社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

男性から女性への「思いやり」だけを強調する活動 --デートDV講演--

2007-12-25 14:51:57 | いじめ、DV

 巷ではクリスマス。多くの恋人同士が楽しい一時を過ごしたことだろう。だが、楽しんでいる人ばかりではない。フェミニズムにより女性の心が破壊されている現状で、恋愛関係を築くことすら出来ない恋愛難民の男性が数多く存在する。しかも彼らに対する世間の評価は冷たく、女性との触れ合い方が下手糞だから彼女を作ることが出来ないのだといった一方的な論調だけがまかり通っている。

 因みに、昨年の同時期のブログ記事の中で興味深いものがある。

クリスマスは苦しみます ~♪むなし、この夜~
http://blog.goo.ne.jp/grk39587/e/3c31703deb2aa78d113f6d8fd80586fe

 この中で、スーパーの店員に告白したが冷淡な態度を取られたという男性の話は、先日起きた佐世保の銃乱射事件と重なる部分があるように思う。不特定多数の人を相手にする仕事に就いている人の場合、お客から好意を持たれることは決して珍しくない。事件にはならなくとも、佐世保の事件のように、多くは女性が男性に対し冷淡な態度を取ったために女性が恨まれるというケースは至る所でおきていると考えて差し支えないだろう。しかし、そんな時こそ求められるのが、相手を思いやる気持ちなのではないだろうか。

 次に、デートDVと題する記事が中日新聞に掲載されたので紹介したい。クリスマスに照準を合わせて掲載されたのだろうか。

【暮らし】ストップ!デートDV 支配は愛じゃない <下>広がる防止教育
2007年12月23日
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2007122302074421.html
【暮らし】ストップ!デートDV 支配は愛じゃない <上>暴力と気付いて
2007年12月16日
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2007121602072545.html

 何れも、男性が女性を暴力で支配しているといったフェミニズム特有の偏向記事であるのだが、中でも、「娘に家事を手伝わせても息子にはさせない」、「妻には自分を立ててほしい」、「暴力を振るわれる側にも理由がある」など女性側に嫌悪感を煽るような設問で、参加者をフェミニズムの女性優位論に誘導しようという戦略が見て取れる。これではまるで霊感商法などと仕組みは全く同じだ。しかも、こうしたセミナーを全国の学校に入り込んで開催し、成長過程の生徒達を洗脳しようというのだから始末が悪い。

 連中の矛盾点は、全て暴力を行なった者が悪いと言いながらも、渋谷の夫バラバラ殺人などのように女性が加害者となった事件などでは、手の裏を返したように女性擁護をするところにある。本ブログ前記事でのコメント欄にも女性の暴力は正当化するような投稿がなされるなど、まさにフェミニズムはダブルスタンダードどころかマルチスタンダードと言えるだろう。

 また、連中は何かと「相手を思いやる気持ち」を強調する。しかしそれは男性から女性への場合だけで、女性から男性に対しては主張しない。自治体などのDV相談では男性の受けた暴力は一切取り扱わない点を考えても、如何にフェミニズムのDV政策が不当なものかを物語っている。

 その時都合で、自分勝手な主張だけを女性が男性に強引に押し付けて、それに男性が反発すれば何でもDVだのセクハラだの思いやりに欠けるなどと言って女性の思い通りを実現させようとする。そんなフェミニズムの姿勢こそ女性が男性を権力支配する構図であり、最も卑劣なDV行為と言えるのではないだろうか。

 またこうした不道徳な活動により、女性がより我侭になり、恋愛や結婚がより困難なものとなってしまうのだ。それは女性は勿論男性の心も破壊し、社会のあらゆる紛争を誘発し、犯罪社会をもたらし、更には戦争社会へと国家を導いてしまうのだ。

*** お知らせ ***
 本記事を以って、今年の最終記事と致します。皆様今年一年間本ブログにお付き合い下さいましてありがとうございました。尚、来年の開始時期や運営形態につきましては現在検討中でございます。

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被害者、加害者問わず報道は全て女性優位になる --佐世保乱射、渋谷夫バラバラ--

