社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

事件の報道格差とそれに翻弄される国民 --警官射殺心中、元交際男性殺害--

2007-08-27 10:47:25 | 事件、事故

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070827-00000067-san-soci
(この記事は、ヤフーニュースのブログ一覧にようやく掲載されました。8/28 9:00確認)

 警官と女性の射殺心中事件に続いて、今度は仙台で女が元交際相手の男性を殺害するという事件(事件そのものは6月に発生)が発覚した。恋愛感情を巡る愛憎という点で両者の事件は共通部分があるのだが、報道のされ方には大きな格差が感じられる。

 警官の事件については、情報を小出しにして繰り返し報道することにより事件の悪質性を過度に強調しようという策略が感じられる。警官が恐怖で座り込んだ女性を見下ろしながら拳銃を撃ったという残忍な犯行、といった記事の書き方などは如何にも恣意的な印象を受ける。他にも、女性の家の鍵を警官が所持していたとか、パトカーで女性を送迎していたなど職権乱用を強調している点なども同様の印象だ。

 一方、女が元交際相手の男性を殺害した事件では、元々報道の量が少なく、警官の事件や他にも犯罪サイトで知り合った3人組の男による殺人事件の報道などで覆い隠してしまおうという意図さえ感じられる。女の事件は隠蔽するというフェミの体質がここにも表れているのか。

 警官の事件も、仙台の女の事件も、何れも気の毒な事件だと思う。また逆に異性愛というものが事件にまで発展してしまうほど人にとって欠かせないものであるという証でもあるだろう。これらの事件を解説したブログなどは無数に存在すると思われるが、特に警官の事件に関しては「速やかに身を引くのが男だ」とか、「欲しいものが手に入らない子供が駄々をこねているのと同じ」など男性を敢えて幼児化させて揶揄する論調が多い。もちろんそれらのブログ作者がフェミに侵されているとは限らないが、結婚文化が破綻し、恋愛格差が出来てしまった現代社会の病理というものを彼らがどこまで深刻な問題として認識しているのか甚だ疑問である。

 格差社会というのは、単に格差が出来上がるだけではない。格差によって出来た勝ち組が負け組を切り捨てて非難するという要素を伴っているのだ。事件を起こした犯人は皆負け組である。その負け組を非難することによって、自分が勝ち組であることを改めて認識し優越感に浸る。しかしそんな状況では至る所で足の引っ張りあいが生じ、格差は更に広がる悪循環となってしまう。

 フェミニズムは格差社会の象徴的な存在である。女性を勝ち組に、男性を負け組にするシステムと考えてもいい。ストーカー規正法も職場のセクハラ対策も、そして女性専用車両も全て女性の意識だけを優先させた政策である。社会を全て女性の思い通りになるように法体系も作り変えてしまう。しかしそれで社会が健全になるわけがない。社会に横たわる悪しき権力に国民が一早く気付いて欲しい。犯人を非難しているだけでは弱い者虐めと同じなのだ。

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