社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

河村たかし名古屋市長、南京大虐殺発言問題、中国は真実を再検証せよ

2012-02-29 22:23:05 | ネット媒体

 河村たかし名古屋市長が、南京大虐殺はなかったとする趣旨の発言をしたとして物議を醸している。中国側は一斉に反発しイベントの中止なども起きている。河村氏地元の中日新聞の社説でも河村氏批判に傾いているが、果たして批判されるべき対象はどちらだろうか。

 関連する記事を幾つか以下に列挙してみたが、最もわかり易いのは青山繁晴氏のコメントだろう。当時南京には30万人も殺害されるほどの人口はなかった点、蒋介石率いる人民軍による中国国民の虐殺を日本軍の行ったこととしてなすり付けている点など、南京大虐殺が中国の外交政策の口実として作り上げられたものであることが説明されている。

 また個人ブログでも、この問題を取り上げたものは沢山ある。中には南京大虐殺は当初は国連でも認められなかったとする経緯を紹介しているものもある。(*2)

 だがやはり、最も危惧すべき点は中日新聞の社説はじめ国内のマスコミが河村氏の発言を否定的に捉えているという点だ。反日マスコミだから当然と言えば当然なのだが、多くの国民はまだメディアが正義であると信じている部分がある。フジテレビの韓流騒動同様、メディアの報道を批判的に見ていく目を多くの国民に広げていかなければいけないだろう。


・(*1)青山繁晴絶賛 河村たかし市長の南京発言撤回否定
http://www.youtube.com/watch?v=J2h8bIeRw3c


・(*2)河村たかし市長の「南京大虐殺否定」発言 青山繁晴氏 断固支持!・「朝ズバ」みのもんた氏の見解は・・? 石原都知事「河村君は正しい」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/36099199.html


・河村市長“南京事件発言”を考える 政治としての歴史認識問題 2012年2月29日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120228/229219/?P=1

 ちょっと扱いづらいテーマをあえて取り上げて見ようと思う。1937年12月に中国江蘇省の南京市で起きた「南京事件」である。

 河村たかし・名古屋市長が江蘇省南京市の訪日団の表敬訪問に対して、「南京事件はなかったのではないか」と発言したことが、波紋を広げている。中国側から非難の声が上がるのは当然としても、日本国内で河村市長に発言を撤回し謝罪することを求める圧力が強いのに少々驚いた。

 政治家として、公式に外国の訪問団相手に歴史認識について発言したことを簡単に撤回し謝罪しては、その政治生命はおろか、日中間にある数々の交渉事にマイナスの影響を与えかねない。撤回するときは政治家を辞める覚悟が必要だ。しかも個人が辞めて済む問題ではなく、中国側に高い外交得点を与え、ほかの日中間の交渉事、たとえば、河村市長が否定的な見解を示す中国総領事館への国有地払い下げ問題なども、中国に有利なように動くかもしれない。それだけはさけてほしいと私は思うのだが、日本の少なからぬ人が、河村市長の非礼極まりない発言が中国側を怒らせたので、謝罪すべきだといっている。「なかったのではないか」という意見自体が政治家としての良心と良識にもとる、と言う人もいる。

 おそらく、日本人の多くは大変まじめで、歴史認識とは真実を意味し、発言にわずかでも不確かな部分があれば訂正し、謝罪しなければならないと思っている。

■南京事件は単純に歴史の真実の問題ではない
 しかし、私の考えを言えば、南京事件とは単純に歴史の真実の問題ではない。では、南京事件とは何なのだろうか。

 南京事件とは一般には1937年12月13日に国民党政府の首都・南京を陥落後、6週間に渡って投降兵や市民らを虐殺したと言われる事件だ。中国側は犠牲者30万人を公式の数字とし南京大虐殺記念館の外壁にもその数字を刻んでいる。なかには50万人という人もいる。日本側には、虐殺と呼べるようなものはなかったとする説、犠牲者が数千人、数万人規模とする説から20万人とする説まで意見が分かれている。

 私自身は「なかったのではないか」と問われれば、「あったのではないか」と答えるだろう。あの時代の戦争で、日本軍がたった一人の捕虜もたった一人の民間人も殺害せず、略奪も強姦も全くしなかったと主張するのは無理があろう。しかし、南京事件が、どのようなものか、どれほどの規模か、国民党軍の手による虐殺数が上乗せされているのではないか、と問われれば、明確な答えをもっていない。断片的にさまざまな伝聞や記録は目にしているものの、その史料の信憑性はどうだ、プロパガンダ性はどうだ、という議論になると、自信はない。