2007-12-20 19:47:50 | 事件、事故

 佐世保の銃乱射事件は、どうやら倉本舞衣さん1人を狙った犯行で、藤本勇司さんは犯人の馬込政義容疑者を制止しようとして銃撃を受けてしまったという見方が強まっている。だが、どんな経緯で倉本さんに対し殺意を強めていったのかなど詳細はまだ不明だ。

 ただ、この事件に関しては、前記事のコメント欄でも指摘があるように、容疑者を異常者として断罪するだけのブログが多いことや、被害者の倉本さんの清楚さ、純朴さをやたら強調するような報道が目立っている。

 更に、これに関連して一旦は事件として報道されたものの実は狂言であったなどの場合、容疑者として報道された人に対する名誉回復が全くなされていないことも問題として指摘された。

 特に性犯罪に類するものに関しては警察の捜査なども一方的に女性の言い分だけを鵜呑みにして男性を安易に有罪としてしまうケースが沢山あるのではないかといった懸念がある。

 もしも自分が性犯罪の濡れ衣を着せられて服役する羽目になったらと思うと非常に恐ろしい。これでは女性と接触を持つことは勿論、電車の中など女性と近寄るだけで危険ということになってしまう。しかしそれでは益々フェミの思う壺なのだろう。

 話は変るが、今日は渋谷で夫を殺害バラバラにして遺棄した事件で逮捕されている三橋歌織被告の初公判があった。しかしそれに関しても、歌織被告が夫の三橋祐輔さんからDVを受けていたためPTSDになっていて、犯行時も心神喪失か心神耗弱の状態だったとして、減刑が当然と思わせるような報道もある。

 何か女性が罪を犯した時の逃げ道として、心神耗弱やDV被害などあらゆる手段を利用して免罪出来てしまうような事態になりつつあるのではないだろうか。いよいよDV法の弊害が本格的に現れてきたような気がしてならない。また弊害はDV法に限らず、全てのフェミニズム政策に言えることではないだろうか。

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犯人の変質性を探る報道が意味するもの --佐世保銃乱射事件--

2007-12-16 20:57:42 | 事件、事故

 突発的な精神的暴発なのか、何らかの恨みによるものなのか、或いはもっと奥深い事情があるのか、長崎県佐世保市のスポーツクラブで14日に起きた銃乱射事件ではまだ多くの謎が残っている。犯人は既に自殺しており、事件の真相を探ることは極めて困難な状況だ。

 この事件では当初無差別的な殺人ではないかという見方がされたが、殺害された男性と犯人とは学生時代の同級生であったことなどから、怨恨の疑いも浮上してきた。だが男性は犯人とは親友で、トラブルもなかったという。またスポーツクラブの従業員の女性も犯人とは顔見知りであったものの、トラブルなどは見当たらないという。従って真相は更に闇の中へ入り込んでしまった。

 ところで、こうした大事件が起きた時、マスコミはどんな報道をするのか、また2chなどの掲示板や個人ブログなどのネット世論などではどんな意見が飛び交うのかが注目される。今や新聞やテレビなどの大規模メディアが流す情報を鵜呑みにする人は少なくなりつつあるだろうが、依然として影響力は大きい。だがそんなマスコミ報道に誘導されてしまわないように、自分の頭で考える力が必要なのも事実である。

 最近の事件報道などを見ていると、犯人の変質性や凶悪性を強調するようなものに終始しているように思える。今回の事件でも、犯人を良く知る近所の人の話などで、普通と違う、怒りっぽい、銃を持たせることは危険だといった声が多数報道されている。これとは対照的に、被害者に関しては評判の良い情報ばかりというのが通例だ。

 これらの報道により、犯人は一般人とは異質で凶悪である、そして事件は誠実で善良な人達の命を奪い取った卑劣な犯行であるという結論を導くことによって、世間の目を犯人断罪論、更には銃規制などの法整備の問題へと向けさせて、ある種の納得感、安心感を得ようという意図が働いているのではないだろうか。

