今回も簡単にニュース紹介としたい。
まず、国会で民主党代表蓮舫議員が稲田防衛相の10年前の雑誌での発言記事を巡り攻撃したもの。稲田の過去の発言内容を態々本人に朗読させて、それを蓮舫が言行不一致であると非難し、修正を強要するという、まさに学校でのいじめ同様の手口に陰湿さを感じる人も多いのではないだろうか。
それに、問題とされている内容は主に、「そもそも本来の男女平等は、性別に関係なく能力に応じて平等に登用されるということであって、女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」、というものであって、この発言自体に何ら問題はないはずだ。しかし現状では、女性に下駄を履かせていることが幾つもあり、稲田はそれを批判したに過ぎない。公務員の女性採用比率などを見ればそれは明らかであるし、そもそも蓮舫が民主党の代表を務めることが出来ること自体が、能力の劣るものを登用していることになるのではないか。
それに、朗読を強要してまで過去の発言内容を紹介させるのであれば、蓮舫の二重国籍問題の時に、自分は日本人だと強調したものの、過去の雑誌発言では自分の心は中国にあるかのような発言をしている。矛盾があるならば、こちらの方がよほど悪質ではないだろうか。
次に、検索エンジンで過去の自分の犯罪歴が表示されることが「忘れられる権利」を侵害しているとして男性が訴えていた裁判で、最高裁は男性の訴えを退ける判決を下したもの。これについては、賛否両論あるが、提訴したのが男性であるという点が判決を左右したと言えるだろう。
判決では、「犯罪の性質は公共の利害にかかわる」として、男性の訴えを退けた。だが同時に検索提供側が削除するかどうかの判断基準も示した。
(1)検索結果の提供が違法かどうかは、情報の公表する価値とプライバシー侵害を比較して判断する
(2)プライバシー保護が明らかに優越する場合は削除を請求できる。
だがこれも抽象的で、情報の公表価値とプライバシー侵害とをどう比較すればいいのか、プライバシー保護が明らかに優越する場合とは何を基準に判断するのか、結局は基準は明確になっていない。
それに、今回は検索サイトGoogleを相手にした裁判であったが、これ以外にも、本人などからの要請で、ニュース記事を転載した個人サイトからニュース記事を削除したりということは既に起きている。本ブログでも、gooブログ管理部門からの要請で、過去に犯罪のニュース記事を2件削除したことがある。1つは交際相手の男性の全裸写真を撮影し、金品を脅し取ろうとした女の事件、もう1つは窃盗をした女の事件、つまり何れも容疑者は女の事件だった。またその削除基準は、性犯罪であるかそうでないかが1つの指標になっているらしい。
簡単に言えば、男の犯罪はいつまでも残し、女の犯罪は早く消せという、フェミ特有の圧力が社会全体にかけられているということなのだろう。
・蓮舫氏が稲田防衛相イジメ 10年前の発言記事朗読を強要 知らないよ、またブーメランになっても… 2017.02.01
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20170201/plt1702011130001-n1.htm
民進党の蓮舫代表に、またブーメラン直撃か。1月30日の参院予算委員会で、稲田朋美防衛相に10年以上前の発言内容を朗読させて、執拗(しつよう)に批判したのだ。政治家や閣僚の適性を問う手法の1つなのだろう。ならば、蓮舫氏も自身の「二重国籍」問題に関わる、過去の発言を、国民の前で朗読した方がいいのではないか。
蓮舫氏は、NHKで生中継された質疑で稲田氏に対し、「○○ページに何と書かれたか、読んでください」などといい、2007年の雑誌「別冊正論」の対談記事を直接読むよう何度も求めた。
記事は男女共同参画をめぐり、稲田氏が「本来の男女平等は性別に関係なく、能力に応じて平等に登用されるべきだ」などと発言したもの。稲田氏は朗読に応じつつ、「10年以上前の一衆院議員としての発言であり、対談の一部を取り出して朗読することにも疑問がある」と、質疑自体を問題視した。
これに対し、蓮舫氏は「10年前だから関係ないのか」などと批判した。
閣僚や政治家が、過去の発言を問題視されるのは当然だ。有権者が適性や人間性を判断する一助となるからだ。蓮舫氏についても、「二重国籍」問題に関わる過去の発言は興味深い。