 そもそも虐殺の定義も、あの当時の戦争は現代とは随分違うかもしれない。あのころ蒋介石は人の命を命と思わない作戦を頻繁に行っていた。1938年の黄河決壊作戦や長沙大火と呼ばれる焦土作戦はそれぞれ数十万、数千単位の農民、市民を犠牲にしたと言われている。20年前ぐらいには河南の農村には黄河決壊とその後続く大干ばつの記憶をもつ農民がいたという。知り合いの河南出身の作家が私に語ったのだが、自分の故郷の老人にとって日本兵は生まれて初めて食べた飴をくれた人で、農民を苦しめたのは国軍兵だったと話していたそうだ。非戦闘員を巻き込むことがいけないという感覚なしで戦闘が行われていたのが、あの当時の中国だった。

 そういう時代、長沙大火やダム決壊作戦を実行するような国民党軍が南京を撤退する際に一切、食糧や物資を略奪しなかったとも思いにくい。南京事件は国民党軍の犯した殺戮も日本軍が行ったことになっているのかもしれないという疑いはもっている。

 ただ何が歴史的真実かについては、いずれも「かもしれない」としか言えないのである。

■被害調査を放置してきた中国当局への不満も
 一つはっきりしているのは、南京事件は日中間においては、他の歴史認識問題と同様、すでに政治カードとなってしまっている。

 南京事件の犠牲者30万人という数字については、これを「政治的な数字」と見る学者は中国にもいる。とある北京の公民外交(パブリックディプロマシー)の研究者は、南京事件を日本の戦争犯罪の象徴として国際社会に認識させたのは中国側のパブリックディプロマシーの勝利であり、日本のそれのヘタさの結果であるという見解を非公式に私に話した。

 一方で、犠牲者を30万人という数字でひとくくりにし政治利用するだけして、具体的な被害調査を放置してきた中国側の事件に対する不誠実さに不満を持つ学者もいる。

 歴史学者の朱学勤・上海大学教授は2007年の南京事件70周年にあわせて発表した文章で、こんなことを言っている。「南京事件については、中国人は長らく口にすることすら許されていなかった」「許されたとたん、いきなり犠牲者30万人の数字である。この数字は曖昧模糊としている。なぜ30万1人、30万2人と端数がないのか。こういう模糊とした数字では説得力がない。そこに日本側に言い逃れの口実を与えることになるのだ」…。

 国内で南京事件を口にすることがタブーだった背景として、1950年代から60年代の冷戦構造の中で、中国は反戦反米の意思形成をしており、日本の左派を中国側に引き込むための代表団を絶え間なく送りこむなど、「政治的ムード」があった。南京事件を中国側がクローズアップし出したのは、日本の教科書問題が日中の外交問題に発展した80年代だったという。30万人以上という数字は南京軍事法廷の判決をなぞっただけのものだった。

 中国における南京事件研究の第一人者の南京師範大学の張連紅教授も「30万という曖昧で冷たい数字ではなく、具体的な犠牲者の名簿が必要」という立場で、2006年に南京市江寧地区で聞き取り調査を行っていた。当時の報道によれば、生存者1038人の目撃談をもとに犠牲者総数7361人と結論付けている。うち姓名がわかったのはわずか1343人だった。この時、新聞記事では広島平和記念公園の記念碑には原爆の犠牲者23万7062人の名前が具体的に刻まれていることなどを例にあげ、犠牲者の調査を放置していきた中国側の姿勢も暗に批判している。

 中国の政治的空気に振り回された結果、事件の犠牲者をきちんと把握する機会を逸し、南京大虐殺記念館を犠牲者哀悼と歴史の記録の場ではなく、「愛国教育」という思想教育の場として、対日外交戦略に利用するカードにしてしまった。それは心ある中国人にとっても、悔しく残念な結果に違いない。

■あまりに政治的な中国当局の姿勢
 中国当局は近年、一層南京事件の対国際社会宣伝に力をいれている。国際社会で中国脅威論などが盛り上がってくると、中国があくまであの戦争の被害者であり、恐れるべきは日本の右翼台頭であることを印象付ける上でも中国の歴史認識の国際社会への浸透努力はより重要なのだ。

 昨年は中国を代表する張芸謀監督が「金陵十三釵」という南京事件をテーマにした映画を発表した。主演に「バットマン」などの作品で知られるハリウッドスターのクリスチャン・ベイルを迎え中国映画市場最高額の総製作費78億円をかけた大作である。中国の南京映画を欧米で上映させることを目的に中国当局もバックアップする国策映画といえるだろう。

 この映画の興行成績は動員もあって、当然2011年の第1位に輝いたが、それでも売り上げは総製作費を上回らなかった。この映画を観た中国人たちに感想を聞けば、今一つ評価は高くない。中には「南京事件を愚弄しているように感じた」という人もいた。

 私もこの映画を観たが、派手な戦闘シーンとレイプシーンとラブシーンと色彩がきらめく娯楽映画だった。日本人としては、日本兵が鬼畜のように少女たちを追い回し、娼婦たちを輪姦するサディスティックなシーンは見るに堪えない。エンタテインメント性とともに当時の日本軍の非道さ卑怯さを欧米市場で訴えるには成功作になるかもしれない。だが、戦争映画としての説得力や心に響くものが色あせてしまっているのも確かだった。

