裁判員制度初の死刑求刑、判で押したようなマスコミの報道、当然だというネット上での短絡的コメントの殺到、いかにも用意周到とも思える報道とネット世論の連携、しかしそこに事件の社会背景に言及する意見は少なく、見せ掛けの数の力だけで正当化しようという強引さが感じられる。
・林被告に死刑求刑 裁判員制度で初 耳かき店従業員ら殺害 2010/10/25 15:07
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/455360/
東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判第5回公判が25日、東京地裁(若園敦雄裁判長)で開かれた。検察側は「結果は重大で、真摯(しんし)な反省の態度はない」として林被告に死刑を求刑した。
昨年5月に始まった裁判員制度で初めての死刑求刑。
(一部引用)
この手の事件とよく対比されるのが、幼児虐待などで子供を殺害してしまう母親に対する裁判だ。たいてい母親には執行猶予付き判決が出るのが相場で、重くても懲役2、3年といったところだ。男に重く、女に軽くという司法の実態がフェミニズムに支配されているのは言うまでもない。
もし今回の事件も、女が男性2人を殺害したという逆転ケースなら、間違いなく加害者である女のこれまでの人生に少しでも同情心を抱かせるような理由と、被害者である男性の落ち度を強調する報道に終始し、せいぜい懲役10~15年程度で収めてしまうだろう。勿論、ネット世論もそれを是とするコメントが書き連ねられるだろう。もはやフェミニズム勢力はネット世論まで支配しつつある。
実に醜いほどの女性優遇が社会の中で胡坐をかいているのは言うまでもないのだが、ここで我々がしなければならないのは何か。それは、社会のあらゆる事例が、全て本を正せばフェミニズム、反日といった大きな破壊勢力に直結しているということを広く訴えていくことだと思う。
例えば、今回の事件でも、被告に妻子がいるならば恐らく耳かき店にすら行くこともなかっただろう。そもそも40代の独身男性が決して珍しくない時代になってしまったことが大きな問題点なのであって、それは非婚主義を貫き結婚妨害をしている同世代の女性達に責任があるのだ。殺害された20代の女性もいわば非婚女性達に間接的に殺害されも同然だ。つまり、結婚社会を破壊した功罪がこうした事件となって表れてくるということを認識しなければならない。犯人処罰だけでは、単なる蜥蜴の尻尾切りになってしまう。
しかし、強かなフェミニズムは、こうした結婚崩壊を草食男子などという言葉を流布させることにより、男性が積極的でないから結婚が進まないのだという論調にして女性の責任逃れを図っている。女性と交わりたくないなどと思う男性がこの世にいるはずがない。結婚が進まないのは女性の男性に対する慈愛心が欠落しているからに他ならない。だがそんな状況でもフェミニズムは出鱈目の理由を発明し強行する。
また、この事件とは別の話題が根幹ではつながっていくということも考察しなければならない。最近の例としては、自民党の三原じゅん子参院議員(46)が自らの体験談を元に女性の出産機能について触れた発言に、民主党の森ゆうこ参院議員(54)が「不適切だ」と噛みついた話題が上げられる。
・三原議員「出産機能発言」どこが問題? 批判の民主議員に異論相次ぐ 2010/10/22 20:25
http://www.j-cast.com/2010/10/22078959.html?p=all
これは、10月21日の参院厚生労働委員会において、子宮頸癌の予防ワクチン接種の必要性について三原氏が発言した際、三原氏が自ら2年前に子宮頸癌を患った体験談に基づき、「女性にとって最も大切な子供を産むという機能を失ってしまった」と発言したことに対し、森氏が不適切と文句を付けたというものだ。因みに森氏は3人の子を持つ母親だ。