 しかしこうしたバイアスがかかった報道には疑問がある。何故なら、報道や取材というものは全て事件という結果から出発して行なわれているからだ。犯人が事件を起こしたという結果は揺るがない。従ってその結果に結びつくような理由を探して報道するという姿勢になりがちだからだ。逆に結果を翻すような情報は報道されにくくなる。

 ある報道では、犯人は親友と一緒に道連れ自殺をしたのではないかということも言われている。だがこれも単なる憶測に過ぎない。また従業員の女性も何故殺害されたのかわからない。犯人が犯行当日スポーツクラブを訪れた時に受付をした女性がこの殺害された女性らしいが、それが何か関係しているとでもいうのか。

 こうした事件を考える際には、これだけ犯人を精神的に追い詰めたものは何なのかということに言及しなければいけないのではないだろうか。例えば犯人は37歳で無職独身、将来の見通しも非常に暗い。そうした状況に陥ってしまった原因は何なのか。これもフェミニズムなどによる格差社会の影響ではないのか。しかし勝ち組の連中などは本人の人格や努力の問題として切り捨てるだけで、深く考えようとしない。犯人断罪論の報道姿勢が更にそうした冷酷で単純な世論に拍車をかけている。

 つまり、犯人断罪論というのはフェミニズムなど格差社会を生み出す権力主義が仕掛けた戦略とも考えられるのではないだろうか。犯人を非難するだけなら簡単だ。それを繰り返すことにより世論を単純化させていく。世論が単純化してしまえばマスコミなども世論操作し易いし、政治を操ることも出来る。そしてフェミニズムや反日勢力などの破壊勢力の思うままに世論を操り、好き勝手な政策を展開できる。たとえそれで国民が苦しみを訴えても本人の自己責任だと切り捨てれば良いし、犯罪など犯そうものならそれこそ断罪して厳罰化主義を徹底させれば良い。また何を犯罪と規定するかも権力側の思うままに出来る。例えば女性の意見に男性が反論したら即犯罪という法律だって可能なのだ。もはやその頃には言論の自由も失われているだろう。

 話が少し発展し過ぎてしまったかも知れない。しかし事件を巡る報道のあり方には、様々な思惑が入り乱れているということを認識して見る様にしたいものだ。

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特定の署名活動のみが司法を支配する可能性 --京都塾講師児童殺害事件--

2007-12-11 12:03:21 | 家庭、教育

 京都市の学習塾で塾講師のアルバイトをしていた大学生の男が教え子の女子児童を殺害した事件はまだ記憶に新しい。女子児童の父親はこのほど手記を発表し、男に無期懲役を求める署名活動も併せて行っているという。

 この事件に関しては、事件前から男と女子児童との間でトラブルがあったということに着目する必要がある。これらに関して各方面で様々な見解が飛び交ったと記憶している。男はロリコンであったとか、通っていた大学で財布を盗んだ前科があるなど男の人格を問題視するものから、他の児童とはトラブルはなかったとか、女子児童が男に対し「あっち行け」などとなじっていたなど、女子児童の人格を問題視するものなど、未だ情報が錯綜しているようだ。

 ただ、女子児童の親が塾に対し、講師の男について抗議し担当から外させるなど、既に男と女子児童の個人的なトラブルを超え、塾と女子児童一家との戦いという構図になっていたのは間違いないようだ。

 こうした経緯を考えると、この事件は単に通り魔が女の子を襲って殺害するといった出合頭の事件とは違い、非常に難しい事情が背景にあると考えられる。娘を失った親の悲しみは計り知れないだろうが、自らも争いに拍車をかけた当事者であることは深刻に受け止めるべきではないだろうか。

 たかが学習塾と言うと語弊がありそうだが、学校に比べれば転校は容易だし、回避策は幾らでもあったはずだ。それを何故この塾にこだわったのか。講師をくびにした上で娘を引き続き通わせたかったのか、疑問は残る。