 ちなみに原作は在米華人女流作家の厳歌苓が、金陵女子理工学院(金陵女子大学、元南京師範大学)のヴォートリン学長代行の日記に着想を得て書いた小説だ。原作には当然神父と娼婦のラブシーンなどない。

 南京大虐殺記念館にしろ南京映画にしろ、中国当局の南京事件に対する姿勢にはあまりに政治的であり、犠牲者への悼みも歴史の真実を求める気持ももはや感じられなくなっているのである。

■友好都市交流の「一時停止」申し入れが示すこと
 河村市長に話をもどす。

 27日の記者会見で、河村市長は「相互理解と友好親善をいっそう深めるために南京市と名古屋市で率直な意見交換、話し合いをしたいという私の真意が伝わらなかった」と述べた。だが、河村市長の発言後、南京市代表団が机を叩いて席を立たたなかったところを見ると、相手側に真意は伝わっていたかもしれない。ただメディアを通じて中国国民に伝えられたところ、この発言は中国として政治的に座視できないものとなった。

 南京市は名古屋市との友好都市交流一時停止を申し入れてきた。無期限停止や破棄ではなく、一時停止というあたりに、中国側も怒りより戸惑いの様子が見える。環球時報を中心に、名古屋旅行ボイコットと河村市長個人への制裁を呼びかけているが、あくまでターゲットを河村市長個人に絞っており、日中関係全般に影響を与えないように気を配っているのも透けて見える。政治的な問題は政治的に解決したい、少なくとも一昨年の尖閣諸島問題のときのように、日中の国民感情を悪化させることはしたくない、といったサインと受け取っていいだろう。

 中国側が望む決着点は河村市長の謝罪、または日本の国内世論圧力をうけての辞職だろう。しかし、相手の望む通りになっては政治とはいえない。外交交渉は、お互いの要求、主張をぶつけ合い、あるいは水面下で交渉し、少しでも自分側の有利な着地点に降り立つことである。河村市長の要求が、たとえば南京事件に関する討論会を開催し、率直な意見交換を行うというのなら、その一点の着地点を目指すのが政治家らしい仕事だろう。また日本の世論が中国に代わって、中国に利する政治的決着を助ける必要はないだろう。

 個人的には、南京事件の討論会を私も見てみたいと思う。日本人は南京事件を中国と対等に徹底的に論じることを避けてきた。その結果、曖昧模糊とした30万という政治的数字が国際社会においても日本の戦争犯罪の象徴として喧伝されてきた。これは日本イメージにとって大きなマイナスとなっただろう。そして30万というざっくりした数字の中に埋もれた名もなき犠牲者の魂も浮かばれまい。

 もしも討論会が催されることがあるなら、南京事件がなかった派も犠牲者30万人派も、まず犠牲者への哀悼と平和への祈りから始めてほしい。


・河村・名古屋市長:南京事件否定発言 「誤解招いた」--釈明会見・一問一答
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20120228ddlk23010182000c.html

 名古屋市の河村たかし市長は27日の記者会見で、自身の南京事件を否定する発言について持論は撤回せず、「30万人とされる組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨だったが、一部で誤解を招いた」と釈明した。主な質疑は次の通り。

 --市長の意見では、虐殺はあったのか、なかったのか。

 30万人の非武装の中国の皆さんを日本軍が大虐殺したということはないと思っている。

 --犠牲者数に関する認識は。

 非常に多くの意見がある。そういうことをぜひ率直に話し合おうではないかということを申し上げている。その時にお話ししたい。

 --南京側に誠意ある対応をするのか。

 南京市に役所は今でもアプローチしている。おやじが大変世話になっただけの理由で「ない」と言っているのではない。大変世話になって感謝しているという気持ちを中国大使館の人にもお伝えしたいということで今日(担当課に)指示した。

 --表敬訪問での発言は適切だったか。

 流れの中で決して突然、違和感のある発言ではなかった。

 --日本政府見解は市長の意見に沿うか。

 (政府見解は)非常に不明確だ。そもそも虐殺という言葉の定義がない。

 --「虐殺がまったくない」という立場ではないということか。

 虐殺という言葉が、一人二人でも態様によってそうなるのか、それとも一定の数をイメージしなくてはいけないのかはっきりしない。質問に答えるのはなかなか苦しい。

 --非戦闘員が亡くなったことはあるが、軍が主体的、組織的に関与したとまでは言えないということか。

 南京事件と言ったら30万人の非武装の中国の人を日本軍が大虐殺したということ。それは「ない」と言える。戦闘行為はあったから、非常に残念なことはあったのかもしれない。あったのだろう。それは否定しない。

 --混乱した事態について市長としての責任をどう考えるか。

 あまり適切な質問ではない。残念だ。一日も早く、こんなこと言ったら、すぐこんなふうになっちゃう時代を打ち破って、本当の日中友好、名古屋と南京の交流が実のあるものにならんかと思う。


