨拶の時に「別に」など不機嫌な態度を取った時の世論の反応と似ていると私は思う。あの時も沢尻に対する直接な批判に加え、現代女性の身勝手傾向に対する日頃の世間の鬱憤も同時にぶつけられている部分があるのではと私は分析した。今回の倖田に対する批判も同様で、同時に現代女性に対する警告でもあると考えられないだろうか。

 しかし、今回の倖田発言が沢尻と違うところは、女性の出産に関することに言及している点だ。しかも「35歳位までに子供を作って欲しい」という部分は仕事中心のフェミニズムが引き起こした晩婚や高齢出産傾向に対して一石を投じたとも言える。従ってフェミニズム系世論の反応は「羊水が腐る」よりむしろ「35歳位までに子供を」という部分に対する反発が大きいと感じられる。ここに関しては、柳沢元厚労大臣の「産む機械」発言と通じるところがありそうだ。

 だが、結婚適齢期があるように出産にも適齢期はある。個人差はあれど35歳以上の初産を高齢出産と区分している以上、その基準は決して無視できない。倖田発言の中でも「35歳位までに子供を」というのは至極真っ当な意見のはずだ。従ってここを批判するのは本質的におかしいと思う。従って「羊水が腐る」批判に便乗して「35歳位までの出産奨励」にまで批判を拡張するのは筋違いではないだろうか。つまり、今回の倖田発言は批判部分と評価部分が混在していると解釈すべきなのだ。

 ところが、マスコミの報道などでも、「高齢出産が珍しくない時代に」などとあたかも高齢出産を肯定的に捉えた上で倖田発言を批判している実態がある。あまりにも「羊水が腐る」という言葉のインパクトが強過ぎるために影に隠れてしまうのだが、不適切な発言に関する批判はまさしく適切なものでなければならない。不適切な批判の仕方は不適切な発言と同じになってしまう。

 このように、一つの批判ネタに便乗して、あれもこれもどさくさに紛れて一緒に批判してしまうというのはフェミニズムのような姑息な連中が良く使う手だ。連中の便乗批判には決して乗せられてはいけない。しかも、フェミニズムが引き起こした高齢出産の蔓延がなければ、そもそも倖田もあんな発言はしなかっただろう。倖田発言を誘発したのも本を正せばフェミニズムと言えるのだ。

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