蓮舫氏は問題が発覚した昨年9月、「台湾籍は抜けているという認識は、ずっと持っていた」などと説明したが、新聞や雑誌の取材やインタビューで以下のように発言していた。
「赤いパスポート(=日本旅券)になるのがいやで、寂しかった」(朝日新聞1992年6月25日夕刊)
「父は台湾で、私は、二重国籍なんです」(週刊現代93年2月6日発行号)
「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」(朝日新聞93年3月16日夕刊)
「だから自分の国籍は台湾なんですが」(CREA97年2月号)
ぜひ、NHKの生中継で朗読してほしい。
・女性登用「数値目標は無意味」 稲田氏が過去の発言撤回 2017年1月30日17時36分
http://digital.asahi.com/articles/ASK1Z3V9PK1ZUTFK006.html
30日の参院予算委員会で、民進党の蓮舫代表が女性の社会参加のあり方や家族観をめぐって稲田朋美防衛相を追及した。取り上げたのは、稲田氏が約10年前に雑誌に寄稿した論文。「(女性登用率や育児休業取得率といった)数値目標にどのような意味があるのだろうか」などとしたかつての考え方をめぐり、稲田氏は「10年前と現在は必ずしも全く同じではない」「政治家として成長した」などと述べた。(主なやりとりは以下の通り)
蓮舫氏 能力、あるいはやる気もあるのに、男性と比べて昇進昇給と差がつけられたらいけませんし、活躍できるのであれば女性でも男性でも平等に活躍できる機会を提供するというのがまさに今政府が進めている働き方改革の一環である。我々も対案をもって、その部分は進めていこうとしていますが、稲田朋美防衛大臣は、残念ながら過去こうした考え方を正面から否定するかのような寄稿をされている。2007年の別冊正論で、男女共同参画の目標について「おいおい気は確かなの」ということを断言している。
稲田氏 07年、ちょうど今から10年前の私の一衆議院議員としての発言があり、現在、防衛大臣としてこの場にいることからすると、所管外であるし、長い対談の一部を取り出して言うことに疑問はあるが、蓮舫代表がどうしても読めと言うのであれば、読ませていただきます。あっ、読めとは言っていないのでしょうか。すみません。
蓮舫氏 言っていることと正反対のことを寄稿している。読んで教えてください。
稲田氏 読ませていただきます。「そもそも本来の男女平等は、性別に関係なく能力に応じて平等に登用されるということであって、女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」。先ほど蓮舫代表が言ったことと趣旨は全く同じだと考えている。
蓮舫氏 女性の登用を伸ばすというときに、能力が劣っている人を雇えとは書いていない。全く考え方が違う。もう一度、寄稿しているけれども、数値目標の対象は人事だけではないと。何と述べていますか。
稲田氏もう10年以上の前の寄稿ですし、対談の一部ですし、私の発言の趣旨は今申し上げたところで、これ以上一部を読み上げるのは適当ではない。
(議事が止まる)
稲田氏 先ほどから何度も申し上げていますように、10年以上前のことであり、その当時の一議員としての発言を言ったところです。その中で、女性であれ男性であれ、能力に応じて登用されるべきであるということでございます。私も(自民党)政調会長時代に女性活躍本部長として、例えば野田聖子先生が超党派で進められていた政治における(女性の)参画を進めるための施策ですとか、そういった点も推進をしてきたところであり、私は蓮舫代表と全くその点において、考え方が異なるとは思っていない。
蓮舫氏 少なくとも10年前の稲田大臣は180度違います。
稲田氏 先ほど読み上げた通りです。
(議事が止まる)
稲田氏 どうしても(蓮舫)代表が読めというので、読ませていただきます。数値目標の、これはだけど、10年前の一議員の方の見解です。しかも、長い対談の一部ですが、しかし蓮舫代表が読めとおっしゃいますので読ませていただきます。「数値目標対象は人事だけではない。育児休業取得率を平成26年までには男性10%、女性80%、夫婦間のあらゆる暴力の根絶で、平手で殴る、殴るふりをして脅すことも暴力と認識する国民の割合を100%にする。全国の女性消防団員を将来的に10万人にする。このような数値目標に、どのような意味があるのだろうか」。