 これら学校や塾などの教育を行なう側と、児童、生徒など教育を受ける側とのトラブルというのは至る所で起きていると思う。特に最近ではモンスターペアレンツと呼ばれる親の存在も問題視されている。また教師側の権威も失われていることも問題だ。児童や生徒が先生に尊敬心を持つことなく、半ば見下したような目で見ている現状もあるという。そこには、昔なら悪い生徒に体罰を加えていたことも今では出来ないといった教育方針の問題がある。

 更に、教育内容もフェミニズムに汚染された性教育や女性の社会進出誇示、セクハラ、DVといった男性への偏見強調教育が蔓延しており、女子の児童や生徒が男性の先生を偏見視する傾向も問題である。

 今回の事件も、そうした複雑な教育事情の中で起きたものと言えるのではないだろうか。決して被告の男に厳罰を求めたところで問題は解決しないと思う。

 またこの署名活動の報道記事を中日新聞では、出会い系で知り合った3人組に女性が拉致殺害された事件の署名活動の記事と隣り合わせに掲載し、何れも厳罰化の署名活動を行なっているところを共通的に思わせるような掲載の仕方をしている点が腑に落ちない。2つの事件は全く趣旨を異にするものであるはずだ。これも巧みな印象操作なのだろうか。

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医療界に見るフェミニズムの影響

2007-12-07 15:59:11 | 医療

 恋愛格差に関する記事のコメント欄が活況なので、今回もそこから話題を引用したいと思う。

 コメントの中にもあるように、医療制度に関しては、公平性を見せつつ実は女性優位の戦略が既に繰り広げられている実態がある。

 その代表的なものは女性専用外来であろう。これは女性の羞恥心を逆手にとって女性医師を増やす目的と、乳癌など女性特有の疾患に対する医療研究に力を入れようという目的がある。

 またピンクリボンと呼ばれる乳癌検診の奨励もこうしたフェミ活動が影響していると考えられる。これは、マンモグラフィーと呼ばれる乳癌検診用の診察機器で検診をするもので、これまでの医師の触診に替わる診察として急速に広がっている。多少の痛みは伴うらしいが、男性医師などに胸を触られることがないので躊躇なく診察を受けられるという謳い文句だ。

 だがこうした動きにも男性医師を排除し女性医師と女性用診察機器を広めるといったフェミニズム的なものが感じられる。特に診察機器は非常に高価なもので、医療費抑制が叫ばれる時期に女性用診察機器だけは優先的に多くの病院に広がっている実態が果たして公平な医療と言えるだろうか。

 そもそも、乳癌はかつて年配の女性に多い疾患であった。それが最近では20代など若い女性にも蔓延しているという。その原因は様々だろうが、例えば未婚女性など出産経験のない女性が多く罹りやすいとか、或いは女性の社会進出が病気に罹る確率を増やしているなど、フェミニズムに都合の悪い情報は必ず隠蔽される。本来大切なのは病気にならないための予防に力を入れるべきなのに、検診の強化を健康維持と摩り替えるのは誤魔化しに過ぎない。また医療費の抑制にも繋がらない。

 こうした、女性に対する優先的とも言える医療実態は、医療界全体へ蔓延してしまう恐れがある。例えば、大災害などが起きて怪我人が一度に多数発生した場合に用いられる治療の優先順位を決める札「トリアージ」の運用にも影響を及ぼす可能性がある。つまり女性患者にはより重度の判定をすることによって男性患者より優先的に治療順位を上げてもらおうということだ。また医師や看護婦の心にフェミ思想が染み付いていたらどうなるか、想像すればするほど怖くなってしまう。

 ところが、一方では産婦人科が減少し妊婦のたらい回しなどが横行している実態も見逃せない。一方では手厚い医療に恵まれ、一方では手薄の医療を野放しにする。これも女性医療はまだ行き届いていない部分が沢山あると世論に思わせるためのフェミニズムが仕組んだ策略なのだろうか。