・石原知事、河村市長発言を擁護 「南京大虐殺違う」 2012/02/24 19:09

 東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、「南京大虐殺」を否定した河村たかし名古屋市長の発言について「河村君の言うことが正しい。大虐殺は違うと思う」と述べ、擁護した。

 知事は「(南京が)陥落した2日後か3日後に日本の代表的識者が入っている。彼らは『死体はあったけど山と積むような死体なんて見たことない。けげんな話だ』と言っていた」と指摘。
【共同通信】


・石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120225k0000m040076000c.html

 東京都の石原慎太郎知事は24日の定例記者会見で、河村たかし名古屋市長が南京事件を否定した発言について「河村君の言うことは正しいと思う」と擁護した。

 石原知事は「あれだけの装備しかない旧日本軍が、あれだけの期間に40万の人を殺せっこない。絶対にない、物理的に。戦争のどさくさですから、人を殺したのもあったかもしれない。しかしそれをもって、大虐殺というのは本当に心外だと思うし、違うと思う。さんざん検証してきたんだから。私は彼を弁護したい」と述べた。【柳澤一男】
【毎日新聞 2012年2月24日 21時40分(最終更新 2月25日 7時46分)】


・「南京事件なかった」と河村名古屋市長 中国共産党の市常務委員に「互いに言うべきこと言おう」 2012.2.20 11:35
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120220/lcl12022011410001-n1.htm

 名古屋市の河村たかし市長は20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。

 河村氏は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて「事件から8年しかたってないのに、南京の人は父に優しくしていただいた」と指摘。「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とも述べた。


・「南京事件なかった」と河村氏発言 中国からの訪問団に
http://www.asahi.com/politics/update/0220/NGY201202200003.html

 名古屋市の河村たかし市長は20日、姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会の常務委員ら一行の表敬訪問を受けた際、1937年の南京大虐殺を取り上げて「一般的な戦闘行為はあったが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。

 河村氏は理由について、事件後の45年に現地に駐屯した父親が優しくもてなされたことを挙げたという。

 河村氏は09年の9月市議会でも、終戦を南京で迎えた父親の例を挙げて「オヤジは南京で本当に優しくしてもらった。大虐殺があったなら、こんなに優しくしてくれるんだろうか」と語り、「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されている」などと発言していた。


・【社説】河村市長発言 なぜ素直に撤回しない 2012年2月28日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022802000015.html

 名古屋市長は「南京事件はなかった」との発言を撤回せず、訪問団にも非礼ではなかったとの考えを、きのう述べた。率直な議論で「ノドのトゲを抜こう」と主張するが、その土台は一体あるのか。

 河村たかし市長は会見で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が「南京大虐殺はなかったという持論を展開」と報道され、「南京では何もなかった」と誤解されたと釈明した。

 市長は「象徴的に三十万人とされるような組織的大虐殺はなかったとの趣旨」と説明。「友好団に面と向かって三十万人の大虐殺と申し上げるのは言葉がいかにも残虐なので、あえていわゆる南京事件と申し上げた」と釈明した。

 当初の発言は、市長が南京大虐殺はなかったと公にしたと受け止められる言葉である。報道により南京市民の誤解を招いたというのは、とんでもない責任転嫁だ。

 南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も「集団的、個別的な虐殺事件が発生し」と明記する。市長自身「非戦闘員の殺害はあっただろう」と認めており、日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、そう明言すべきであった。

 市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は率直な議論のテーブルにはつけぬだろう。

 敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、首長は政治家であるとともに自治体のリーダーでもある。歴史的な米中、日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交の舞台である名古屋のトップの公式発言としては不適切だった。日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が公の交流を停止し、記念行事や経済活動にも影を落とす。苦しい釈明ではなく、素直に撤回できないものか。

 昨年春、南京市の公園で日中の百人以上が友好の桜を植えた。南京出身で十五年以上も名古屋に住む韓金龍さんが中心となり、過去五年で千本余を植えた。韓さんは「手を携えて桜を守り、友情の証しにしたい」と話した。

 「公の交流停止」と言う南京市のシグナルを、敏感に受け止めてほしい。民の交流の根は深く、広い。民の交流を支えてこその市長であろう。


【再掲】家族愛の大切さを本村氏に学べ --山口県光市母子殺人事件--

2012-02-21 14:09:22 | 事件、事故

 今回は、本ブログにて過去に掲載した論考を再度掲載したい。今回の最高裁判決で当時18歳だった大月孝行(旧姓、福田)被告の死刑が決定したが、それが今後の司法にどんな影響を与えるのか、そしてフェミニズムなどの偏向勢力はどんな動きをするのか注視する必要がある。

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(2007-06-29 11:28:22掲載の論考)

 今更この論考で、「弥生さんに甘えたかった」、「ドラえもんが何とかしてくれると思った」など被告の言葉にいちいち言及するつもりはない。今回注目したいのは、何故これほどまでに本村さんが被告に対し死刑を求めるのか、その真意を今一度考察したいということだ。