蓮舫氏 10年前の発言でも政治家が自分の考え方として、それを堂々と投稿して主張されているんです。ドメスティックバイオレンス(DV)で実の夫から殴られ、あばらをおられ、死にそうになって逃げ出して息を潜めて暮らしている女性がいる。そのことも夫の所有物だからといって良いのではないかという考えがあってはいけないから(1億総活躍)大臣が先ほど説明したように、数値目標を掲げて、DVの予算をつけて、法律改正をして、施策をして、1人でも女性を救っていこうという目標に「何の意味があるのだろうか」と。10年前だから関係ないという理解で良いのでしょうか。
稲田氏 私も全く現在、蓮舫代表がおっしゃった通りの考えをしている。また、10年前と現在は必ずしも全く同じではないし、私もさまざまな議論をして、そして政治家としても成長していく過程はあるというふうに思います。
蓮舫氏 同じ寄稿で、6歳未満の子どもを持つ夫の育児関連時間を目標に掲げているんですが、これは10年でそんなに変わっていません。そのことに対して、寄稿の中で、夫の家事をすべきだと陣頭指揮するのは押しつけで、ある種のファシズムであると断定しています。何が変わったんですか。既に、もうこの時に自分が寄稿したことは間違いだ、これはすべて間違いで、この考え方は今は全く立っていないというふうに訂正をされますか。
稲田氏 蓮舫代表が読まれたところは記憶にはないんですけれども、私は、女性も男性も家事を分担すべきだし、我が家でもそうしてきたところです。女性が育児をしながら働いて生き生き暮らせる、そういった社会が男性にとってもいい社会だというふうに確信しています。
蓮舫氏 人口減少時代に突入した日本だと、その能力を発揮できる機会が平等に保障されるというのは大切なことです。そのために目標を掲げて施策を推進して予算を分配して押し上げていくとの考えは、与党も野党もないと思うんですね。10年の発言が記憶にないということですが、自分は間違っていたと思うのであれば、今もこういう話はしないでいただきたい。お願いをします。
稲田大臣は、08年3月の「日本」という雑誌で「尊属殺人規定を復活せよ」(と述べている)。現行憲法では、法の中で平等において家族をあやめてしまった方だけに重き罪をさらに加算するという考え方は廃止をされているが、尊属殺人規定を復活せよと今も考えていますか。
稲田氏 この中で申し上げていたのは、やはり、親を大切にするということを重視しなければならないということであって、尊属殺人規定を復活せよとは思っていません。
蓮舫氏 政治の間違いは政治がたださなければなりません。尊属殺人規定は復活させるべきです(との発言は)修正しますか。
稲田氏 この時と同じ考えではない。
蓮舫氏 いつ変わりました?
稲田氏 10年たって、その過程で、私も政治家として成長したんだなと思います。
蓮舫氏 同じこの「日本」であなたは「日本国憲法は押しつけられ、その中で日本人は個人主義化していった、個人主義といえば聞こえはいいですが、ただ単に自分しか見えていない。自分勝手な人間を大量につくり出してしまった。あしき個人主義が蔓延(まんえん)して家族がばらばらになっている。いま手を打たなければ取り返しがつかなくなる。GHQに破壊された日本の価値観を取り戻す」と。この考えも成長して変えられましたか。
稲田氏 はい。その中で申し上げているのは、やはり、日本のよき伝統やよき考え方は、取り戻さなければならない。そして、それが自民党の立党の精神で、我が国は単に経済力や力をつけるだけではなくて、世界中から尊敬される国を目指そうということを申し上げていた、ということでございます。その考えは変わりません。
蓮舫氏 昨年末に安倍総理がオバマ大統領とハワイに祈りをともにささげました。すばらしいことだと思っています。これから、ともに日米同盟関係を強化をして、過去の過ちを繰り返さない。平和主義を希求していく。総理が、お戻りなった直後に稲田大臣は靖国神社を参拝されました。これはなぜでしょうか。
稲田氏 かつては熾烈(しれつ)に戦った敵と味方であったとしても、また、いかなる歴史観に立とうとも、祖国のために命をささげた方々に敬意と感謝と追悼の意を捧げることは、私は一国民としてやるべきだという思いで、靖国神社に参拝した次第です。
蓮舫氏 稲田大臣は大臣です。一国民であると同時に、政府を代表する。言動が世界に発信をされる。そうした部分では、祈りをした直後に靖国神社に参拝をされることが、米国に対して間違ったメッセージを発するそのリスクがある。過去寄稿したもの、発言したもの、成長とともにかわったというが、気をつけていただきたい。