この件については、まず発言が男性だったらマスコミは大きく取り上げ、袋叩きにしただろうということだ。これは、かつて柳沢厚労相(当時)の「産む機械」発言をマスコミが歪めて報道し、女性団体が相次いで抗議声明を出し、当時の安部政権の支持率低下を狙った事例と比較すると一目瞭然だ。
そして、この三原氏の発言に反発するフェミニズムの心理として、女性から出産という概念を排除してしまいたい、更にその奥には、男性と女性との交わり、つまり性欲という概念そのものを排除したいという連中の思惑が見え隠れするということだ。
こう考えると、セクハラといった概念を発明して性欲を敵視する風潮を作り上げたり、性犯罪の厳罰化を主張したりといったフェミニズムの戦略心理も探ることが出来る。そしてそれは社会全体において、女性の男性に対する偏見意識、差別意識へとつながっていく。あの男はキモイから嫌、などという女性の意識はまさに偏見に満ちているが問題にはされない。逆に男性があの女はキモイから嫌と言えば即女性差別だと言われるだろう。つまり男性が女性を差別することは許されないが、女性は平気で男性を差別出来る、それが女性の自由だと正当化する。そして女性優位、男性劣位という序列が自ずと出来上がっていく。
そんな女性道楽状況の中で、女性は男性を好き勝手に弄び、要らなくなったら捨て去り、新たな男性が寄って来るのを待つ。男性は掃いて捨てるほど沢山いるから、女性は何の努力も必要ない。そしていつしか女性から人を思いやる心は失われていく。
先述の耳かき店の事件にしても、被害者の女性店員は21歳、まさにフェミニズムにどっぷり浸かって成長した世代、そんな女性店員の前に40代の独身男性が現れれば、最初から偏見の目でしか見ないだろう。勿論被告の男性も女性店員から偏見の目でしか見られていないということを入店する度に感じていただろう。そんな不信感が募る中で入店拒否されれば、まさにとどめを刺されたという絶望感とそして女性店員に対する怒りが頂点に達するのは想像に難くない。
しかし、フェミニズムに支配された検察はそんな男性の事情など一切考慮するはずがなく、容赦なく極刑に処する。こうした結果は、単に被告本人への制裁だけではなく、類似の環境に置かれている男性全体に対する威圧的なメッセージを含んでいる。そして精神的に男性全体を追い詰め、暴発を促し、女性が犠牲になる事件が起きるのを待つ。そしてこれら一連の悪循環を反復強化させることにより、男性全体を社会的に撲滅していく。つまり、犯罪を利用したフェミニズム戦略には、常に男性の暴発と女性の犠牲が欠かせないということになる。だがそれに気付いている人はごく僅かである。
このように、一見全く関連がないような事例でも、実は核心的な部分にフェミニズムが大きく関与しているということを見出すことが出来る。こうした物の見方をしていかなければ、悪質な社会権力の実態を掴むことは出来ないのだ。
<追記>
三原議員のブログに、今回の件について私は以下のコメントを投稿しましたが、残念ながら掲載されませんでした。
(投稿内容)
男と女の交尾により女が子供を産む。
三原さんの発言は、生命体として自然の発言をしたまでのこと。
それを批判する者が存在するということは即ち自然な姿を否定する、つまり「自然破壊」に他なりません。
こうした偏見的な考え方は、フェミニストによる「産まない権利」といった、権利だけを主張し義務を放棄する身勝手なものです。
フェミニズムは、性欲という概念そのものの根絶を企んでいます。それにより、男という性を根絶し、女だけによる生命体の存続を狙うという発想につながるのです。
国連女子差別撤廃条約を日本が批准してから、女性の横暴が目立つようになりました。
女性の社会進出といいながら、実は男性の根絶を目指す。結婚もせず、仕事をする女性だけが素晴らしい。専業主婦は社会のお荷物など、人間社会の根本をフェミニズムは愚弄してきました。
そして、多くの男性が、結婚も出来ずに命を落としていく実態があります。
今こそ、男女共同参画社会の破棄を行い、国連の女子差別撤廃条約から離脱し、家庭の大切さを説く啓発活動を行い、社会を立て直すべきだと思います。