 山口県光市の母子殺人事件の差し戻し控訴審では、公判での被告の言葉に耳を疑うような発言が飛び出し、遺族の会社員本村洋さんも「聞くに堪えない3日間だった。死者への尊厳の気持ちもない」と憤っている。

 この事件に関しては、過去に何度もマスコミに取り上げられ、国民も注目する事件となった。被告に死刑を求める遺族の本村さんに対し、死刑廃止論を唱える弁護側との攻防が今回の公判でも繰り広げられた。

 この事件では、強姦目的での殺害なのかどうかが一つの焦点にもなっているようだ。だが、それが事件の深刻性に大きく関わるものなのか私は疑問に思う。何故なら、人の命が奪われたことに変りはないわけで、強姦目的かそうでないかは事件を裁く上でそれほど大きく影響するとは思えないからだ。

 性的な要素を含む事例に関してはとかく女性感情などに振り回され易い。今回の事件もマスコミなどが強姦目的という状況を意図的に大きく報道しているような気がしてならない。この事件にもフェミニズムの関与があるのかと思うとやり切れなくなる。それではこの事件の本質を見失うことになりはしないか。決してこの事件を性犯罪の代表例などとして、フェミニズムの性欲排除論、性犯罪厳罰論に加担するようなことになってはいけない。

 この事件で本村さんが被告に受け入れて欲しい遺族感情とは何か、それをもう一度冷静に考えてみるべきではないか。本村さんが失ったものとは一体何なのか。

 例えば、もし仮にこの事件が起きた時、既に本村さんと奥さんは離婚していて子供も奥さんの所にいたとしよう。それでも本村さんはここまで被告に死刑を強く求めるだろうか? 恐らく力は入らなくなるだろうし、そこまで憤るほど妻を愛していたのなら何故離婚するのかといった疑問も出て来るだろう。

 そう考えると、本村さんが被告に訴えたい真意というのは、末永く続くべく幸せな家庭を破壊されたということ、絶対に代替の利かない明るい家庭を被告はぶち壊しにしたのだということ、これに尽きるのではないだろうか。

 想像ではあるが、本村さんと亡くなった妻の弥生さんとは、恐らく純愛を貫いたのではないだろうか。家族を思う気持ちというものは、そうした愛情の深さから湧き上がって来るものではないかと思う。本村さんの気持ちの中には、家族愛の大切さというものが大前提として存在するのだと思う。更にその意識は、離婚や非婚が当たり前のようになっている家族破壊の社会に一石を投じるものであるべきではないだろうか。

 従って、この被告を死刑にするとしても、その理由が重要である。それは、家族、家庭を破壊したことによる遺族への深刻な精神的打撃を主としたものであるべきだと思う。決して強姦目的だからといった偏見勢力に加担するような理由を主としたのでは煮え切らない。そうした勢力は元々家族破壊を目的とする勢力であり、家族を愛する本村さんの気持ちとは相反する勢力になるからだ。


女性の就労が生産効率を阻害し経済破綻を招く

2012-02-15 22:35:09 | 労働

 フェミニズムのごり押しで女性を無理矢理採用させ、企業に面倒を見させる。公務員採用試験などでは面接試験を増やし、女性に下駄を履かせて大量に採用している自治体が大多数の昨今だが、現場ではやはり男性社員の不満が爆発しているようだ。

・【話題】 女性社員は使えないのか?  男性社員が批判 「そもそも女性は意欲に乏しく、感情的になりやすく、責任感が薄い
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A9C93819497E3E2E2E2938DE3E2E2E0E0E2E3E08588EAE2E2E2;dg=1;p=9694E3E1E2EBE0E2E3E3E6E0E6E4
<「やっぱり女は…」男性意識が招く職場の悪循環 上司はひるまず育てる覚悟を 2012/2/15 7:06>

女性社員にどう活躍してもらうか。先進事例はあるが、多くの企業は今もこの課題に悩んでいる。
「そもそも女性は意欲に乏しく、責任感が薄い」。女性の活躍が進まない職場の男性からはこんな批判も漏れてくる。
果たして女性は使えないのか? 解決のヒントを探った。

「今年は男性の新入社員を回してよ」。大手メーカーの人事担当者は年初に顔見知りの営業所長にこう耳打ちされた。
女性の活躍を掲げる同社は男性中心だった営業や技術部門にも意識的に女性を配属してきた。

しかし、現場には異論があるらしい。「厳しく指導したいが怒鳴れない。深夜などに問題が起きても女性を一人で顧客の元へ行かせられない」
人事担当者は「公に『女性はいらない』とは言わないが、ほかの部署からも水面下で依頼が来る」と嘆く。

働く女性は確実に増えたが、活躍の場は思うように広がらない。管理職の女性比率は部長4・2%、課長7%と圧倒的に少ない。
日本生産性本部は2010年、企業を対象に女性社員を育成する上での課題を調査した。