・社会の「記憶」に対応を 忘れられる権利 2017年2月2日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017020202000117.html
「忘れられる権利」をめぐる最高裁の初判断が出た。表現の自由や知る権利とも対立しかねない。どう考えるべきか、むしろ社会の側が問われている。
インターネットが登場する以前は、情報を拡散させる役割はもっぱらマスメディアが担っていた。ただし、拡散といっても、新聞記事ならその購読者に、テレビ番組ならその視聴者にだいたい限られていた。
しかも、扱いの小さな記事ほど社会から早く忘れ去られる傾向にあったといえる。当事者らを除けば、ベタ記事などは、一般の読者の関心はもともと低く、記憶から日を置かずに消えていったのであろう。
拡散と検索の機能で
ネットの登場は、そのような情報のあり方を根底から覆した。主に二つの特性からである。
一つは拡散性である。興味のある情報であれば、受け取った人たちがコピーを繰り返す。そして、たちどころに一つの情報をバトンタッチしながら、途方もなく拡散させていく。
仮にかつては新聞の情報がまる一日かけて地球を回っていたとするならば、ネット情報は一分もあれば地球を一周してしまうこともある。
もう一つの顕著な特性は検索性である。かつては日付が分からない限り、記事を見つけ出すのはかなりの労力がいった。現代はグーグルやヤフーなどの検索サイトでキーワードを打ち込むだけで目的の情報が手にできる。
この二つの特性によって、情報収集が非常に便利になった。半面、困った事態も起きるようになった。虚偽情報が拡散されるようになったのだ。あるいは虚偽なのか真実なのか不明な情報もあふれ返るようになった。
虚偽情報については、指摘を受ければ、検索サイト側が削除してくれるはずだ。
EUでは「新しい権利」
だが、真実の情報ならばどうだろうか。問題はスペインで起きた。ある男性はかつて不動産が競売にかけられたことがある。この公告が地元紙に載った。一九九八年の出来事だったが、何年たってもネット上から消えない。男性は欧州連合(EU)司法裁判所に訴え、「忘れられる権利」を勝ち取った。二〇一四年のことだ。
EUでは情報が(1)不適切(2)無関係(3)もはや関連性がない(4)過度-ならば、ネットから消すことができる。新しい権利として、認定されている現状だ。
日本ではどうか。一五年にさいたま地裁で「過去の犯罪を社会から『忘れられる権利』がある」と判断されたことがある。
ある男性が一一年に児童買春・ポルノ禁止法違反の容疑で逮捕され、罰金五十万円の略式命令が確定した事件だ。
それから三年以上たっても名前と住所で検索すると逮捕時の記事が表示されていた。だから、男性は「更生を妨げられない利益を侵害している」と削除を求め、認められたのだ。
だが、一転、東京高裁は「犯罪の性質は公共の利害にかかわる」として、削除命令を取り消した。今回の最高裁決定はこの事件を受けている。最高裁も高裁同様に「公共の利害」の言葉で、男性の求めは退けた。
ただし、検索サイト側が取り消すかどうかの判断基準は示した。(1)検索結果の提供が違法かどうかは、情報の公表する価値とプライバシー侵害を比較して判断する(2)プライバシー保護が明らかに優越する場合は削除を請求できる-。
「忘れられる権利」という言葉こそ用いなかったが、実質的にネットに拡散する不都合な情報を封じる、最低限のものさしは示したといえよう。
EUでは新しい権利の意識が生まれている中で、米国でも法的保護を求める声が高い。だが、「表現の自由」の大国では、真実をネット上に公表することを止めては、表現の自由を侵害するという考え方がある。
確かにネット上に情報を公開することは表現の自由で、ネット検索でもその自由が保障されるべきである。
表現の自由と対立か
問題は表現の自由とプライバシー権とのバランスだ。犯罪でなくとも、昔はみんなに見られたかった写真が、今では見られたくない写真になっている-。そんなケースはいくらでもある。プライバシー権ばかりでなく、名誉権も出てくる。
情報の公益性や知る権利との兼ね合いも考え方が難しい。人間は忘れるが、ネットは忘れないようにできている。
最高裁が言及を避けた「忘れられる権利」への知見が深まらないと、変化するデジタル社会の「記憶」に対応できない。