 アファーマティブアクションなど、女性を優先的に扱う制度というのは、社会全体への不信感へと繋がりかねない。また、全てにおいて女性優先で当然なのだという考え方を広めてしまう。そうなれば税金も保険も男性のみに課し、女性は免除にするなどということも可能になってしまう。そんな環境下では、たとえ男女区別なく公平に行われていることでも、フェミバイアスがかかっているのではないかといった疑いを持たれてしまうのではないだろうか。

 フェミニズム政策は、全て戦略的に行われている。ある政策を行い、そこで国民感情がどう影響するか、それを見越して次の戦略を準備する。そして社会をフェミニズムの思い通りに操作しようというものだ。そのあたりの悪知恵は天下一品と言ってもいいだろう。果てしなく贅沢を求めるフェミニズムの傾向に歯止めをかけるために、誤解を恐れず周囲に広くフェミニズムの実態を告発していくことが大切だろう。

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恋愛格差を裏付ける調査 --「トリビアの泉」でのナンパ調査--

2007-12-03 17:03:17 | 結婚、恋愛

 今回は本ブログに寄せられたコメントの中から課題を取り上げてみる。(コメントありがとうございました。)

 11/28に放送されたフジ系「トリビアの泉」という番組で、働く女性100人に見た目もそこそこの男性が「一目惚れしました」と声をかけて、何人が付き合ってくれるか、或いは携帯番号やメールアドレスを教えてくれるかという調査をやっていたそうだ。結果は、100人中6人の女性がメールアドレスを教えたという。

 これとは逆に、可愛らしい女性が働く男性50人に同様に声をかけたところ、50人中44人の男性が携帯番号を教えたという。

 実際に私は番組を見ていないのでよくわからないのだが、この調査は何を意図しているのか? 男は女に飢えているということを印象付けたいのか? 女は断る権利があると印象付けたいのか? それが恋愛格差ということなのか? 何れにしてもこの調査結果によれば恋愛事情は圧倒的に女性優位ということを物語っている。

 しかしながら、もっと細かく分析すると、これだけの男女の開きは恋愛格差だけによるものではないと考えられる。

 まず、調査対象の男女は何れもフジテレビの社員や派遣社員などの関係者であるということ。特にマスコミ関係の女性というのはそもそも、女子アナや番組制作などに憧れ、超難関の高倍率を勝ち抜いて来たというつわものであるということだ。そんな女性は何がしかのフェミ思想に染まっている人が多く、一般女性とは感覚が違うだろうということだ。

 次に、相手に対する警戒心が男女で違うということだ。相手が詐欺師ではないかなどと疑う場合、声をかけてきた者が男か女かで信頼性の印象が違うだろう。この性質を逆手にとって、振り込め詐欺などで口座に振り込まれた金を引き出す役として女の共犯者が銀行窓口に行くということも過去にあったはずだ。

 そして、相手に携帯番号やメールアドレスを教える際に、どこまで機転を利かせることが出来たかが男女で違うということもあるだろう。例えば携帯番号の場合はデタラメな番号を教えるという手があるが、これをやる人は流石に少ないだろう。しかしメールアドレスの場合、何も携帯メールのアドレスでなくてもPCのフリーメールのアドレスを教えたっていい。これなら相手が厄介者であっても難を逃れることは比較的容易だ。懸賞サイトやメルマガ購読などに申し込む際のメールアドレスの記載にしても、いきなりメインのアドレスを書くよりはフリーメールがあればそちらを書いた方が安心できるのと同じだ。ところがフリーメールのアドレスを持っている人はやはり女性より男性の方が多いだろう。

 他には、調査対象が女性は100人なのに何故男性は50人なのか、更に調査対象の人の選び方に恣意的なものはなかったのか、など疑わしい点は幾らでも出てくるだろう。

 こうした調査というのは最初から期待される結果があって、それを確認するための調査になることが多い。今回の調査も女性優位の恋愛事情を誇示したいだけだったのかも知れない。しかし一番問題なのは、女性優位の報道だけが平然と出来るのに対し、男性優位の報道は出来ないという、フェミニズムの圧力が歴然と存在するということに帰着するのではないだろうか。

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