最も多かったのは「女性社員の意識」で81・7%。「意欲が乏しい」「感情的になりやすい」など手厳しい見方が並んだ。

女性は結婚や出産などライフイベントの影響を受けやすい。仕事より生活を重視する女性も確かにいる。
ただ、問題は女性側だけにあるのだろうか。
(一部引用、引用元は2chニュース速報+板)
 


AKB48高橋みなみの母親を淫行で逮捕も擁護報道になる理由

2012-02-07 22:13:13 | 事件、事故

 AKB48メンバー高橋みなみの母親が淫行で逮捕されていた。非常に衝撃的なニュースであるが、このニュースの第一報では、最初から母親擁護ありきのものとなっている。こうした報道姿勢にもフェミニズムの女性優遇が関与しているという点を見逃してはいけない。

・AKB48高橋みなみ母が15歳少年への淫行容疑で逮捕!? 週刊文春が報じる 2012年2月7日
http://rocketnews24.com/2012/02/07/180111/
・淫行容疑で逮捕の女、高橋みなみの母親の可能性浮上 週刊誌報じる 2012/02/08(水) 09:18
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0208&f=entertainment_0208_002.shtml

 引用のニュース記事(上)によれば、高橋の母親が少年から迫られ「仕方なく関係を持った」としているが、これは母親の証言であって、少しでも自分の非を軽くしたいという思いから、消極的な意識を強調した作為が表れていると言えるだろう。

 それに、ニュース記事(下)によれば、「数回やった」という供述がある。仕方なく数回も関係を持つだろうかという疑問が生じるのは言うまでもないし、恐らく現場は高橋の実家つまり母親の自宅だろうから、嫌なら少年を家に入れなければ良かったのだ。従って、仕方なくというニュアンスには矛盾がある。

 更に、このニュースを受けてのネットの反応で、「母親がかわいそう」といった意見が取り上げられているが、果たしてこれがネット世論の大勢を占める意見なのかどうか非常に疑わしい。これがもし父親が少女と淫行したものだったら、「父親がかわいそう」という意見は出てくるだろうか。それにそんな意見があったとしてもニュースが取り上げることはないだろう。

 つまり、少しでも母親に擁護的な意見を敢えて探し出してそれをあたかも代表的な意見であるかのように取り上げて印象操作を図る、これがフェミニズム権力に支配された社会での報道姿勢になるのだ。もしこれが男女逆であれば正反対のバイアスがかけられた報道になるのはいうまでもない。

 報道によるこうした印象操作は日常茶飯事である。最も顕著なのは、ある主題について街頭インタビューを行い、街の声としてニュースでその一部を紹介するものだ。インタビューそのものは多数の人に行うが、どの回答を選択し報道するかはマスコミの判断である。その選択段階でフェミニズムはじめ様々な権力が圧力をかける。

 例えば今回の件に関してなら、母親非難の意見が9割、母親擁護の意見が1割だったと仮定しよう。その結果に基づけば、報道段階でもその比率に見合うように母親非難の意見を5件くらい、母親擁護の意見を1件くらいというのが妥当な線だろう。しかしフェミバイアスがかけられた現状では、母親非難を2件くらい、母親擁護を3~4件報道する。しかも母親非難の意見でも、「母親が悪いけど関係を求める少年もどうかと思う」といった痛み分け的なものにとどめ、罪に問われること自体がおかしいと思わせるような印象を国民に与えるように調節するのだ。中には、母親が強姦されたなどという作り話まで持ち出して事実関係を有耶無耶にすることも充分考えられる。

 勿論、これが男性が援交少女と関係した場合だったら、誘う少女が悪いなどという意見は絶対に表に出ないし、もしそういう回答をする者がいたらすぐさまレポーターが「何故少女が悪いんですか」などと強い口調で突っ込んで言い直しを求めたりするだろう。

 性的関係は全て男が加害者、女は被害者という図式に強引に結びつけるのがフェミニズムの常套手段だ。女が快楽で男と性を楽しんでも女は被害者にしてもらえる。こんな馬鹿げた話がまかり通ってはならない。しかし今それが現実となっているのだ。


・AKB48高橋みなみ母が15歳少年への淫行容疑で逮捕!? 週刊文春が報じる 2012年2月7日
http://rocketnews24.com/2012/02/07/180111/

日本を代表する大人気のアイドルグループといえば、『AKB48』だ。かなり大人数のグループだが、握手会に行列ができるほど人気のあるメンバーとして前田敦子さんや大島優子さん、篠田麻里子さんなどが挙げられる。

そのなかでも特にしっかり者でチームAのリーダーとして活躍しているのが、高橋みなみさんだ。プロデューサーの秋元康さんも「AKBの顔」として太鼓判を押している彼女だが、衝撃的な情報を入手することができた。それが確認できるのは2月16日号の週刊文春。読んでみると……

高橋みなみさんの母親が15歳の少年との淫行容疑で逮捕されたというのだから驚きである。

詳しくは週刊文春をご購入のうえ確認して頂きたいのだが、お母さんは高橋みなみさんの弟と親しい先輩の少年に迫られて「仕方なく関係を持った」と報じている。

この報道を見たインターネットユーザーたちは「母親がかわいそう」や「高橋みなみさんが心配」などとショックを隠せないようだ。本人による事件ではないため今後の活動に影響は無いと思われるが、彼女のメンタル面が心配されるところだ。

参照元:週刊文春

 

・淫行容疑で逮捕の女、高橋みなみの母親の可能性浮上 週刊誌報じる 2012/02/08(水) 09:18
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0208&f=entertainment_0208_002.shtml

 7日、人気アイドルグループ「AKB48」のメンバーの母親(44)が、知人の少年(15)とわいせつな行為をしたとして、東京都青少年健全育成条例違反容疑で逮捕されたと報じられた件で、逮捕された女性は、高橋みなみ(20)の母親である可能性が浮上した。8日発売の週刊誌「週刊文春」(2月16日号)が「AKB高橋みなみ母が『淫行容疑』で逮捕された!?」と報じている。

 7日に主要メディアが報じたところによると、母親は昨年11月に八王子の自宅で息子の中学校の先輩だった無職の少年とわいせつな行為をした疑いがもたれた。警視庁のその後の調べでは、母親は容疑を認め「迫られた数回やった」と供述。既に略式起訴されたという。このときの報道では、AKB48メンバーの母親とするだけで、実名は明らかになっていなかった。しかし、同じタイミングで週刊文春が報じたことから、高橋みなみの母親である可能性が出てきた。

 AKB48を下支えするネットユーザーの反応も早い。大手掲示板に既に2万を超える書き込みが寄せられている。AKB48に至っては最近、元メンバー2人が男性との交際を思わせる写真がネットに流出したことにより、グループから脱退する事態が起きている。今回の事件は高橋本人、グループ全体にどのような影響をもたらすのか。今後の動向が注目される。(編集担当:武田雄樹)


 


セクハラに加えパワハラ権力も手にしたフェミニズムの強権力

2012-02-02 21:39:21 | 労働

 職場での陰湿ないじめなどパワーハラスメント(パワハラ)について厚生労働省が定義を公表した。ただ、定義とは言っても、その性質上何がパワハラに当たるのか明確にするのは不可能だろう。

・厚労省パワハラ定義「派遣社員の正社員イジメ」「むりやり飲み会」ダメ 2012/2/ 1 11:44
http://www.j-cast.com/tv/2012/02/01120675.html

 こうした曖昧な概念は、フェミニズムなどの権力集団の思うままに悪用される。これと類似のセクハラなどという概念も女性が男性を支配的に扱うために考え出されたものだ。同様に今回のパワハラも女性だけのご都合主義に利用されるだろう。

 例えば、引用記事にある事例として、上司が部下に対してというだけではなく、若い社員が先輩社員に対して行うことなどもパワハラの対象となるとある。これは、例えば上司が女性で部下が男性だった場合に、女性上司が散々男性部下をこき使った挙句、男性部下の堪忍袋の緒が切れて、女性上司に怒鳴り声を上げて反旗を翻したというような場合でも、その怒鳴り声の部分だけを取り上げて、女性上司が男性部下から恫喝されるパワハラを受けたという認定も出来てしまうわけだ。しかし、男性部下が何も声を上げられずに仕事を辞めたというような場合は、単なる能力不足とみなされ、女性上司のパワハラは認定されないだろう。

 結局は、女の弱者権力をセクハラのみならず更に拡大しただけと言えるのではないだろうか。

 気に入らないことは全て嫌がらせとして相手を悪者扱い出来てしまうとなると、管理する側は女性従業員には腫れ物に触るような手厚い保護をより一層迫られることになる。例えば残業を男性と同等に行わせれば、女性は体力がない、帰り道が危険などと言う理由でパワハラ扱いされることもある。女性の転勤も同じだ。女性の1人暮らしは危険などという理由で転勤を免除してもらえることになる。それらのしわ寄せは全て男性に降りかかる。勿論男性社員が残業も転勤も経験したからという理由で女性より昇進や昇給が早くなれば、女性社員は差別だとして会社を訴えることも出来る。そうならないためには女性社員も同時昇格をさせなければいけないことになる。

 負担は軽い楽な仕事ばかりして給料や昇進は過酷労働をしている男性と同等もしくはそれより高くなる、こんな恵まれた環境ならまさに天国である。しかし公務員を中心にそうした現実が広がっているということを我々は認識しなければならない。税金は今やフェミニズムのために払わされていると考えて何ら差し支えないのだ。


<参考>
・厚労省パワハラ定義「派遣社員の正社員イジメ」「むりやり飲み会」ダメ 2012/2/ 1 11:44
http://www.j-cast.com/tv/2012/02/01120675.html

 厚生労働省は職場におけるパワーハラスメントの定義を公表した。陰湿なイジメであるパワハラの相談件数は年間で約4万件にも及ぶという。

 厚労省が定義するパワハラとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える行為。又は職場環境を悪化させる行為」だ。

■「真冬に背後から扇風機あてられた」
 田中大貴レポーターはパワハラをこう解説する。

 「上司が部下に対してというだけではありません。若い社員が先輩社員に対して行うことや、派遣社員のグループが正社員に対して行うことも含まれます。コミュニケーションをはかるためと称して、飲み会に無理矢理誘うこともパワハラになります」

 2年間、派遣先の会社で上司から嫌がらせを受けていたという男性は、「暴言は日常茶飯事。真冬でも背後から、扇風機の風を当たられていた」と話す。なぜ家族に相談しなかった。

 「余計な心配をかけたくなかった。それに、どこまでが激励で、どこからが嫌がらせなのかわからなかった」

 コメンテーターのデーブ・スペクター(テレビプロデュサー)は、「自分の気に入らない人間を追い出すために嫌がらせをするというのは、人間として最低の行為」と語気を強めたが、メインキャスターの小倉智昭は「パワハラの基準が明確になったことは良いことだが、微妙な問題も含まれる。うっかり上司が部下にハッパをかけるということもできにくくなる」と話す。パワハラの定義を公表したことで、イジメや嫌がらせはなくならないだろうな。


・震災の影響で結婚増加はウソ? 2011年婚姻数は戦後最低 2012/2/ 1 19:21
http://www.j-cast.com/2012/02/01120502.html?p=all

 2011年は「震災で『絆』が深まり、結婚する人が増える」などと指摘された年だった。だが、蓋を開けてみると、1年を通しての婚姻件数は戦後最低。「結婚離れ」には歯止めがかからないのが実情だ。その理由はどこにあるのか。

■震災後は婚約指輪の売り上げが伸びた
 11年3月の震災後、「結婚件数が増えるのではないか」といった報道が相次いだ。その根拠として挙げられたのが、(1)結婚紹介所の会員が増えている(2)婚約指輪や「ゼクシィ」といった結婚関連雑誌の売り上げが伸びている、というものだった。

 ところが、厚生労働省の2012年1月1日付けの人口動態統計(年間推計)によると、高まったはずの「結婚機運」は、実際の結婚には結びつかなかったようで、11年の婚姻件数は前年比4.3%減の67万件の見通しだ。婚姻件数は1970年代前半の約100万件をピークに減少を続けており、87年の69万6000件を底に、70万台で推移してきた。今回の67万件という数字は、戦後最低となる見通しだ。

 現時点では11年8月分まで公表されている月ベースの統計でも、震災後に婚姻件数が前年同月を上回ったのは、4月と7月だけだ。

 この調査によると、11年の日本の人口の減少幅は過去最大の20万4000人で、出生数が死亡数を下回る「自然減」は5年連続だ。少子化で、「そもそも、結婚適齢期の人口が減っている」ことが背景にあるとみられている。

 また、国立社会保障・人口問題研究所が10年6月に行った「出生動向基本調査」によると、18歳以上35歳未満の未婚者のうち、「一生結婚するつもりはない」と回答した男性が05年の前回調査比2.3ポイント増の9.4%、女性は1.2ポイント増の6.8%にのぼっている。未婚者の「終身独身志向」が高まっていることも背景にありそうだ。

■例年より「お日柄」が悪かった?
 結婚の減少は、結婚関連市場にも影を落としている。

 矢野経済研究所が12年1月11日に発表した「ブライダル市場に関する調査結果」によると、11年ブライダル関連市場は前年比1.3%減の2兆7154億円で、3年連続の前年割れ。これは、ブライダル関連市場の中でも大きな割合を占める挙式披露宴披露パーティーの市場が縮小したことが大きい。その理由は、結婚の数の減少はもちろん、(1)震災による式場の営業休止(2)挙式キャンセルや延期(3)挙式や披露宴1件あたりの少人数化が進んだことが背景にあるとみられている。

 もっとも大震災の後、結婚しようと思うようになったカップルが多かったのは事実かもしれない。「一度は機運が高まったが、結婚までには至らなかった」というわけだ。その理由はいろいろありそうだが、一つとして唱えられているのが、日柄の問題だ。10年度の土・日・祝日で仏滅でない日は101日あったのに対して、11年度は91日。事実上、式を挙げられる日が10日も減少しており、その分結婚の回数が減ったのではないか、というのだ。なお、12年度の土・日・祝日で仏滅でない日は87日。さらに状況は悪化する見通しだ。

 前出の矢野経済研究所の調査によると、今後は披露宴市場が復調することや、円高で新婚旅行市場が拡大するとみられているが、12年のブライダル市場は前年比0.9%増の2兆7400億円にとどまるとみられている。進行する少子化などを踏まえると、中長期的な見通しは、さらに不透明なのが実情だ。